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戦後日本の国際関係(3)日中国交正常化と賠償 【青木裕司と中島浩二の世界史ch:270】



世界史参考書の超ロングセラー『青木裕司 世界史B講義の実況中継』シリーズの青木裕司先生と、福岡を中心に活動する人気タレント中島浩二さんの青木裕司と中島浩二の世界史ch」の文章版です(許可を得ています)。


中島:

歴史を紐解けば未来が見える。大人の世界史チャンネル中島浩二です。そして河合塾のカリスマ講師、世界史の青木先生です。よろしくお願いします。

戦後の賠償という話です。


青木:

前回は1951年のサンフランシスコ平和条約に基づく賠償について話をしました。結論を言っちゃうと、フィリピン、ビルマ(ミャンマー)、インドネシア、ベトナム。この4国が日本から戦争の賠償という形でもって、実際には生産物や役務、これをもらうと。

一方、ラオスとカンボジア、この2国も日本と交渉しようとしたんですが、ラオスとカンボジアに関してはほとんど日本軍の被害を受けていないと。あなたたちも大変でしょうからというので、ラオスとカンボジアについては放棄してくれたんです。賠償の金額も何億年というレベルで非常に少なかったんだけどね、ただこれを日本政府は感謝して、ラオスとカンボジアさんにはこれからもよろしくやっていきたいと、支援もしっかりやりますから、ODAが行われることになったんですね。

一方、サンフランシスコ平和条約に基づかない賠償と講和に関して、まずはサンフランシスから帰っていったソ連ですね。彼らとは1956年に国交正常化の交渉が行われるわけですね。1956年と言いますと、朝鮮戦争が休戦協定を結んだ3年後、1955年を境に米ソ間にかなり歩み寄りが見られるんですね。

そういう中でソ連とアメリカが仲良くするという状況、歩み寄りを見せるという状況の中で、日本もまだ講和条約を結んでいないソ連と交渉しましょうと。結局、講和条約は結ぶことができなかったんですね。なぜかというと、北方領土を巡って、国境線を巡る考え方が一致しないと。平和条約を結ぶときって必ず国境線の確定が必要なんですね。


中島:

結局ここは返してもらわないと、なかなかできないですよね。


青木:

少なくとも平和条約は無理です。ただ、戦争状態については終結をお互いに宣言して、国交は結びましょうと。

賠償に関してはソ連は要求しなかったんですよ。ただ、その代わりと言っちゃなんですけども、戦争が終わったあとに数十万人の日本の、特に満洲にいた日本兵を抑留して、多くの人たちをシベリアの極寒の中で命を奪っていったわけですよね。はっきり言ってこの上に賠償金を要求したらどの口がそれを言うかと。



中島:

しかもかなりひどかった、相当な数が亡くなってるということですからね。


青木:

ただ資料が少ないので、現在に至るまであんまり研究が進んでいるとは言えないですね。シベリア抑留の資料集でまとまったものってついこの間ですよ、できたのが(『シベリア抑留関係資料集成』)。数年前ぐらいです。なかなか資料が集まらないみたいで。しかしながらソ連は戦争に関しては賠償を要求しなかった。いろんなものは奪っていったけどね。

一方中華民国。内戦に負けた蒋介石さん率いる中華民国ですね。

台湾だけが領土なんですが、この台湾、中華民国と日本の間には1952年、サンフランシスコ平和条約の翌年に二国間で平和条約が結ばれたんです。これは日華平和条約と言いまして、サンフランシスコ平和条約が発行する直前に結ばれた条約なんです。そのときに蒋介石さんはアメリカと一緒ですね、賠償は放棄しますと。良いパートナーでいきましょうということを言ったんですね。


一方、内戦に勝利した中華人民共和国。


中島:

これが難しいわけですよ。台湾にいる蒋介石とそういう話をして、じゃあ本土にいる毛沢東とどういう話をするかということですよね。


青木:

実際に当時の日本からすると中国はひとつ、そのひとつとは台湾なんですね、台湾の中華民国で。中華人民共和国と国交を結んでいないから外交的にはない存在、存在していない存在なんですよね。ただ、50年代60年代に日本と中華人民共和国との民間貿易が始まっていくんです。日本の財界としてもすぐ近くに巨大なマーケットがあると、これを放っておくのかという議論がやっぱりあるわけですよ。だから政府間では国交はないけども、民間レベルではお互いに信頼関係のもとで貿易はやりましょうと。日本側の代表が高碕達之助さんというかた。中国側の代表が廖承志さんという代表。2人の間で交渉が進んでいって、1962年から通称LT貿易。廖承志のLと高碕達之助さんのTを頭文字にしてLT貿易という、政府が預かり知らない民間の貿易が進められて、年を追うごとにどんどん額が上がっていくんですね。

だから財界もいい加減に中華人民共和国と国交を結ぼうじゃないかと。


中島:

政府が経済界に押されるということは、ちょこちょこありますもんね。


青木:

実際あるんですよね。一方で1970年代に入ると、アメリカと中国が接近し始めるんですね。中国というのは中華人民共和国。中国としてはとにかくソ連との関係性がめちゃくちゃ悪くなって、国境紛争事件まで起きていると。1969年にダマンスキー島事件というのがあって、これは中国とソ連の戦車隊が何百両ぶつかるという、国境紛争と言ってるけど実際には戦争ですよ。

