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【ベトナム戦争①】各国の思惑【青木裕司と中島浩二の世界史ch:0027】



世界史参考書の超ロングセラー『青木裕司 世界史B講義の実況中継』シリーズの青木裕司先生と、福岡を中心に活動する人気タレント中島浩二さんの青木裕司と中島浩二の世界史ch」の文章版です(許可を得ています)。


中島:

歴史を紐解けば未来が見える。大人の世界史チャンネル中島浩二です。そして河合塾のカリスマ講師、世界史の青木先生です。よろしくお願いします。


青木:

お願いします。


中島:

今回私のリクエストでベトナム戦争をきちんと学ぼうということなんですが、まずきっかけとしてどういうところから始まったのかなという。


青木:

もともとベトナムって百何十年か前にフランスの植民地になっちゃったんですね。インドシナ半島というところがあって、そこのベトナムとラオスとカンボジア、全部フランスの植民地になったんです。そこでフランスに対する独立運動というのも盛り上がっていくわけですね。きっかけになったのが日露戦争。


中島:

えー、そうなんですか。


青木:

日露戦争でロシアに日本が勝ったじゃないですか。アジアの小さな国がロシアに勝ったというので、欧米の国々に植民地支配されている人たちが「僕たちも頑張ろう」と。インドでも運動が盛り上がるし、東南アジア地域でも広く運動が盛り上がっていくんです。


中島:

これって歴史のときに学びますよね。日露戦争に日本が勝ったことによっていろんな国々が思うところがあった。


青木:

そうですね。大きな励ましを与えたのは事実なんですよね。ベトナムでもそうで、ロシアに勝った日本、これに学べば我々ベトナム人もフランスに勝てるんじゃないかというので、ドンズー運動という日本に対する留学運動がベトナムの青年たちを中心に展開されるわけですね。

ところがですよ、日露戦争に勝った日本がこのあと、ある意味世界のいじめられっ子、植民支配されている国々の代表ではなくて、いじめっ子の側のほうに回っちゃうんですね。俺は喧嘩が強いからというので。


中島:

日露戦争に勝ったことによって日本がそういうふうな立場になっちゃう。


青木:

そうですね。ベトナムを支配しているフランスなんかとも仲良くやっていきましょうといったときにフランスが日本に対して「お前の国、俺に歯向かうやつ、フランスに歯向かうとベトナム人が言っているだろう。なんとかしろや」と。日本は「そうですね」と言ってベトナムからやって来た留学生たちを追放しちゃうんです。これは日本の大きな分岐点なんです。

近代日本の大きな分岐点は明治維新と日露戦争に勝ったあとの日本の振る舞いというか、日本がさっき行ったように世界のいじめられっ子の星として生きていくのか、あるいはいじめっ子グループのほうに仲間入りするのか。僕から見ると残念ながらいじめっ子グループのほうに行っちゃったんですね。


中島:

ということは日本からベトナム人を追放して、それでどうなるんですか?


青木:

ベトナムではこのあと独立運動がまた展開されていくわけです。しかしそれが実を結ぶ前に太平洋戦争が始まって、かつてベトナム人にとって理想の国だった日本からベトナムを支配されてしまうんです。


中島:

なるほど。日本がいじめられっ子の星じゃなくて、強い国の仲間入りしたけれども、今度は日本がやってくるということなんですね。


青木:

1940年から仏印進駐というのが始まって、41年に太平洋戦争が始まると、ベトナムも含むインドシナ半島全体が日本の支配下に入ってしまう。

それに対してホーチミンという社会主義者、共産主義者がいろんな人たちをまとめあげて日本を追い払うための組織を作るんです。


中島:

日本をお手本にしようと思っていたベトナムの人たちが、日本が入ってくることによって、もちろん自分たちの国ですから、もちろん追い払おうと。


青木:

そうですね。ベトナム独立同盟という組織を作るわけです。さっき言ったようにリーダーはホーチミンで、社会主義者、共産主義者。


中島:

今は都市の名前にもなっているぐらいのベトナムのヒーローです。


青木:

英雄ですね。彼はそういう資質を持っているんだけども、そうでない人たちも、とりあえず日本をやっつけるためには連合しようというので。


中島:

なるほど、違う考え方でも同じ敵がいたら仲間になるわけですね。


青木:

そうですね。幅広い統一戦線ができた。1945年に日本が敗北して、アジアから撤退していきますよね。9月2日に日本が降伏文書に調印するわけですね。その日を期してホーチミンたちがベトナムの独立を宣言する。

フランスがもともと支配国だったけども、フランスの戦後の混乱でまだアジアまで手が伸びてきていない。日本は出て行った。権力の空白状態をうまく利用して、9月2日に独立宣言を発する。


中島:

俺たちは自国の独立だよということを宣言するんですね。


青木:

そうですね。しかもその独立宣言に引用された文章が、なんとアメリカ独立宣言なんですよ。


中島:

えー、そうなんですか。


青木:

「人間は神によって平等に作られている。この権利を守るために我々は独立をするのだ。この偉大な文章はアメリカ独立宣言である」と。「こういう国を作りたい」みたいな宣言なんです。そのアメリカともベトナムの人たちは戦わなくちゃいけないんだけど。

とりあえず戦争が終わって、日本が出ていった。フランスが翌年ぐらいになって植民支配をもういっぺん復活させたいなというので。


中島:

ちょっと待ってください。1945年の独立宣言をしたにも関わらず、フランスとしては、フランスだってあの第二次世界大戦で大変なことになって、でもその翌年にはもうそういうことを言い出すんですね。


青木:

特にコメの産地なんですよね、ベトナムって。


中島:

世界で一番コメを。


青木:

一番はタイ。タイが輸出してます。


中島:

すごいコメも、米粉とかいろんな加工をして米をものすごく大切にする国なんですよね。


青木:

そういうことで経済的な価値はいっぱいあるというので帰ってくるわけ。ところが、ベトナム北部を中心にして、ホーチミンたちは力が強いので、とりあえずフランスは様子を見るわけです。いったん独立を認めるみたいな態度を取るんだけど、ホーチミンたちの力が南部のベトナムには及んでいないというのを見て、翌年からやっぱり独立を認めないと。で、戦争が始まっちゃうんです。


中島:

そんな早くからベトナムってずっとぐちゃぐちゃしていたんですか。


青木:

そうです。1946年から独立を目指すホーチミンたちと、植民地支配の復活を目指すフランスの間にインドシナ戦争という独立戦争が始まっちゃうんです。


中島:

そうなんですね。じゃあベトナム戦争の前にインドシナ戦争という。


青木:

フランスとの戦いがあるわけです。学者によってはフランスとの戦いのほうを第一次ベトナム戦争と言う人もいます。世界史の教科書では別々にしています。フランスを相手に戦ったやつのほうをインドシナ戦争と。


中島:

インドシナ戦争はどんなふうに展開していくんですか?


青木:

8年かかるんですよ。1954年に最終的に決着して、フランスが負けて、負けを認めて撤退していくんだけど。


中島:

フランスは入ってきて、ベトナムの中の話じゃなくて、フランスが入ってきて、フランス人とベトナム人との戦いですか?


青木:

ですね。ところが1950年代以降になるとフランスも経済的にちょっと厳しくなってくるわけ。するとアジアにおける共産主義、社会主義の拡大を望まないアメリカがフランスに対して「頑張れ」といって軍事援助するわけ。実際にフランスが使っていた戦争の費用、その90%を実はアメリカが出してくれた。


中島:

そのアメリカがフランスを支援する理由ってなんですか?


青木:

やっぱりアジア地域における共産主義の拡大を望んでいない。ただでさえ1949年に中華人民共和国というのができて、アジアも東アジアのど真ん中の国が共産党支配国家になったじゃないですか。それがアジア中に波及するんじゃないかということをものすごい恐れていたんです。


中島:

ホーチミンたちはなんで政治システムを共産主義というところにしていたんですか?


青木:

経済システム自身が共産主義かどうかはいまだによくわからないんだけども、独立運動をやるときに共産党という組織が中心だったんですよね。非常に中央集権的で、指揮命令系統がしっかりしている。


中島:

システム的にそれが。


青木:

独立運動をやるには都合が良かった。


中島:

そうなんですね。じゃあ主義思想として共産主義ということでもないんだろうけれども、そういうシステムのほうが指示命令系統が確立しやすかったと。


青木:

そうですね、党組織としてそうだったんです。


中島:

そういうことなんですね。アメリカが怖いと思ってフランスを支援しながら。


青木:

支援したけども結局フランスは負けちゃうんです。1954年のディエンビエンフーの戦いというやつで、ベトナム北部にできていたフランス軍の基地をベトナム軍が総攻撃して打ち破ってしまう。これまでアジアとかアフリカの国々が欧米と戦って勝ったことはあった。でもそれはほとんどゲリラ戦だったんです。ところがディエンビエンフーの戦いというのは正規軍対正規軍ががっぷりよつに戦って初めていわゆる第三世界、アジアアフリカが勝ったというので世界史の教科書でも特筆されているんです。

ちなみにいうと1954年、北アフリカのアルジェリアでフランスに対する独立運動が始まっちゃうんです。アルジェリアってフランス人の入植者が100万人いるので、ある意味フランスにとっては一番大事な植民地なんです。フランスとしてはそちらにも集中しなくちゃならないということもあって。


中島:

なるほど、だからベトナムだけにかかりきりにはなれないということですね。


青木:

なれない。フランスは撤退する。代わりにアメリカが出てくるわけですね。


中島:

そこからベトナム戦争がということですよね。


青木:

そうですね。


中島:

もうひとつだけ聞いて良いですか?アルジェリアというのが大変になるというのは、やっぱりベトナムのことを見ていたというところもあるんですか?


青木:

もともとアルジェリアというのは19世紀の前半にフランスに植民地化されて、根強い運動がずっと起こっていたんです。それが第二次世界大戦後、盛り上がっていくわけです。


中島:

独立ということはいろんなところ、植民地支配をしていたツケが大国にめぐってくるということですね。


青木:

特に第二次世界大戦で確かにイギリスとかフランスは勝ったけども、勝ったけどボロボロだったんです。それをアジアアフリカの人たちは見ていて、チャンスだと。


中島:

今のタイミングだということですね。


青木:

世界的に盛り上がった。


中島:

なるほど。ベトナム戦争を紐解いていくということで、まずはインドシナ戦争、前段を語らないとということで、次回、アメリカが介入してどうなっていくかというところ、1954年以降をお届けします。








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