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スタッフきつね

【核兵器の歴史】マンハッタン計画そして広島・長崎【青木裕司と中島浩二の世界史ch:0055 】



世界史参考書の超ロングセラー『青木裕司 世界史B講義の実況中継』シリーズの青木裕司先生と、福岡を中心に活動する人気タレント中島浩二さんの青木裕司と中島浩二の世界史ch」の文章版です(許可を得ています)。


動画版:【核兵器の歴史】マンハッタン計画そして広島・長崎

中島:

歴史を紐解けば未来が見える。大人の世界史チャンネル中島浩二です。そして河合塾のカリスマ講師、世界史の青木先生です。よろしくお願いします。


青木:

お願いします。


中島:

今回から核という話です。


青木:

核兵器の開発の歴史、特に今アメリカとロシアと中国の関係があまりよろしくないと。ご存知のように北朝鮮もバンバン核開発をやって弾道ミサイルをボンボン打ち上げると。ところが核兵器みたいなものに関する知識を皆さんがあまり持っているとは思えなかったので、授業をやっていても結構みんな知らないんですよ。言葉としてはINF全廃条約、なんかあったねと。あるいは核拡散防止条約あったね、どんなものなの?と。それを紐解いてみたいなと思ったわけです。

核兵器、原子爆弾ですね、最初に開発された核兵器といえば。ご存知のようにアメリカが最初に開発して日本に投下しちゃったと。


中島:

あれも第二次世界大戦が終わろうとしているときにアメリカとイギリスと、トルーマンとチャーチルとスターリンが話をして「どんなふうに分割しようか、もう俺たち勝ったね」みたいなときにトルーマンのところにどうやら「核ができました」という連絡が入ってというと

ころ。唯一の我々は戦争で使われた核の被爆国ですよね。


青木:

開発の始まりは1939年。第二次世界大戦がヨーロッパで始まる。まだアメリカは参戦していないんですけども、ナチスドイツの弾圧を避けてユダヤ系の科学者たちがたくさんヨーロッパ、特にドイツからアメリカに亡命するわけですよ、代表はアインシュタインですよね。そういう中の1人だったレオ・シラードという原子物理学者が当時のアメリカ大統領のルーズベルトに手紙を送るんです。アインシュタインにもサインしてもらうんですけどね。その中でなんと言ったかというと、ドイツの原子物理学はものすごい発展していると。ドイツは下手をすると核兵器を持つ可能性がある。しかもリーダーはヒトラーというああいう独裁者だ。だから使ってしまう可能性があると。ヒトラーに核兵器を使わせない唯一の方法はアメリカも核兵器を持つことです。核兵器を使ったらヒトラー、報復されるぞと、これが唯一の抑止力になるだろう。これがきっかけになります。


中島:

本当に戦争とは狂気ですね。


青木:

1941年に日本の真珠湾攻撃からアメリカも第二次世界大戦で参戦しますよね。42年の1月から具体的な活動が始まっていくわけです。原爆開発の活動、いわゆるマンハッタン計画


中島:

でもこれが本当に秘密裏にずーっと行われていて、そこで働いている人たちもよく知らなかったという。


青木:

トップのトップの人間しかなにを作っているかという全体像はつかめていなかった。


中島:

みたいですね。


青木:

軍人でグローブス准将という人がいて、科学者ではオッペンハイマー、この2人なんですけどね、トップ中のトップは。結局1945年7月、もうドイツは降伏しています。日本に対して無条件降伏を要求するポツダム宣言、それを発する直前に核爆発実験が成功するわけですよ。実戦に配備された核兵器ですね、原子爆弾。日本に対して無条件降伏をしなかったら我々はとんでもない兵器を使う準備があると。もちろん日本としてもそれが原子爆弾とわからないですよね。8月6日に広島、8月9日に長崎に投下されてしまうわけですね。


中島:

そのあたりの歴史というのは皆さんご存知だろうし、なかなかここでは詳しくはご紹介しないですけれども、本当にこんなに非人道的な兵器があるものかというふうなことですよね。


青木:

しかも広島型原爆というのはウランの核分裂を利用したやつ。長崎に落とされた原爆はプルトニウムなんです。


中島:

それぞれ違うものを。


青木:

という意味で実験なんですよ。


中島:

ということもあとからわかると本当に残念だなというふうに思うし、被害の出方が違うんですよね。長崎のほうは風みたいなところ、爆風というのも相当すごかったという。


青木:

広島は8月6日の午前8時12分かな、快晴だったんですね。ちなみに僕は戦時中の新聞をずっと見ていたんです。天気予報が載ってないですね。天気予報って軍事機密なので、戦争中って天気予報がないんです。米軍としては事前に観測機をいっぱい飛ばして、どこが晴れなのか、変な言い方になるけど原子爆弾を落とすのに良い状況なのかというのをずっと調べて回るんです。


中島:

最初に偵察機が通って、空襲警報が鳴って、偵察機が去ったあとに「大丈夫だね」ってみんなが街に出だしたときに落ちたみたいですけどね。


青木:

広島の街中に相生橋というのがあって、その上空600メートル、狙って狙ってドンピシャそこで爆発するんですよね。これは広島市のホームページに書いてあったんですけども、その年、1945年12月までに14万人亡くなっている。当時の広島の人口が34万人なので、1/3以上ですね。


