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【パレスチナ問題④】第4次中東戦争とオイル・ショック【青木裕司と中島浩二の世界史ch:0043】



世界史参考書の超ロングセラー『青木裕司 世界史B講義の実況中継』シリーズの青木裕司先生と、福岡を中心に活動する人気タレント中島浩二さんの青木裕司と中島浩二の世界史ch」の文章版です(許可を得ています)。


中島:

歴史を紐解けば未来が見える。大人の世界史チャンネル中島浩二です。そして世界史のカリスマ講師、河合塾の青木先生です。よろしくお願いします。

第三次中東戦争までやりました。


青木:

イスラエルが大勝利、領土を広げました。ヨルダン川西岸地区、ガザ地区、そしてシリアからはゴラン高原、エジプトからはシナイ半島を奪い取りました。

これでイスラエルが勝利の美酒に酔っちゃうんですね。ちょっと油断してしまうわけです。すると1973年、どうもイスラエルは油断をしているぞということで、領土を奪われたエジプトとシリアが連絡をして一泡吹かせてやるぞと。


中島:

言っても急に攻撃されて領土を奪われているわけですから、取り返したいというのは。


青木:

リベンジですね。そのリベンジの第四次中東戦争というのが1973年10月に起こるんです。


中島:

第四次ですよ。第二次世界大戦が終わってからずっと戦争ということですよね。

青木:

小競り合いまで含めてもね。どうなったかというと、不意を突かれたイスラエルは連戦連敗なんですね。これで今度こそイスラエル軍の不敗神話が崩れるかもしれないと思われていたんですが、これをアメリカが全面的にバックアップするんです。


中島:

またアメリカが来ました。結局イスラエルという国にアメリカが肩入れしていることによって世界がこじれている、こじれたままというところもありますよね。


青木:

それはありますよね。結局アメリカが、10月に戦争が始まるじゃないですね。1か月間でなんと30万トンの武器や弾薬を送り続けるんです。当時のアメリカは武器弾薬が余っていたんです。なんでかというと、ベトナムから撤退したからです。


中島:

ということなんですよ。ベトナム戦争をやりましたけれども、今、年号を聞いたら「あっ」というふうに思った人がいると思います。

青木:

あの年の1月にベトナム和平協定が結ばれてアメリカはベトナムから撤退を開始するんですね。武器弾薬が余っている、「これを使いな」と。これでイスラエルが逆襲に転じるんです。第三次中東戦争に続いて第四次中東戦争もまたしてもアラブ側の敗北かと思われたときに、サウジアラビアなどが立ち上がるわけですよ。


中島:

結局同胞がやられているというところは。


青木:

許せないと。


中島:

それはそうですよね。


青木:

サウジアラビアを中心にOAPEC、アラブ石油輸出機構の緊急理事会が開かれて、イスラエルおよび親イスラエルの国に対しては石油を売らないと。

中島:

これがいわゆるオイルショックですよね。


青木:

オイルショックを引き起こすんですね。いわゆる石油戦略と言われるやつ。するとOPEC、石油輸出国機構もチャンスだというので原油価格を大幅に値上げするんです。


中島:

これで世界中が大混乱するんですよね。


青木:

大混乱です。第一次オイルショック、第一次石油危機(1973年)。供給は少なくなるわ、値段は上がるわでしょ、一番大変だった国は明らかに日本なんですよ。


中島:

うちのお袋も、うちのお袋は買い溜めが趣味なので、うちのお袋はトイレットペーパーを買えない人に配ってたって、タダで。「私が買い溜めしてるから大丈夫よ」って隣近所にタダで配っていたという。


青木:

すばらしいですね。


中島:

博愛の人なのでね。でもそれぐらい、なんであのときトイレットペーパーなったのかという他にもいろいろ。


青木:

パニックに陥ったときってああいうものなんですね。


中島:

新型コロナウイルスのときもトイレットペーパーが急になくなったりとかしましたけど、結局はあれデマだったらしいですもんね。


青木:

とにかくオイルショックと言われるけど一番びっくりするのは日本なんですよ。日本はご存知のように石油がほとんど取れないですね、ゼロですよ。全部石油は輸入していると。近代工業は石油がなかったら話にならない。その大事な大事な石油の75%、日本が必要とする石油の75%を中近東から来ているわけですね。

一方日本はアメリカとは軍事同盟関係。そのアメリカとアラブの産油国が対立していると。どうする?と。

時の首相、田中角栄さん。ここはアメリカを怒らせてもやむを得ない、ここはアラブのほうを優先しようというので、当時副総理だった三木武夫さんなんかを派遣してアラブとの友好、そのための外交を展開していくんです。これが効いてアラブの国々は1973年の12月24日に石油輸出を再開しますと。


