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【アメリカ黒人の歴史②】ブルース・ジャズの誕生と戦争【青木裕司と中島浩二の世界史ch:0048】



世界史参考書の超ロングセラー『青木裕司 世界史B講義の実況中継』シリーズの青木裕司先生と、福岡を中心に活動する人気タレント中島浩二さんの青木裕司と中島浩二の世界史ch」の文章版です(許可を得ています)。


中島:

歴史を紐解けば未来が見える。大人の世界史チャンネル中島浩二です。そして河合塾のカリスマ講師、世界史の青木先生です。よろしくお願いします。


青木:

お願いします。


中島:

ブラックライブズマター2回目。アメリカに1867年に憲法がという。


青木:

改正されて白人と同等の選挙権を黒人の皆さんが持つようになる。しかしながら南部の白人たちはなかなかそれを認めようとしないわけですね。ついでにちょっと余談になっちゃうけども、南北戦争ってあるものを産んだんですよ、アメリカに。南北戦争が終わるじゃないですか。すると北軍の兵士たち、南軍の兵士たちの間で使っていた軍楽隊の楽器がいらなくなるわけですよね。


中島:

僕、高校の英語の教科書に書いてありました。


青木:

本当?すばらしい教科書ですね。


中島:

南部の黒人たちが国軍が忘れていった楽器を吹いたり叩いたりすることになった。白人は音楽の教育を受けているから、これ以上は音が出ないというふうに習っているんだけれども、そういう教育をまったく受けていない黒人たちは、自分が出したい音を一生懸命練習して出すようになったから黒人の音楽というのがすごいことになったんだよという英語の教科書、リーダーの教科書に。


青木:

すばらしい教科書ですね。


中島:

それを選んでくれた先生がすごいなと思って。


青木:

それまで黒人の皆さんは奴隷として苦しい生活をやってるじゃないですか。だから憂さ晴らしとして音楽で憂さを晴らすわけですよ。たとえば教会に行ってみんなで踊りながら歌って憂さを晴らす。教会では歌えない歌は自分の家の軒先で、自分で作ったギターを爪弾きながら野卑な歌を歌うわけですよ。こうしてブルースが生まれるわけです。


中島:

いわゆるやっちゃう歌です。「あいつのケツはすげえ」とか、「俺のここはすげえ」とか。


青木:

ブルースの歌って全部それですもんね、女と酒の歌ばっかりですよ。


中島:

あとは綿花を摘みながら自分たちの苦しい労働を紛らわせるための労働歌みたいなものね。


青木:

明るい歌はないですよね。やっぱりブルーな歌ばっかり。


中島:

やっぱりブルースなんです。


青木:

それが南北戦争を経て、ラッパとかいろんな楽器を手に入れる。これを使ってなにか商売できるよねというのでみんなが始めたのがお葬式屋さんなんです。お葬式がある、お葬式をやったあとのご遺体をお墓まで持っていく。そのときに黒人の楽隊が曲を弾くわけ。なんていう曲を弾くかというと「聖者が街にやってくる」という。


中島:

これが本当にジャズなんですよね。


青木:

聖者というのは実は亡くなったかたのことなんですね。それで静かに静かに墓まで連れていって、埋葬したあとは気分を変えようぜというので明るい音楽をやるわけ。これがジャズの始まりだと言われているんです。


中島:

すごいですよ。そこに音楽が絡んでくるというところがおもしろいんですよね。


青木:

世界史の教科書にはジャズのことをなんと表現しているかというと、黒人の音楽が白人の楽器で表現されたと。


中島:

そういうふうに世界史の教科書には


青木:

書いてありますね。


中島:

この音楽があったというのはすごいブラックライブズマターにとっては大きなことだと思うんですよ。


青木:

そう。結局そのミュージシャンたちが運動の先頭に立ったわけです。あるいはみんなの気持ちが歌で表現されて共通認識が生まれていったりとかするのでね。


中島:

本当に音楽ってすごいな、力がですね。


青木:

そうですね。差別なんですけども、残るわけです、差別は。これまで100年以上にわたって黒人を奴隷としてこき使ってきた白人たち、今更平等だと言われてもねというので結局州単位で黒人が実際に権利を行使できないような法律を作っちゃうんですよ。たとえば黒人の多くは読み書きできないと。読み書きできない人には参政権は無理だよね。あるいは住所不定で移動する人たち、黒人に多かったらしいんですけども、そういった人たちにも参政権は与えられないよねと。あるいは黒人の皆さんが選挙人として登録をすると、今でもアメリカはそうなんですが、日本みたいに投票用紙を送ってこないですよね。自分は投票の意志がありますというのを登録せないかんのです。その登録する場所に白人のならず者がいて、「来るな、帰れ」と。選挙人としての登録ができないよするとか。それでもやろうとするとテロをやるわけですよ。クー・クラックス・クランという、KKK。よくアメリカの映画で白い頭巾を被った変な連中、あの連中が暴力を振るうわけです。権利を主張する黒人、あるいはその黒人に対して好意的な態度を取る白人たちが次々と木に吊るされていくわけですよ。これを歌った歌が。


