世界史参考書の超ロングセラー『青木裕司 世界史B講義の実況中継』シリーズの青木裕司先生と、福岡を中心に活動する人気タレント中島浩二さんの「青木裕司と中島浩二の世界史ch」の文章版です(許可を得ています)。
(前回の記事「【ロシア近現代史③】20世紀最大の悪人!スターリン」はこちら)
動画版:「【ロシア近現代史④】第二次世界大戦とソ連」
中島:
歴史を紐解けば未来が見える。大人の世界史チャンネル中島浩二です。そして河合塾のカリスマ講師、世界史の青木先生です。よろしくお願いします。
青木:
お願いします。
中島:
今ロシア、ソ連、ロシアをずっと見ていってるんですけれども、ロシアからソ連になって、ソ連がどんなふうに第二次世界大戦に関わっていったかという話ですね。
青木:
基本的にはソビエト連邦というか独裁者のスターリン。まわりの国と戦争はしたくなかったんです。
中島:
それはだって貧乏ですからね。
青木:
大変なんですよね。戦争する余裕なんて本当はないんです。
中島:
予算的にはないと。
青木:
ところが1941年になってナチスドイツが攻めてくるわけですね。
中島:
これはナチスドイツとしてはソ連のいろんな土地を獲得することが自分たちの生き延びる術だと、資源ですよね。
青木:
そうですね。これはヒトラーが政権を取る前から購入してますもんね。さらにいうとドイツ人って800年ぐらい前からそれをやってるんです。
中島:
ずっと東のほうを攻めちゃってたんですよね。
青木:
そうそう。もともとドイツ人ってエルベ川の西側に住んでいる民族だったんです。ところが13世紀ぐらいになってエルベ川を越えてスラヴ人がたくさん住んでいるところに侵略を展開するわけです。
中島:
これは真ん中にポーランドがあるじゃないですか。
青木:
ポーランドもスラヴ人の国です。
中島:
ポーランドはもともとそのときはソ連に近い国という感じ?
青木:
いや、ポーランドはもともとロシアの植民地だったんです。第一次世界大戦でロシアがめちゃくちゃになったときに独立国家として認められるんです。
中島:
ポーランドとして?
青木:
はい。
中島:
じゃあ昔の宗主国だから、近いってこと?
青木:
民族的には同じスラヴ人が多数派の国なので違うんだけども、ただ、ポーランド人に「ロシアのことが好きですか?」といったら100人が100人とも嫌いだと言いますよ。ポーランドってドイツそれからロシアに侵略された経験があるので親近感はたぶんないですね。
中島:
ということなんですね。ドイツがロシアに攻め入っていく。
青木:
141年6月22日。たまたまなんですけどナポレオンがロシア遠征をやった日と一緒ですね。ナポレオンが1812年の6月22日、50万の大軍で攻め込むんです。1941年6月22日にナチスドイツの軍隊が数百万ですけども、一斉にソ連領に攻め込むことになります。
中島:
歴史の因果ですよね。
青木:
なんかね。同じ6月22日というのを聞くと歴史には神様がいるのかなと、偶然にしてはできすぎているだろうと。
中島:
それで攻め込んできてどうなるんですか?
青木:
ロシア軍、ソ連軍はメタメタです。
中島:
結局貧しいソ連軍と、戦争するためにどんどん国を発展させてきたドイツですから、とてもじゃないけれども装備も違いますもんね。
青木:
ただ装備に関しても戦車なんかはソ連軍のほうが上なんです。
中島:
そうなんですか。
青木:
だから最初の3か月はめちゃくちゃやられるんですよ、ソ連軍に。その原因はなにかというと2つあるんです。ひとつはスターリンがドイツが攻めてくるタイミング、もっとあとだと思っていた。完全に油断しておった。そしてもうひとつは、戦争に先立つ30年代にスターリンが軍の指導層を粛清していった。軍隊と優秀な指揮官がいないと動けないですよね。それでガタガタになった。それで最初のうちにめちゃくちゃやられちゃうんです。スターリン自身がどうなるかというと常軌を逸してしまって「このままソ連は負けて、俺はヒトラーの前に引きずり出されて銃殺される」と悪夢ばっかり見て、精神の平衡状態を失ってしまうんです。
確か戦争が始まって10日間、2週間ぐらいかな、姿をくらましちゃうんです。ひどいですよ、あの人、本当。隠れ家に隠れてブルブル震えているところをみんなに見つけられて「国民に向かってなんとか言ってください」と。スターリンはラジオの前に立って「同志諸君頑張ろうね」という演説をするんです。
中島:
言っても結局人間なんですよね。
青木:
スターリンといえどもね。スターリンって本名が別にあるのってご存知ですか?
中島:
知らないです。
青木:
本名はヨシフ・ヴィサリオノヴィッチ・ジュカシヴィリという。彼はジョージアの出身なので語尾にヴィリがつくんです、名前の最後に。ペンネームがスターリンなんです。どういう意味かというと「俺は鋼鉄のような男になりたい」と。英語で言ったらスティルマン。レーニンもそうですよ、レーニンも本名じゃないです。レーニンの本名はウラジミール・イリイッチ・ウリャーノフという。
中島:
レーニンってどういう意味なんですか?
