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【狂気】映画でみるベトナム戦争【青木裕司と中島浩二の世界史ch:0025】



世界史参考書の超ロングセラー『青木裕司 世界史B講義の実況中継』シリーズの青木裕司先生と、福岡を中心に活動する人気タレント中島浩二さんの青木裕司と中島浩二の世界史ch」の文章版です(許可を得ています)。


中島:

歴史を紐解けば未来が見える。大人の世界史チャンネル中島浩二です。そして河合塾のカリスマ講師、世界史の青木先生です。よろしくお願いします。


青木:

お願いします。


中島:

特別バージョンということで、先生の書斎からお届けしています。映画で見る世界史。「ニュルンベルク裁判」をこの前紹介しましたけれども、「東京裁判」という映画はご覧になりました?


青木:見ました。


中島:

これもすごい。僕、高校のときは映画が好きだったのに、たぶん一般的にそんなに騒がれなかったんだと思うんですけど、日本がなんで太平洋戦争に突入していったかというのを東京裁判を通じて、日中戦争ぐらい、全部すごいですよね。


青木:

あれ勉強になりますもんね。


中島:

勉強になります。ある程度の、それこそニュルンベルク裁判は、「史上最大の作戦」は史実に基づいていろいろ。東京裁判もどっちかというと事実を淡々と大まかなことは頭の中に入りますよね。


青木:

そうですよね、あれはドキュメンタリーですもんね。


中島:

最初がすごいですよね。戦勝国が戦敗国を裁く。戦争に勝った国が戦争に負けた国を裁くということで、公平性は担保されるのかというところから始まるというのもすごいですよね。


青木:

ただ、敗戦国としては当然の義務なんですよね。


中島:

だから担保されないんですよね。そこのところはすごく難しい話にはなるんですね。先生はどうなんですか?僕は世代的に先生と一世代ぐらい違うので、ベトナム戦争が小学校3年生とか4年生ぐらいに、図書室で図書の時間ってありましたよね、小学校のとき。図書室でいろんな本を読むんですけど、アサヒグラフみたいな、いわゆるライフ誌の日本版みたいなものですかね、写真で伝える。ああいうのでそれこそベトナム戦争の写真みたいなのがあって。ベトナム戦争の末期なんですけど、そこからそのあと中学生から高校生になるぐらいでベトナム戦争のなんだかんだの作品というんですか、音楽でいったらビリー・ジョエルの「ナイロンカーテン」というアルバムはベトナム戦争のこと。それからフランシス・フォード・コッポラ監督が一番最初に撮ったんじゃないかな、ベトナム戦争はいろいろありますけど「地獄の黙示録」。


青木:

難しかった、あの映画。


中島:

しかも大コケするんですよ。「ゴッドファーザー」でドカーンとヒットして、巨匠という名を欲しいままにして、そのコッポラが次はベトナム戦争を撮るって。どんなのを撮るの?といったら「地獄の黙示録」。全然わからないです。でもいわゆる狂気ですよね。


青木:

シーンシーンで、場面場面で頭に残っているシーンはたくさんあるんですよね。


中島:

早朝ナパームとかね。


青木:

そうそう。全体の流れがわからないけど、ワルキューレの機甲に乗っかって海岸をね。


中島:

タッタラタッター、タッタラタ。どんどん撃っていくんですよ。だから結局アメリカという国が、言ってもジャングルの中で戦うというのでものすごく苦戦するんですね、ジャングルを知らないから。それでものすごく苦戦するから、じゃあもうジャングルを一掃してしまえという考え方ですよね。


青木:

枯葉剤を撒いてね、ダイオキシンを撒いちゃうんですよね。


中島:

ひどいですよ。その狂気ですよ。ベトナム戦争=狂気を描いたというものが多いですよね。


青木:

そうですね。ベトナム戦争を肯定的に描いた映画といったら、ジョン・ウエインの「グリーンベレー」ぐらいかな。あるんですよ。ジョン・ウエインが自ら監督して主演もやってね。


中島:

だってそのときジョン・ウエインなんてかなりの年齢でしょ。


青木:

それは文字通りベトナム戦争をやっている最中の映画です。アメリカが直接軍事介入するのが1965年で、僕は中学校3年生だった。撤退するのが1973年で、私が高校2年生だった。その間にできた映画なんですよ。それを月曜洋画劇場かなにかで


中島:

荻昌弘さんですね。


青木:

そうそう、荻昌弘さんがなんと言ったかというと、「今日の映画は楽しんでご覧くださいとは言えません」というふうに、批判的に見てくれという感じで解説されたんです。それが僕、すごく印象的で。


