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中国近現代史5【毛沢東のおかけで中国大混乱】【青木裕司と中島浩二の世界史ch:17】



世界史参考書の超ロングセラー『青木裕司 世界史B講義の実況中継』シリーズの青木裕司先生と、福岡を中心に活動する人気タレント中島浩二さんの青木裕司と中島浩二の世界史ch」の文章版です(許可を得ています)。

(前回の記事「中国近現代史4【毛沢東から習近平に受け継がれしもの】」はこちら


中島:

歴史を紐解けば未来が見える。大人の世界史チャンネル中島浩二です。そして河合塾のカリスマ講師、世界史の青木裕司先生です。よろしくお願いします。

中国をずっとやっていますけれども、なんで中国かというと、アメリカ、中国、二大大国というところもあるんですが、実は僕、好きな映画で「ラストエンペラー」という映画があって、

これは話にも出てきましたけれども、愛新覚羅溥儀という人が前前々回ぐらいに出てきましたけれども、主人公で、「ラストエンペラー」という映画を見たときに、溥儀は日中戦争が終わったあと、戦争犯罪人として捕まるんですね。そこでいろんな取り調べを受けるんです。取り調べをしていたいわゆる国の行政官、権力者みたいな人からずっと取り調べを受けているんですけれども、愛新覚羅溥儀が釈放されたあと、実はその行政官も今度は捕まっちゃうって、だから国の体制がどんどん、たかだか数十年で変わっていくみたいな大変な国なんですよね。


青木:

10年単位で大変ですよ、中国は。


中島:

ということなんですよ。日中戦争が終わってからもカタカタと180度変わるわけですもんね。


青木:

大変、本当。


中島:

今まで善だったものが悪、悪だったものが善みたいなことになる、そのキーマンが毛沢東。


青木:

彼があっちに行ったりこっちに行ったりするので、それに国も国民も振り回されてしまう。その最たる例がまず1958年から始まる大躍進という毛沢東が提案した運動なんです。

正式には第二次5か年計画といって農業工業を発展させましょうと。これまで中国の農業工業、特に工業はソ連の援助を受けて、技術者なんかも来てもらっていて、それの影響のもとにやっていたんです。ところが中ソ関係がどんどん悪くなっていって、これはこれでまたいずれお話します。中ソ関係が悪くなっていっちゃったので、もうソ連のことは頼りにしない、自力更生、自分の力でなんとかやっていくぞというわけですよ。どうしたかというと、農村では人民公社という集団農場を作る。そして工業に関しては都会にでっかい工場を作って工業生産物を作るじゃなくて、農村工業、農村で農民たちに頑張ってもらって工業をやってもらう。たとえば鉄、鉄も「農民諸君、作ってくれ」と。中国の最大の武器は人的資源であると。


中島:

人口がとにかく多いと。


青木:

これを利用しようと。


中島:

みんな人海戦術でやろうと。


青木:

そう。ソ連やアメリカみたいなああいう工業じゃなくて、中国独自の工業をやっていこうと。毛沢東の命令は絶対なので、お百姓さんたち、農作業が終わると疲れた体を引きずりながら鉄を打ち固めるわけですよ。手作業です。時と場合によっては農作業をほったらかしにして鉄を作るわけ。ところが人間の手で打ち固めるような鉄、使いものにならんですよ。なんの役にも立たない鉄が800万トン。


中島:

800万トンですよ、なんの使い道にもならない、使えない鉄が800万トン。


青木:

作られたんです。もっと恐ろしかったのは、農民たちが農作業に従事できなくなって、そしてなおかつ鉄を作るために金属を溶かさないといかんじゃないですか。燃料に山の木を使っちゃったんです。山という山がみんなハゲ山になっちゃった。洪水が起こる。農作業もパッとしないということで、1959年から餓死者が生まれ始めた。


中島:

これがかなりの。


青木:

教科書に載っている数字で言うと1000万から2000万。一説には4000万という説もある。もし4000万という説が正しいとすると、当時の中国の人口が6億人くらいなので、パーセンテージで7、8%。日中戦争の中国の犠牲者が600万人から1000万人と言われてるんです。その4倍。しかもこれを中国の人たちはなんと言っているかというと、天災ではなかった、これは人禍、人がもたらした災いであったと。その人というのは言うまでもなく毛の沢東ちゃんですね。

中島:

ということなんですよ。理想に溢れて自分で「政策をこうやろう」というふうに言って、やった5年ぐらいで、たかだか5年くらいですよね。


青木:

大躍進自身は2、3年ですね。


中島:

たかだか2、3年でそんな大変なことになるんですね。


青木:

中国の経済はガタガタになっちゃう。餓死者が出たということに毛沢東は責任を感じて、国家主席の地位から彼は降りるんです。


中島:

表舞台から去るんですよね。


青木:

中国の実権は誰に移るかというと、新たに国家主席になった劉少奇。そして共産党総書記であった鄧小平。この2人が実権を握るわけ。この2人は毛沢東よりはかなりクールで、生産力が上がれば良いんだと。そのためにいろんな人たちから技術を学んでもかまわないと。有名な議論があって、「良い猫とはネズミを捕る猫である。その猫に白い猫も黒い猫もない」と。生産力って上がれば良いんだから誰から学んでも良いじゃないか。ソ連でもアメリカでも良いじゃないかと。これが鄧小平さんの基本的な考え方ですね。

中島:

主義主張は違ったとしても、良いものを取り入れようよという、鄧小平という人はかなりクレバーだったんじゃないかなと。


青木:

その話もいずれ出てくるんですけども。


中島:

もうここが、毛沢東の。


青木:

農業も集団農場にしたのは良かったんだけど、ただ努力したぶんが自分になかなかはね返ってこない、そういうふうなシステムを作ろうというんです。生産を頑張った人、そのうちの何割かは自分のポケットに入れて良いよと。社会主義の国でありながら私有財産みたいなものを認めるわけです。それで生産力が回復するんです。中国国民も「良かった」と。鄧小平も劉少奇も良かった。良かったと思わない人が1人だけいて、これが毛沢東なんですね。


中島:

歴史の舞台というか、表舞台から引っ込んで、そして自分がやったのが大失敗で譲ったけれども、譲った人たちがワーッとうまくいったら「なんだこれ」と。


青木:

彼は権力を奪い返すことを決意するわけです。


中島:

というかもう本当、大変な人ですよね。


青木:

1966年からプロレタリア文化大革命というのが始まっていくわけです。これも確かに文化的な革命の要素がなかったわけじゃないんですが。

中島:

文化大革命ってどういうこと?


青木:

本質は毛沢東による権力奪還闘争です。


中島:

これがそのうまくいっていた人たちを次々に駆逐していくんですよね。


青木:

スローガンが「司令部を砲撃せよ」ですよ。共産党員である毛沢東が共産党の別の指導者たちに対して、青年たちをたきつけて「やっつけろ」と。実際にやっつけちゃうんです。


中島:

これが今まで良しとしていたものが、社会が180度ひっくり返るんですよ。


青木:

そうなんですよ。


中島:

でもそんなこと、他の人たち、人民から支持を集められますか?


青木:

何百万人という青年たちが毛沢東にある意味洗脳されて動き始める。すると誰も止めることができないんです。もちろん反対派というのはいて、内戦に近い状況に実はなってるんです。犠牲者が中国当局の発表だと40万と言われているんですが、そんなものじゃないだろうと。これも大躍進の犠牲者と同じように1000万単位になるんじゃないかというふうに言われているんです。


中島:

映画のワンシーンとかで出てくるんですけれども、赤い旗をくるくる振り回しながら若い人たちがわりと歳を重ねた人たちを小突きながら行列で連れて行くみたいな。


青木:

これまでの伝統・権威みたいなものは一切認めないという、このときに焼却されたりした文化財がたくさんあるんです。


中島:

そうなんですよ、中国のいろんな良いお宝みたいなのが全部破壊されるんですよね。


青木:

特に仏像なんかいっぱい破壊されていっちゃうんですよね。


中島:

これが本当に大変な国家財産を失ってしまうものなんですよね。


青木:

鄧小平の家にも紅衛兵と言われる若者が乱入して乱暴狼藉。


中島:

じゃあ鄧小平もそのときにまた1回失脚するんですか?


青木:

失脚します。息子さんなんか4階の窓から叩き落されて下半身不随になっちゃうんです。劉少奇も何度もリンチ、国家主席ですよ。何度もリンチを受けて病院に入ったけども、ほとんど手当てらしい手当ては受けられずに1969年に非業の死を遂げるんです、国家主席ですよ。


中島:

これは本当、文化大革命って大変な、いわゆる内戦みたいなものですよね。


青木:

実際には内戦ですよね。


中島:

これは本当に大変な、今まで文字ではいっぱいみんな知っていただろうし、文化とついているからなんかそういう感じを受けない人もいるかもしれませんけど、大変だったという。


青木:

文革が終わって40年ちょっと経っていますので、そろそろみんなが重い口を開き始めたと。歴史の検証はこれからという感じです。


中島:

皆さん、今からもしかしたらいろんな事実が出てくるかも、すごい話になりましたね。また次回。








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