青木:
シベリアにレナ川という川が流れていて、でかい川なんですよ。あんな川みたいな、あのでかい川みたいな雄大な男になりたいと。レナ川のような男。このへんで言うなら筑紫次郎とかね。
中島:
そういう意味なんですか。
青木:
トロツキーもそうですよ。本名をレフ・ダヴィドヴィッチ・ブロンシュテインといって。
中島:
というかよく噛まず言えますね。実際うちのこの番組は原稿なんて一切ないですからね。
青木:
トロツキーはもともと彼が監獄にいたときの看守の名前なんですよ。
中島:
トロツキーというのがですか?
青木:
そうそう。そういう看守のもとで彼は獄中生活を送っていたらしいです。
中島:
それは忘れないためにってことですか?
青木:
彼なりのシャレでしょう。本名で活動すると弾圧を食いやすいのでペンネームで活動するんです。
中島:
当時そういうなんとなく風潮があったんですね。
青木:
あったんです。
中島:
話が全然横道に逸れましたけども、それでスターリンがブルブルしていたところは「ここにいた」ってマイクの前に立たされて「みんな頑張ろうぜ」というふうに言って、どう変わっていくんですか?
青木:
この演説が大きな影響力を残すんですよ。さっき言ったように彼自身も震えてるんですよ。ところがラジオの前に立ってゆっくり話すじゃないですか。それを聞いた国民は「大将、落ち着いてやんな」と。
中島:
なるほど、これだけやられてるのに。
青木:
それでちょっと気分的に楽になった。ロシアって東西にものすごい長くて、ウラル山脈の東側のほうで工業が発展していくんですよ。そこで生産された戦車がボンボン戦場に送られてくるようになった。しかもナチスドイツが攻めこんだ1941年、めちゃくちゃ寒い年だったんです。
中島:
これが結局冬将軍で。ナポレオンのときもそうだったんですけど、実はとてもじゃないけど、いわゆるその土地の気候を知っている人間なのか、まったく知らない人間なのかで装備が違うんですよね。
青木:
ナポレオン軍もそうだし、ナチスドイツの軍隊もそうだったけども、冬の装備をしていなかったんです。なぜかというと、短期決戦で終わらせないとこの戦いはダメだと。
中島:
ということはわかっているんですよね。
青木:
だから攻撃を始めたのは6月で、10月ぐらいまでに終わるぐらいのつもりだったんです。戦争を始めるときはみんなそうですもんね。
中島:
絶対に勝つ、そしてすぐ終わる。
青木:
すぐ終わる、みんなそう思うんですよ。そうはならなかった。モスクワの20キロぐらい手前まで来ていたらしいんです。ところが雪がちらつき始めて、あっという間に零下20度、風が吹いたら体感温度零下40度、戦車のオイルが凍っちゃうんです、潤滑油が凍っちゃって、動けなくなる。雪が積もり始める。雪が溶けると泥水。ドロ沼ですね。動きができなくなる。赤軍は赤軍で戦車を補強することによって、42年ぐらいから押し返し始めるんです。
ただ犠牲者の数は半端じゃないです。ソ連軍の、ソ連国民の兵士を含めて、犠牲者の数はだいたい2000万人。
中島:
ソ連という言い方をしますけれども、それというのはソ連なんですか?ソ連の中のロシアですか?
青木:
いや、ソ連。ちなみにヨーロッパの戦線にはシベリアに住んでいる少数派のモンゴル人なんかも動員されているんですよ。
中島:
そんな遠くから来てるわけですか。
青木:
そうです、シベリア鉄道に乗せて前線に駆り出したりしてるんです。なんだかんだで2000万人と言われていたんだけども、ゴルバチョフの時代以降に昔の資料がもういっぺん発掘され直して、死者の数は実は2700万人だった。
中島:
本当ですか、とんでもないですね。
青木:
とんでもないです。数えてみれば第一次世界大戦で兵士が200万人、内戦でたぶん300万人、そのあとにウクライナを中心に飢餓が蔓延するんです。それでまた数百万人。そして第二次世界大戦のナチスドイツの戦いで2700万人。
中島:
とんでもない数ですよね。
青木:
当時のロシアの人口が1億2000万から3000万ぐらいかなと言われてるんですよね。そのうちの3分の1ぐらいが戦争と飢餓でもって亡くなっていたんです。20世紀の歴史でどこが一番大変だったかって、ソ連の国民ですよ。ソ連の国民とユダヤ人ですね、一番大変な目に遭ったの、そんな気がしますね。
中島:
こういうことを、ロシア、ソ連、ロシアを紐解かないと知らない人、多いですよね。
青木:
革命直後にも攻め込まれたし、第二次世界大戦でもとんでもない被害を受けたでしょ。そういう他国から侵略された国というのはどうしても過剰に反応するんですね、外国の動きに対して。それがロシアの基盤にあるということを我々は忘れてはならないですね。
中島:
知っておけばそのあとロシアというかソ連がどんなふうになってロシアになるかみたいなこともいろいろ見えてくるということですね。
青木:
思い出すのは40年近く前のソ連領の樺太、あそこの上空を大韓航空機が通ったんですよ。それをソ連の戦闘機が撃墜したんですね。でもそのときに国際的非難はあったけども、ソ連の国家も、あるいは撃ち落したパイロットも「当然だろ」みたいな反応だったんです。
中島:
なんで?ということでしょうね。
青木:
それはもちろん許される話じゃないけども、歴史を知っているとそういうふうな考え方になっちゃうんだなと。
中島:
そういう考え方でやっちゃってるよねってことですね。
青木:
国境線を犯す者は許さない。
中島:
次回、第二次世界大戦以降という話をします。
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