世界史参考書の超ロングセラー『青木裕司 世界史B講義の実況中継』シリーズの青木裕司先生と、福岡を中心に活動する人気タレント中島浩二さんの「青木裕司と中島浩二の世界史ch」の文章版です(許可を得ています)。
(前回の記事【核兵器の歴史】マンハッタン計画そして広島・長崎はこちら)
動画版:【核兵器の歴史③】人類史上最大の危機から
中島:
歴史を紐解けば未来が見える。大人の世界史チャンネル中島浩二です。そして河合塾のカリスマ講師、世界史の青木先生です。よろしくお願いします。
青木:
お願いします。
中島:
核という話をしておりますが、1960年代。
青木:
60年代、1962年ですよね。核兵器の開発を進めてきたアメリカとソビエト連邦が一触即発の危機になるわけですね。
中島:
キューバ危機。
青木:
キューバにソ連が核ミサイル基地を作る、アメリカはそれを許さないというので、キューバを舞台にして米ソの対立が激しくなって、下手をすれば核ミサイル発射ボタンに手がかかると。
中島:
一歩手前まで行ったよというのは以前の大人の世界史チャンネルを見ていただければわかりますけれども。
青木:
幸いにして核戦争は起きなかった。だから我々はこうして生きていられるわけです。前回も言いましたけど人類史上最大の危機と言って良いです。
中島:
あそこで核戦争が起こっていたら地球上の人口が
青木:
3分の1は最低でも。
中島:
こんな話なんですよ。それが今はたくさんいろんなところがもっともっと持っているということですよね。
青木:
幸いにも起きなかったのでみんなほっとしたわけですよ。ほっとしたのは当時ソ連のリーダーだったフルシチョフもそうだし、アメリカの大統領だったケネディもそうだったんです。これからはあんな緊張感は嫌だから仲良くやっていこうと。いわゆる米ソ間の緊張緩和、デタントというのが進められていく。そのデタントを進めるときの大きな一歩として1963年、キューバ危機の翌年ですね。米ソを中心として部分的核実験停止条約、あるいは部分的核実験禁止条約が結ばれるわけですね。核実験を制限すると。大気中核実験、宇宙核実験、それ
から水中核実験、これを禁止する。よって事実上できるのは
中島:
地中だけ。
青木:
そうですね、地下ですね。地下の核実験。地下に核実験場を作ってそこで実験をやるってものすごい手間暇がかかると。手間暇がかかるようにすることによって核兵器開発のスピードを緩めよう、それによって緊張感を
中島:
緩和させようと。
青木:
これに調印したのがアメリカ、ソ連、そしてアメリカの同盟国であったイギリスだったんです。しかし核兵器をすでに持っている国、あるいは持とうとしている国の中で2国がこの条約に調印しなかった。誰かというとフランスと中国なんですね。
中島:
そういうことができないということですよね。
青木:
そうです。フランスは1960年、ド・ゴール大統領のときにサハラ砂漠で大気中核実験をやっているんです。ただ、核兵器って危険なので、実験に実験を重ねていかないと、変な言い方になるけど安全に使えないわけですよ。フランスのド・ゴール大統領に言わせると、「いやいや、まだ俺たち実験データ揃ってないよ」と。中国もそうです。「俺たち今から核兵器の開発をやろうと思ってるのにそんな手間暇かかる地下の核実験場だけ?冗談じゃない」というので、中国とフランスは現在に至るまでの部分的核実験停止条約に調印していないんです。
中島:
意外とフランスって核に関してはすごいんですよね。
青木:
特にド・ゴールってアメリカやソ連の言いなりになりたくないというのがあるので、そのための武器というか、そのための基盤として核兵器を持ちたいという気持ちはあったみたいですね。
中島:
フランスって好きな国ですけど、その点においてはいつもなんでそんな考え方なんだろうなって思っちゃうんですけどね。
青木:
被爆国の国民としてはマクロンさんと習近平さんに言いたいですが、一刻も早く調印してください。ただこれはそういう問題はあったけど大きな一歩だったのは間違いない。
そしてそれから5年後の1968年によく話題になる核拡散防止条約、Non-Proliferation Treatyと言いまして、新聞の見出しではよくNPTと略称で言うんです。これも条約の内容を簡単に言っちゃうと、核兵器の保有については1968年当時核兵器を持っているアメリカ・ソ連・イギリス・フランス・中国だけに限ると。それ以外の国々に対して核兵器開発の技術を拡散しないようにすると、そういう条約なんです。きっかけはなにかというと、まずアメリカがビビっちゃった。どういうふうにビビったかというと、ソ連が東ドイツに教えようとしてないかと。一方ソ連はソ連で「おい、アメリカよ、日本と西ドイツに核兵器の開発をさせようと
してるんじゃないか」と。
中島:
これが憶測だけで。
青木:
お互いに疑心暗鬼なんです。
中島:
そういうことなんですよね。
青木:
ただこの疑心暗鬼が功を奏したという言い方も変なんだけども、お互いそんなに不安だったら、むやみやたらにいろんな国々に教えないような条約を結べば良いじゃないかと、舞台が国連総会の場に移るわけです。国連総会の場でみんな見ている目の前でみんなが調印して、多くの国連加盟国が調印して、核兵器の技術に関してはこの5か国だけ。中華人民共和国は当時はまだ国連に加盟していませんけども、みんなに教えないようにしましょうねと。これによって拡散は防止すると。核を持っていない国々からすれば、お前らいつか核兵器の保有を廃棄しろと。それについては彼らも当然うんとは言わないわけです。これについては今後の努力目標にしましょうと。核兵器を廃絶する方向に向かって努力をするようにしてくださいと。努力はしようみたいなことをほざくわけですよ、核保有国。ただ全体としてはさっき言ったデタントの枠の中で米ソが歩み寄る中で、これも大きな一歩であったのは間違いない。