中島:

これがすごいですよね。ここで日本の田中角栄の、その件に関してはすばらしい判断だったと。


青木:

すばらしい判断です。当時のいろいろ記録を見てみると、確かにアラブの国々と仲良くしたらアメリカは怒るだろう、怒るけども、アメリカは日米安全保障条約を破棄する、そんなことは言って来ないと。一時的に怒るけどもそれは我慢してもらうしかないと。ついでに言っちゃうとアメリカで世界最大の当時、産油国だったので。


中島:

実はアメリカって産油国なんですよ。

青木:

日本、ゼロだからね。そこはわかってくれよって話ですよね。結局これが祈りが通じて、12月24日に石油の輸出が始まるんですね。12月24日だからクリスマスイブですよ。


中島:

覚えてますか?


青木:

覚えてます。我々が、日本人が一番欲しかったクリスマスプレゼントをイスラム教徒がくれるというね。


中島:

おもしろい。今すごいネタみたいな話になって。


青木:

歴史の歯車ってときどきそういういたずらをしちゃうんですよ。


中島:

なるほどね。


青木:

教科書なんかにも石油戦略の発動を決めたときのアラブの国々の石油大臣の会議、そこでみんながニヤっと笑うんですよね。この瞬間思ったのは、16世紀以来の欧米とそうでない国々、地域。その力関係が一瞬逆転したなと。「やってやったぞ」という感じがあってね。あの瞬間、有名な写真いっぱいあるんですけどね、すごく心が躍った、そういうことを思い出しますね。

中島:

それでそのあとどうなるんですか?


青木:

石油戦略を食らった日本を含めたいわゆる先進工業国はどうしたかというと、あっちが団結しているなら俺たちも団結するぞというので、翌々年から、1975年からいわゆる先進国首脳会議、サミットが始まっていくんです。


中島:

サミットってそこから始まるんですか。


青木:

きっかけはそれですよ。ぶっちゃけアラブの国々、第三世界の国々を舐めとった、我々は。俺達は俺達で結束するぞとサミットが始まる。さらにはあんまり石油ばっかりに依存しちゃいけないなと、ここから原発だよねという、原子力発電所の開発、それがエネルギー転換ですね。それも大きな問題になってくる。

中島:

ものすごい第四次中東戦争のあとの石油。石油がアッということになったというのは、ひとつ社会というか地球の大きな転換点ですよね。


青木:

そうですね、大きな問題だったですね。ちなみに日本はそのあとに、これまでみたいに石油をドバドバ使わないような省資源型の自動車を作ったり、燃費の良い、これまで以上に。それで経済危機に対処していくんです。そのへんは日本はすごいなと思いますね。


中島:

したたかだということですよね。


青木:

転んでもただでは起きないと。その第四次中東戦争でいわゆるイスラエルとアラブの国々がガンとぶつかる戦争、国同士の戦争というのは一応これで終わりなんです。そのあとにアラブの国々の中に「俺はもう疲れた」と、そういう国が出てくるわけ。これがエジプトだったんです。


中島:

だってずっと戦争の緊張状態が。


青木:

4回の中東戦争、常に主人公の。


中島:

最前線ですよね。

青木:

しかもサウジアラビアみたいに石油が取れないし、貧乏だし、人口は多いし。エジプトがイスラエルと単独和平をやろうとするわけです。


中島:

これもまたアラブの人たちからすると足並みを。


青木:

はっきり言って裏切りですね。特にパレスチナの人たちからするとエジプトは裏切ったと。実際に1979年にイスラエルとエジプトが平和条約を結ぶわけです。平和条約を結んで、なおかつお互いに国家として認め合うと。間に入ったのがアメリカのカーター大統領だったんですけど。

おっしゃたように特にパレスチナ人、あるいはそれ以外のアラブの国々からすると、「エジプトなにやってるんだ。俺たちの敵であるイスラエルと仲良くするあんたはなんなんだ」と。こうして当時のエジプト大統領、サダトというのはアラブ世界のつまはじきにされてしまう。なおかつ平和条約から数年後に彼はイスラム教徒の過激派によって暗殺されちゃうんです。


中島:

本当につらいですね。


青木:

ずっと流血なんですよね、いろんなね、本当に。時間がきましたね。

中島:

また次回。


青木:

あと1回ぐらいかな。


中島:

わかりました。








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