中島:

が亡くなって。


青木:

即死のかた、それからその年のうちに亡くなったかた。2発目が8月9日で長崎だったけど、有名な話ですね、第一目標は実は長崎ではなくて小倉だったと。


中島:

実際にさっき先生がおっしゃったように、天気が悪かったらしいんです、雲がかかってよくわからなかったと。


青木:

ついこの間のドキュメンタリーでやっていたんですけども、実は小倉にB29が飛んでくるときに、製鉄所の労働者の人たちがタイヤ燃やせと、重油を燃やせという命令を受けて火をたいたと。自分たちはなんでこんなことをするのかわからなかったと。あとで長崎に原子爆弾が落ちたというのを聞いて、ひょっとすると小倉に落とさないための作戦だったのではないかと。ちなみに2機目のB29って飛行経路を間違えたりいろいろやって、小倉上空に到着したときにかなりの燃料を使っていたんです。作戦本部からは「すぐに戻ってこい」と、燃料が足りなくなるからと言われたんだけども、爆撃を操縦していたチャールズ・スウィーニーという機長が、名前を歴史に残したかったんですかね。第二目標のひとつであった長崎に落としていくわけですよね。さっきおっしゃったようにあんまり狙ってないんですよ。街の中心部からちょっと外れてるんです。その長崎でも1945年12月までに7万4000人、当時の長崎の人口が24万人なので、死者が割合は広島より少ないんですけどね、これは爆弾が落ちた場所がちょっと離れたところだったということもあったようですね。


中島:

その悲惨なことを経験している国だからこそ声高に、本当は叫ぶべきなのに、日本の矛盾というのがありますけれども、ちょっとその話は置いておきましょう。


青木:

ちなみに原爆を投下した側のアメリカ側の議論なんですが、自分たちの原爆投下を正当化するためによく使われる議論として、「原爆を使っていなかったらもっと死者が出てたよ」

と。


中島:

それは嘘です。


青木:

我々アメリカを含む連合軍は日本の本土に上陸作戦を展開、たぶんそれでイギリス軍アメリカ軍、50万人死んだだろうと。迎え撃つ日本の皆さん、あなたがたも150万人は死んでいると。だから200万民の命を救うためにやむを得ず原爆を投下して降伏を早めたんだと。まずその論理と立て方自身がダメですよね。


中島:

これは実際に歴史的に検証されてるんですよね。あとからそういうふうなことを作ったという話。


青木:

残念ながらアメリカにはそういうことを信じている人たちがたくさんおられて、ただひとつ救いがあるのは、お年寄りの皆さん、アメリカ人のかたのお年寄りの皆さんはそういう認識を持っている人が多数派なんです。ところが若い諸君はそうじゃないんですよ。半分以上「あの原爆投下は必要なかった」と。


中島:

ほぼ日本はダメな状態まで追い込まれていましたからね。


青木:

それはアメリカ軍自身もわかっていて、このままの通常の攻撃を続けていけば10月ぐらいま

でにたぶん降伏しただろうと。実はアメリカの歴史の教科書なんですよ。


中島:

先生、そんなの持ってるんですか。


青木:

なんでも持ってます。これめちゃくちゃ分厚くて。


中島:

マニアなんです。書斎を見たらなんでもありますから。ドラえもんのポケットがこの書斎みたいなものですから。


青木:

そこの中にしっかりと原爆投下について書いてある。しかも感心したのは「原爆投下についてあなたはどう思いますか?」と。さっき言ったように原爆投下によって多くの命が救われたという議論がある。もうひとつ、カウンターの考え方、反対する考え方がある。「あなたはそれを読んでどう思われますか?」というのを生徒に問題提起してるんですよね。こういうところって、再三僕は言ってるけど、アメリカって信用できるんじゃないかなと。


中島:

歴史的な事実を検証しながら「それについてあなたはどういう意見を持っていますか?」ということを考えさせる歴史の授業なんですよね。


青木:

これは理想ですね、はっきり言って。


中島:

これは日本とは違いますね。


青木:

ただ、考えさせるためにはいろんな事実を知っておかにゃいかんわけです。だからこれだけ分厚い教科書になるわけ。今度教育課程が改編されて、教科書の内容がスカスカになりそうなんですよ。それじゃダメですよ、本当。


中島:

先生、これはYouTubeですけれども、どんどん言っておかないと、それはダメですよね。


青木:

たくさん知らないとわからないって。


中島:

検証できないですもんね。


青木:

できない。ついでに言うと、ちょっとあとのページにはアメリカが第二次世界大戦中に日系の市民だけを隔離して強制収容するんです。これはアメリカ政府が謝罪しましたけど、これ

についてもしっかりとページを取って、見開き2ページ


中島:

負の歴史もちゃんと教科書に載せているということですよね。


青木:

日本の教科書もそうなんですけどね。アメリカの場合はもっと詳しいですよ。ということでチャイム鳴りましたね。


中島:

今回、核の話だったんですけれども、なかなか広島長崎というのは我々の日本の出来事なので


青木:

簡単には語れないですよね。


中島:

そうなんですよね。ただ、今ある核の脅威というのがどういうものなのか。それに対して1945年の核爆弾の投下から人類はどんなふうに歩んできたのかという60、70年ぐらいの歴史を見ていこうということでの1回目でした。


青木:

今日は1回目です。








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