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【古代ギリシア②】ソクラテス以前の古代ギリシア哲学【青木裕司と中島浩二の世界史ch:0069】



世界史参考書の超ロングセラー『青木裕司 世界史B講義の実況中継』シリーズの青木裕司先生と、福岡を中心に活動する人気タレント中島浩二さんの青木裕司と中島浩二の世界史ch」の文章版です(許可を得ています)。


動画版:【古代ギリシア②】ソクラテス以前の古代ギリシア哲学

中島:

歴史を紐解けば未来が見える。大人の世界史チャンネル中島浩二です。そして河合塾のカリスマ講師、世界史の青木先生です。よろしくお願いします。


青木:

お願いします。


中島:

古代ギリシャです。前回はいろんな雑多な話をしましたけれども、なんで紀元前500年頃にあんなやせた土地で文明国家、そして文化・思想が花開いたのかというところなんですけれども。


青木:

前回も言いましたようにギリシャってすごく貧しいんです。だから農業をやってそれで穀物を自給して生きていく。江戸時代の日本みたいな、あんなことはできないんです。だから基本的にはほとんどのポリス、都市国家が貿易で飯を食っているんです。貿易で飯を食うとい

うことは水平線の向こう側まで行くじゃないですか。そうするといろんな文化の刺激を受けるわけです。内容が非常にきらびやかで多様性に富む、今で言うダイバーシティに富む文明というのが発展していく。


中島:

なるほど。いろんなところから来た文明がそこに集約されて、良いとこどりになってダイバーシティになるということですか?


青木:

そうです。特にギリシャ文明が大きな影響を受けたのは当時で言う古代オリエント。エジプトとかメソポタミアとかあそこらへんです。これはギリシャの地図なんですけども、突端にペロポネソス半島というのがあって、ちょうど赤ん坊が手を広げているような形をしてるんです。生まれたばかりのギリシャは思いっきり手を広げてオリエントから吹いてくる文明の風を受け止めた、みたいな表現がされている。

さっき言ったように生きていくにはかなり過酷な場所なんです。人々がものすごく努力するわけです。ボーっと生きていたんじゃやっていけないところなんです。頭の中も活性化されると。運命に自分の身を任せるんじゃやっていけないところなので、なんでそうなるのか、いろんな事情について、あるいは人間社会について、なんでそうなるのか、きちんきちんと理詰めで追及していってその結論に達するみたいな、そういう思考回路というのができていくんです。単純な比較になっちゃうけど、豊かなところってある意味ボーっと生きていってもいけるんですよ。


中島:

そうなんですよ。これ昔から言われるんですけど、実際そうですよね。自然環境が過酷なところってやっぱり知恵を働かせなきゃ生きていけないし、そうなんですね。


青木:

世界的に見てみるとそんな感じがしますね。基本なにが幸せかわからないけども、厳しい環境の中に生きている人ほどピリピリしながら。失敗が許されない、失敗が許されない社会だとすれば失敗しないように原因を追究したり、いろいろなことを筋道立てて考えていくと。いちかばちかに任せて良いのはアジアなんですよ。ヨーロッパ、特にギリシャとかイギリスって賭けたら負けるんです。


中島:

イチかバチかでは絶対に負けるからやっぱり考えてなんだかんだしていかなきゃいけない。


青木:

世界中の多くの地域で自分にとってわからない現象は神がそれを欲したものだと。神様の思し召しなんだと、これで説明してきておったわけです。ギリシャもそうなんです。ギリシャも神々っていて、ただ他の地域の神々と違うのはなにかというと、ギリシャの神々は人間的なんですよ。


中島:

ギリシャ神話ですよね、いわゆる。へべれけとかそういう話じゃないですか?へべれけってよく酒に酔って言いますけれども、酒を注ぐ女神様のことですよね。


青木:

そうだったんですか。知らなかった。黙っててください。授業でも偉そうに言って。


中島:

神様のせいにするというのは、自分たちでどうしようもないことを神様のせいにするというのは、人間は結構昔からやってきたんですよね。


青木:

ただし先ほど言ったようにギリシャの神々って人間と同じ形をしている。ギリシャ人で厳しい環境の中で頑張ってきたぶんだけすごい自分に自信があるみたいで、たぶん偏差値的には偏差値85ぐらいある。神様も90ぐらいある。俺たちがやることは神様もやられるんじゃないかと。それこそギリシャ神話なんて話の半分はゼウスの話なんです。ゼウスの浮気の話なんですよ。他の地域の神様は浮気なんかしませんよ。


中島:

そうなんですか。ギリシャ神話って読んだことがないので。


青木:

ほとんどがゼウスが人間の女と浮気をして奥さんが怒って、なんだかんだなって人間社会にいろんな悲劇がもたらされると。


中島:

えー、そういう話なんですか。


青木:

そんな話ばっかりですよ。


中島:

言っても日本の『古事記』もわりと大変な話はいっぱいありますけども、ちょっと近いところがあるんですかね。


青木:

そうかもしれない。そういうふうにしてちょっと神々の質は違うけども神様のせいにしようと。でもそれだけじゃダメだよねというので人間の理性を働かせていろいろな現象について解き明かしていこうと、そういう動きというのが紀元前6、7世紀ぐらいから起こってきた。