さらに1968年、この年に大統領選挙があって、ニクソンという大統領が大統領になる。この人は中国との国交も樹立したし、ソ連との関係の改善のために努力した大統領。いろいろ人気はないんだけども、外交的にはそれなりの、僕はそう思います。
中島:
悪いところもあるけれども良いところ、評価すべきところは外交だと。
青木:
そうですね。実際に戦略兵器制限交渉というのを始めるんです。機関銃とか戦車みたいな戦術的な兵器じゃなくて、スケールのでかい武器のことを戦略兵器と言うんです。それについてはっきり言っちゃうと核ミサイルです。核ミサイルの保有について制限していこうと。戦略兵器制限交渉というのが69年に始まって、72年に妥結するんです。このときは核兵器を運搬する爆撃機、あるいは地上発射台、これについて制限すると。お互いに廃棄したというこ
とを信用できないからお互いに査察団を派遣して、確かに破壊しましたよね、そういうこともやっていこうと。さらに69年から同じように迎撃ミサイル制限条約というのも結ばれるんです、米ソ間で。ソ連から飛んでくるミサイルを撃ち落とすためのミサイル、これを迎撃ミサイルと言うんです。アメリカもそれを開発するし、ソ連もそれを開発する。ところが開発の途中で米ソは気づくんです、「これは不可能ちゃう?」って。
中島:
迎撃ミサイルの精度という話なんですよね。これがなかなかも難しいみたいですね。
青木:
たとえて言うとゴルフの打ちっ放しの練習場、みんながやるじゃないですか。それを向こう側からゴルフボールを打って撃ち落とすぐらい難しいんだって。
中島:
ほぼほぼ難しいという。
青木:
マジにやろうとするとどれだけお金がかかるかわからないよというので、じゃあお互いに迎撃ミサイルについては持たないようにしましょうねという協定が結ばれるんです。
こうして60年代、キューバ危機のあと、70年代にかけて米ソ関係というのはかなりうまくいったんです。
ところがそれを一変させたのが1979年のソ連によるアフガニスタン侵攻。ソ連が自分と仲の良い体制、アフガニスタンにおける自分の仲の良い体制を守るために国境線を犯して、自分にちょっと歯向かう雰囲気のあった体制を打倒しちゃう。これにアメリカが激怒するわけですね。一挙に米ソ関係が悪くなって80年代を迎えるわけです。そのときにアメリカの大統領だったのがロナルド・レーガンという人で、彼はソ連のことを「悪の帝国」と。これまでの緊張緩和政策というのはソ連をつけあがらせるだけだったと。これから私はソ連に対して厳しく対応するよと。具体的に国家予算、国防予算を2倍にして100兆円にするんですよ。
中島:
意外とタカ派というか、もともと役者さんみたいな人で顔つきは穏やかですけど、そうじゃないんですよね。
青木:
めっちゃタカ派だった。ところがレーガンがおもしろいのは、ソ連をなにによって追い詰めるかというと軍事力なんだけども、それは核兵器ではないというんです。彼は核兵器反対なんです。核を使うのは潔くないと。彼はもともと西部劇の俳優だったんです。
中島:
役者さんではありましたけど。
青木:
西部劇で一番有名なシーンといったら決闘するシーンですけど、1、2の3で振り返ってバンと。このときにショットガンを撃つのは卑怯だと。核兵器は散弾銃を撃つようなものだというので、ソ連は追い込むけどもあくまでも通常兵器で追い込む。だから核に関しては軍縮の交渉をやるんですよ、ソ連と。ところが根本に対立があるので核軍縮交渉がうまくいかない。特に世界の耳目を集めたのが中距離核戦力全廃条約。それに向けての交渉だったんです。中距離核戦力というのは射程距離が5500キロ以下。結論を言っちゃうと、モスクワからニューヨークを狙うようなミサイルじゃないんです。米ソという東西の親分同士が撃ち合うようなミサイルじゃなくて、たとえばソ連からアメリカの同盟国であるヨーロッパを狙う、あるいはアメリカが同盟国であるヨーロッパがソ連や東ヨーロッパを狙う、あるいは日本が狙われる。
変な話だけども、米ソの子分たちにとってすごく
中島:
大変な話なんですね。
青木:
それを打ち切ったのでヨーロッパを中心に反核運動がバーっと盛り上がっていくわけ。「おい、アメリカとソ連、使う気じゃないか?」と。使う舞台はどこかといったらヨーロッパだと。核戦争が実際に起こったらどうなるのか、日本人、知ってるよねと。日本の被爆者の皆さんがヨーロッパに呼ばれて、それが50年代に続いて80年代の前半に反核運動が盛り上がっていくわけ。そういう中で国連総会の場で広島の被爆者のかたが「ノーモアヒロシマ、ノーモアウォー」と、あの演説をされるわけです。
中島:
話しているだけでも息が詰まりそうですね。なんでそんなものを作り出しちゃったの?というところもあるし、それに振り回されちゃって全然世の中が楽しくないですよね。
青木:
そうですよね、こんな時代嫌ですよね。
中島:
そうですね。でも今もってこの脅威は続いているということで、80年代の初頭ぐらいまで今に行きましたけれども。
青木:
あと1回ぐらいかな。
中島:
そのあとから現在までどんなふうになっているかという話をします。
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