過去記事の引っ越しです
1429年、播磨の国で大規模な一揆が起きました。
その時の様子は、藤原北家の花山院流の公卿、中山定親の日記『薩戒記』の記事に残っています。
まずは史料を読もう
『薩戒記』(白文・『大日本古記録』をもとに修正)
或人曰播磨国土民如旧冬京辺蜂起国中之侍悉攻之間諸庄園代官加之守護方軍兵為彼等或失命或被追落一国騒動希代非法也云々 凡土民所申不可令侍在国中云々乱世之至也 乃赤松入道発向了者
読めましたか?
少し手を加えてみましょう。
『薩戒記』(返り点付き)
或人曰播磨国土民如二旧冬京辺一蜂起国中之侍悉攻レ之間諸庄園代官加レ之守護方軍兵為二彼等一或失レ命或被二追落一一国騒動希代非法也云々
凡土民所レ申不レ可レ令三侍在二国中一云々乱世之至也
乃赤松入道発向了者
ずいぶん読みやすくなったと思います。
教科書や参考書には答え?が載っているので、そちらを見たらだめですよ。
さて、ここまでです。
実は、この史料をどう読むかによって、1429年に播磨国で起こった一揆が土一揆だったのか、それとも国一揆だったのかが変わるんです。
同じ史料から異なる歴史像がひねり出される。
そのうち、どの歴史像が一番妥当性が高いのかを議論していく。
これが学問の一番面白いところです。
ですから、ここから先はヒミツです。
良い史料なので、クラブに参加した人には必ずこの史料を読んでもらいますから。
大学受験が本格化する前に、日本史好きの高校生は、ぜひクラブに参加して、日本史学の一番の面白さを感じ取ってください。
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