びびった毛沢東がどうしたかというと、北京の地下に核戦争に備えたシェルターを作らせる。ソ連との関係がめちゃくちゃ悪くなったという中で中国はアメリカとの関係を改善したい、ソ連に備えるためにね。一方アメリカはアメリカでベトナム戦争で苦しんでいると。アメリカが戦っているベトナムの社会主義者・共産主義者を中国が支援していると。できれば支援をやめてもらいたいな、そうすればアメリカはベトナム戦争から撤退しやすくなる。こうして両者が歩み寄る素地ができていくわけですね。実際に1972年の2月にニクソン大統領が電撃的に中国を訪問して、世界のマスコミが見ている前で、毛沢東、周恩来と握手をするわけですよ。

これに背中を押されたのが日本の総理大臣だった田中角栄さん。


中島:

そこからの日中国交正常化になるんですか。


青木:

当時の日本、政権党は自民党なんですけども、福田赳夫さんみたいに、これまでの中華民国、蒋介石さんとの関係は維持したいと。特に福田さんが言ったのは賠償金を放棄していただいたじゃないですかと。蒋介石自身も日中戦争が終わったときに、「日本は我々に対して暴力を振るった。でも暴に対して、暴力の暴に対して暴でもって答えない。日本の暴力に対して我々は徳でもって答えていこう」と。こういった蒋介石さんの気持ちを踏みにじることになる、毛沢東と手を結ぶということでね。

一方田中角栄さんはというと、陸軍の兵士として中国に出征していた時期があるんですよ。そういったこともたぶん僕はあったんじゃないかなと思ってるのね。世界が動いてる。なおかつ中国もアメリカのパートナーである日本、近隣の国である日本とは事を構えたくない。日本とアメリカとの関係が楽になればそれだけソ連に集中できるじゃないですか。というので、日本と中国との国交正常化、国交を樹立する交渉も急速に進んでいくわけですね。

なおかつ、たぶん今だったら中華人民共和国は我々日本に対して賠償金を要求しないだろうと。なぜかというと、まず蒋介石さんが賠償金を放棄した。「俺たちはくれよ」というのは言えないんじゃないか。もうひとつ、賠償金を中国が要求したら国交正常化交渉は短期間で終わらないですよね。長引くとそのぶんだけ日本との間にも緊張感が続き、そのぶんソ連と集中できなくなる。そういう観測があったんですよ。たぶん中華人民共和国は日本に対して賠償金を要求しない。さらに日本の特に外務官僚たちはなんと思ったか、「今しかない」と。なぜ今か、ひとつは毛沢東と周恩来がかなり高齢なんですね。一説には周恩来さんは癌にかかっているという話がある。もしも毛沢東が亡くなり、周恩来が亡くなって次の世代になったら、この連中が中国の国民に向かって「日本と国交正常化しますから賠償金は要求しません」これじゃあ納得しないんじゃないか。でも毛沢東と周恩来というツートップだったら国民のそういう不満を彼らの権威で抑え込むことができる。ならば周恩来と毛沢東が存命中の今だと

1970年代の前半に国交正常化が行われたのは、いろんな複雑な事情もあるけども、あのタイミングでなければできなかったというのはあるんです。ある意味日本の予想通り、当時の首相が田中角栄さんで外務大臣は大平正芳さんですよ。なんかな、すごいよね、顔ぶれが。


中島:

なんというか、変な話、当時子どもだから思ったのか、子どもだったけれどもあんまり政治のことは、子どもといっても小学校に上がるか上がらないかぐらいですから。でも今から見ても、やっぱりしっかりとした国家観とか、「日本をどうしていかなきゃ」みたいなことがある人が総理大臣になっていたような気がするんです。

青木:

今をどうするかも大事だけども、将来どうするかまでなんかね。


中島:

良い悪いは別にして、今の政治家にそれがあんまり見えないですよね。


青木:

まったく見えないですよ。少なくとも我々の目にはそう映ってるんです。

結局賠償金放棄したじゃないですか。ただそれじゃああまりにも悪いということで、日本は無償の資金協力、これは資金協力です。これが1850億円。それから技術協力金として1500億円。だから3000億円以上だから10億ドルの資金を中国に提供すると

ただ、日中戦争における中国の犠牲者で600万人から1000万人、たぶん1000万人はくだらないんじゃないかと言われてるんですね。だもんだから、そのあとも日本はいわゆる有償の資金協力、これをやっていくんですね。これはあくまでも借款ですから。お金は貸します、利子をつけて返してくださいと。これを国交正常化以降40年以上やってきたわけですね。2018年に最後の資金協力、円借款が終わって、2030年頃に全部返してもらうらしいですけどね。

中島:

ODAも大国に、ちっちゃい国がずっとODAをつい最近までやってたでしょ。戦争っていったんやったあとのあーだこーだは結構大変だなと。


青木:

大変ですよ。なんべんも言いますけど始めるのは簡単、簡単というも語弊があるかもしれんけど、終わるのは大変ですね。


中島:

補償という問題で言ったら本当に大変なことだなというふうに思いますね。


青木:

韓国についてはいずれまた機会を改めてお話したいと思います。


中島:

わかりました。ありがとうございます。









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