ギリシャにも自然哲学というのが。神々の仕業によっていろんなことが起こる、いやいや、これは神様はたぶん上から見てるだけだと。なんらかの原因があって自然現象もなにもかも起こってくるんじゃないか。まずは人間を取り巻いている自然現象、その本質について追及していこうというので自然哲学というのを始めたわけです。


中島:

今って勉強がかなり細分化されていますけれども、そうじゃないんですよね。いろんなものが実はつながっていてということですよね。だから自然哲学といったら理科とか科学とかそっちのほうにもいろいろ分野としては。


青木:

そうそう、だから幅広いと。もともとは哲学というのも明治の日本人が作った言葉なんだけど、西周さんかな、福沢諭吉の。あの人たちが作った言葉で、もともと英語でフィロソフィーでしょ。フィロソフィーの語源はなにかといったら、フィロが愛する、ソフィーは知識。

知を愛すること。愛知県。


中島:

知を愛すると書きますね。


青木:

そうですよね、由来は知らないけどたぶんそういう意味でしょうね、知を愛する。日本語で言ったらフィロソフィープリフェクチャーですよ。


中島:

愛知県ということですね。


青木:

自然の本質はなにかというのを探っていって、まずタレースという人が登場して「万物の根源、これは水である」と。なんで水と言ったかについてはいろいろあるんですけどね。それからピタゴラス。「万物の根源は数である。必ず数式によって表現できる」と。


中島:

数学者ですからね。


青木:

「万物の根源は原子である、アトムである」と言った人がいて、これがデモクリトスという。万物の根源は物質だと。今でも哲学会で大きな論争があって、世界の本質は精神なのか物質なのか。物質だという人たちのことを唯物論者といって、精神だという人のことを唯神論者と言いますけども、唯物論者の系譜をずっとたどっていったらデモクリトスという。彼に通じていくんじゃないかという感じですね。

ちなみに社会主義者のカール・マルクス、彼も哲学科の出身なんですよ、大学。卒業論文が

確かデモクリトスなんです。


中島:

そうなんですか。世界の根源がなんであるかということを、そこで数であるという人がいたり、精神であるという人がいたり、物質であるという人がいたり、原子であると、すごいですね。


青木:

いろんな議論が出てきたんですよね。どれが正しいかということについての論争は必ずしも起こったわけじゃないみたいなんですよね。ただいろいろな議論が出てきてだいたいわかったと、自然の本質。次はなにを探求すべきかというと、我々自身。人間、そして人間の作る

集団である社会とはなんなのか、これについて探究が始まっていくわけです。その人間とはなにか、社会とはなにかについて初めて問いを発し答えを出した人たちのことをギリシャの哲学史の中ではソフィスト。直訳すると「知恵がある人」。彼らが活躍したのがちょうどギリシャで民主主義が発展していく時期なんですね。民主政の発展期になんでソフィストと言われる人たちが活躍したのか。よく世界史の教科書ではソフィストとは職業的な先生であったと。弁論術、あるいは作文の技術、そうしたものを教える職業的な先生たちであったと書いてあるんだけども、彼らがしゃべり方、あるいは綴り方みたいなものを教える一方で説得力ある議論を展開するために人間についての本質、社会についての本質ついて探究し始めたんです。それを身につけると民主主義社会では出世ができるんです。これはギリシャって直接民主主義じゃないですか。だか

ら奴隷ではない成年男子たちがアゴラと言われる広場に集まってきて直接民主主義だから皆で議論するわけです。そういう社会でそういう政治決定システム中で一番目立たない人は黙って下を向いている人です。二番目に目立たないのは「僕もそう思います」という人。一番目立つのは「人間とはこうなのだ、社会とはこうなのだ。だからこのポリス、アテネはこうでなければならないのだ」と。みんなから拍手を受けるような人です。これが民主主義社会、いわゆる民主政の社会で目立つ存在。

だからある意味人間や社会について考察をするというのは出世のひとつの手段だった。よく言われるんですよ、「先生、ソフィストって今の日本でいったらどんな人たちですか?」って。「俺たちだよ、予備校の教師だよ」って。特に社会科学系、小論文の先生。そういうものをイメージすれば良いんじゃないかと。

その彼らが議論するときに負けたくないじゃないですか。負けたくないからどういう姿勢をとりがちかというと、ひとつは懐疑的態度、いろんなものに対して疑う。もうひとつは相対的態度。「その議論はあんたにしか通用しない。私には通用しない。真理は相対性がある。みんなに通用する真理は存在しない」と。あるいは「お前、そんなこと言ってるけど見たんか」と。こういう態度を、こういう姿勢をとることによって議論の現場で負けないようにするというのがあるわけです。


中島:

なるほど、方法論としてですね。


青木:

それを批判しながら登場したのがソクラテス先生なんです。


中島:

どんどんおもしろくなっていきますね、古代ギリシャ。じゃあ次はソクラテス先生および、今いろんな民主政治というふうな話をしましたけれども、政治システムということをもうちょっと語っておかなきゃいけないですよね。


青木:

次回はそのへんを含めて。


中島:

わかりました。








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