中島:

そうです、「Strange Fruit」という、「奇妙な果実」という、ビリー・ホリデーというジャズボーカルの女性が歌った歌が結局「奇妙な果実」ですよ。木に吊るされてるんですよ。それを歌ったという。


青木:

しかもそれが絵はがきになったりして売られたりするわけ。


中島:

最悪ですね。


青木:

これはボブ・ディランの歌の中に出てきますよ、「変な絵はがき買っちゃったぜ」と。そういうことが横行するわけです。

20世紀、第一次世界大戦が起こりましてアメリカは参戦します。第一次世界大戦をきっかけにアメリカの工業は一層発展するわけです。すると北部の工業地帯で労働力の不足が起こってくるわけです。

19世紀の後半からアメリカの工業って急速に発展するわけです。そのときの労働力を支えたのはなにかというと、ヨーロッパからやって来た移民たちだったんです。たとえばイタリア系の移民、ギリシャ系の移民、ロシア東欧系の移民。第一次世界大戦のときの工業化の進展を支えたのは南部から移住してきた黒人たちだったんです。

南北戦争が終わって40年ぐらい経っていますよね。南北戦争のときの黒人の皆さんの子供たち孫たち。この子たちは読み書きできるんですよね、ある程度。工場で働くためには機械のマニュアルを読めなくちゃいけないから読み書きが必要なんです。南北戦争直後の工業化を支える労働力に読み書きができない黒人たちはなれなかった。でも第一次世界大戦前後の工業化の発展は黒人たちも支えることができるんです。この第一次世界大戦の前後に南部の黒人たちの多くが北部の工業都市、たとえばデトロイトとかニューヨークとかシカゴとか、そういったところに移住してきて、しかし差別はあるわけですよ。だから都市の一定区域の中に居住するようになる。いわゆるハーレムと言われる地域です。そこで自分たちの音楽を奏でるわけ。するとその周辺に住んでいた白人たちが「かっこいいじゃん」というので、黒人のクラブに白人たちも通うようになって、しかもデューク・エリントンとかそういったスターも出てくるわけですよ。こうして黒人たちの音楽のジャズがアメリカ全体に広がっていくわけです。

さらに当時ラジオも放送が始まるので、こういったツールを使って、黒人の音楽だったジャズがアメリカの音楽にだんだん


中島:

なっていくということですよね。


青木:

ただ差別は続くんです。


中島:

音楽は受け入れられるのに、差別は。ミュージシャンもずっと差別されるんですよね。すばらしいミュージシャンも。


青木:

これは根強く。たとえば白人の黒人の混成チームだったら黒人だけは楽屋が別のところとか、廊下に置かれたりとか、料理が違ったりとか。そういう中でベニー・グッドマン、あのかたはユダヤ系のアメリカ人。白人なんですけどね。あのかたは自分のチームに黒人を率先して入れていくんです。


中島:

ベニー・グッドマンのリズム隊は本当に黒人のドラマーのすごいものなんですよ。


青木:

ベニー・グッドマン自身も白人の中ではマイノリティ、ユダヤ系だったので。それもたぶんあったと思うんですよね。音楽の分野では人種の垣根というのは少しずつ、取っ払われるまではいかないけども、それで20世紀になっても差別は続くと。第二次世界大戦。第一次世界大戦のときも黒人の部隊は編成されていくんですよね。そこそこ活躍をすると。第二次世界大戦のときにはもっと活躍するよね。特に第一次世界大戦のときとの大きな違いは黒人兵だけの航空隊が組織されるんです。もともと黒人の航空部隊というのはなかったんです。人種的に黒人は劣るという偏見があって。ところがそうではないと。黒人が通っているタスケギー大学という大学があって、そこの出身者たちを中心にして黒人の航空隊が組織されて、ヨーロッパ戦線に送られて大活躍するんです。レッドテイルズといって機体を一部を赤く塗るんですよ、それが目印になる。ものすごく技量が高かったので、白人の爆撃隊の連中がレッドテイルズに護衛してもらいたいと。10年ちょっと前に映画になりました、レッドテイルズ。製作総指揮はジョージ・ルーカス。日本では封切られてないですけどね。そういったことで黒人たちも戦争で頑張ると。そういったこと、あるいは戦争を支える工場でこれまで以上に黒人の労働者が雇用されるようになるわけですね。白人と黒人がアメリカの勝利のために共に頑張るみたいなことがあって、第二次世界大戦後に黒人の権利は平等であるべきだというふうないわゆる公民権運動というのが盛り上がっていくことになる。


中島:

そこから公民権運動につながって。


青木:

戦争は大きいですね。第一次世界大戦をきっかけにして女性たちの社会進出が強まって、それが女性参政権の大きな背景になるんです。戦争そのものはもちろんとんでもない話なんだけども、それがそれに携わった人たちの権利を大きく発展させていくというのは歴史的によく見られますね。


中島:

公民権運動でもう1回ぐらいやらないといけないですね。








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