中島:

実際ベトナム戦争が泥沼になってしまって、アメリカ国内ではむちゃくちゃになるんですよね。


青木:

そうですね。実際に傷ついて帰ってくる、あるいは亡くなってしまう。あるいは帰ってくるときに、ジャングルの中の戦いって厳しいので、麻薬にみんな手を出すんです。いわゆるベトナム帰還兵を中心にして麻薬がアメリカに蔓延していく、そういったこともあるんですよね。


中島:

それこそ「ディア・ハンター」ってロバート・デニーロとメリルストリープなんかも出ましたけれども、これなんていうのは結局ベトナムから帰ってくるんだけど、生活ができないというので、向こうに帰っちゃって、それで毎晩ロシアンルーレットをやるという、そういうとんでもないことに人間がなっちゃったという、そんな映画ですよね。


青木:

本当につらい鬱屈とした、そういう雰囲気の中で作られた映画なのでつらいですよね、見るとね。


中島:

つらいです。僕が高校大学ぐらいにそういう作品が「プラトーン」もそうでしたし、「フルメタルジャケット」。フルメタルジャケットなんてキューブリック監督ですけど、あれってすごいですよ、ベトナム戦争の映画なのにベトナムを描かないんですよ。どういうふうにベトナムに兵士を送り込んでいくかという訓練で、兵士がどんどん精神的に壊れていくという、それを描くんですよ。


青木:

キューブリックらしいですね。


中島:

実はドキュメンタリーでも見たことがあって、結局志願兵が研修というか訓練を受けるのに、訓練中は絶対に手を出さないという誓約書に名前を書かされるんですね。昼間は普通の兵隊としての訓練、兵士としての訓練を受けるんですけど、毎晩敵の、いわゆるベトコンの軍服を着た先輩が毎晩暴行に来るわけですよ。

それでベトナムに送り込まれるときには精神的にいっちゃって、その軍服を着た人を見たら、なにも考えずにドンとやっちゃうという、そういう。だから本当に狂気ですよね。

「ランボー」って、日本人が見ると「うわー、またシルベスタースタローンが大変なことやってる」というふうに思うんですけど、あれは実はアメリカの田舎のほうに森がたくさんあって、そこにベトナム帰還兵で、もちろん普通に社会生活に戻った人もいるんですけど、その帰還兵で、やっぱり森でしか生活できない、しかもこれが森でみんなで生活しているかというとそうじゃないんです、1人だけポツンポツン。そこから呼び戻されるところから始まるというのが「ランボー」なんです。

ドキュメンタリーを見たときにそのベトナム帰還兵の兵隊さんが家で寝ていたらしいんです。母親に「絶対に僕には手を触れないでね。必ず1メートル以上離れたところから声をかけて」と、それをお母さんが忘れていて、朝、息子を起こしにいって、いつもやっていたみたいに足の親指を持って、振って起こすらしいんですよ。そしたらその人が目を覚まして、グッと首を絞めていた。これで「僕はやっぱり1人でしか生活できない」という。

だから狂気ですよね。


青木:

それをしっかりアメリカの映画で描いてくれるんですよね。ところどころにエンターテイメント性も入れながら。非常につらい戦争の映画を、一部エンターテイメント性を残しながら見せてくれるという、そのへんに僕はアメリカの映画産業の誠実さというか、それは感じますよ。


中島:

エンターテイメントが入っていないとみんなが観に行かないですもんね。


青木:

妙に説教くさくないんですよ。そこがアメリカの映画の、日本の映画がそうじゃないと言ってるわけじゃないんだけど、ちょっと違うなという気はしてるんです、いつも。


中島:

僕にとってはあのベトナム戦争ってなんだったんだというところも今後先生にいろいろ。だってアメリカの失敗の歴史でしょ。


青木:

最大の失敗ですよね。僕その頃って小学校から高校ぐらいですよね。久留米に住んでいて、あの頃って福岡空港にまだ頻繁に米軍機が離着陸していたんですよね。今でも空港の中の一部の施設というのは米軍の施設なんですけど、ちょうど沖縄に行って、そこからベトナムに向かう、米軍機が久留米上空をよく通ってましたもん。見ながら「このあとは嘉手納に行って、沖縄に行って、ベトナムに行って爆弾降らせるんだろうな」とかね。

だって僕の母校の九大にファントムがぶつかりましたからね。


中島:

そうですよね、そういう事件があったんですよね。


青木:

いつかベトナム戦争の歴史も。


中島:

そうですね、これは僕は一番身近なものなので知りたいなというふうに思いますね。








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