top of page

ハマス・イスラエル戦争(2)ハマス誕生【青木裕司と中島浩二の世界史ch:272】

更新日:2023年11月1日



世界史参考書の超ロングセラー『青木裕司 世界史B講義の実況中継』シリーズの青木裕司先生と、福岡を中心に活動する人気タレント中島浩二さんの青木裕司と中島浩二の世界史ch」の文章版です(許可を得ています)。


中島:

歴史を紐解けば未来が見える。大人の世界史チャンネル中島浩二です。そして河合塾のカリスマ講師、世界史の青木先生です。よろしくお願いします。

イスラエルとパレスチナの話、イスラエル建国というのを前回やりました。


青木:

そうですね。そして今の状況を語るときに絶対に忘れてはならないのが第三次中東戦争、1967年に起きました。これはどちらかというとイスラエル側がまわりのアラブ諸国に対して先制攻撃をかけるということですね。当時アラブ世界にナセル大統領という英雄がいて、僕らも小学生だったけども知ってる名前だったんですね。

そのナセルさんを中心にアラブ国家が結束をすると、そういう動きが非常に高まってたんですよ。これにイスラエルが非常に恐怖をして、アラブ国家が結束してね一斉に我々イスラエルに襲いかかってきたらもう俺たちは終わりだと、そういうふうに危機感を募らせたイスラエル側がまわりの国々に先制攻撃をして大勝利を収めるわけですね。

結果どうなったかというと、エジプトの領土だったシナイ半島、それからシリアの領土であるゴラン高原、こういったところを奪い取るわけですね。シナイ半島に関してはこのあとイスラエルとエジプトの平和条約が締結されたりして、そのあとに返還されるんですね。ゴラン高原に関しては現在に至るもイスラエルが占領を続けていると。

そしてなんと言ってもパレスチナ人の居住地域として認定されていたはずのヨルダン側西岸地区とガザ地区もイスラエルの占領下に入ってしまうということですね。国際社会はアメリカも含めて、イスラエルを支援してきたアメリカもこれはちょっとやりすぎだぞというので、国連安全保障理事会決議第242号というのが出されて、イスラエルは早急に占領地から撤退しなさいと言われたんですが、現在に至るもそれは実行されていないということですね。

こうしてアラブ側の敗北、パレスチナ人も占領されてしまうと。イスラエル側の大勝利に終わったわけですね。こうした状況に対応するためにパレスチナ人、組織をきちっとして結束せにゃいかんというので、もともとあったPLOという組織、パレスチナ開放機構ですね、この議長にあのアラファトさん、この人が就任をして、これまで以上にパレスチナ人は結束してイスラエルと戦っていくぞというふうな姿勢を示すようになるわけですね。

中島:

同じ地域の中で、同じ地域というか、この中でそういう状態でずっとあるってすごいことですよね。


青木:

そうですよね。


中島:

だって九州よりもちょっとちっちゃいぐらいのところでずっとそれがあるわけでしょ。

青木:

そうなんですよ。しかもこれは1回目にも中島さんもおっしゃったけども、まともにぶつかったらそれはイスラエル国軍に対して勝ち目はないんですよね。結局ゲリラ闘争をやっていくしかないと。しかも1967年の第三次中東戦争のあとにパレスチナ人のいわゆる戦闘部隊、いわゆるゲリラ部隊、これがたとえばエジプトに本拠地を持ったり、ヨルダンに本拠地を持ったり、あるいはレバノンに本拠地を持ったりするわけです。これについては近隣のアラブの国々もあんまり心よく思ってなかったんですね。要するに自分の国の領域内にパレスチナ人ゲリラがいるとこれが口実になってイスラエルから攻められると。さらには自分の国内に自分たちの思い通りにならない連中が武器を持っているというのは、これはやっぱりあんまり気持ちの良いことではないというので、ヨルダンでは実際にヨルダン政府軍とパレスチナゲリラの間で戦闘が行われて多数のパレスチナゲリラが殺されるという事態になるんです。これは結構大きな出来事で、これをきっかけにパレスチナ人の一部の中に、アラブの同胞の中にも我々の敵がいるんじゃないか。

中島:

これがもうね。なんかこう。


青木:

孤立感を強めて。


中島:

だと思うんですよね。


青木:

結局孤立感を強めたパレスチナ人の戦闘部隊の中で、それでも我々はイスラエルやその背後によるアメリカと戦わないかんと、じゃあどうやって戦えるか、これはもうテロしかないというので、ここから航空機乗っ取り事件、航空機乗っ取り事件を中心とするテロ、我々がテロと呼んでいる活動ですね、これが活発になっていくわけですね。

ヨルダン川西岸地区とガザ地区が本来パレスチナ人の居住地域であったにも関わらずユダヤ国家であるイスラエルが占領すると。この状態が20年間続くわけですね。20年間続いたあとの1987年にパレスチナ人の青年たち、その我慢が限界に達するわけです。1987年にインティファーダというアラビア語で放棄、武装蜂起、これを意味するんですけども、この戦いが展開される。しかしパレスチナ人たちはほとんど武器なんか持っていないので、手近にあった石を完全武装のイスラエル軍に投げつけて戦いを展開する。


中島:

投石というやつですね。

青木:

だからインティファーダのことを別名石の戦いと呼んでいることもありまして、実はこのときにイスラエル占領下のヨルダン側西岸地区とガザ地区でハマスという組織が誕生するわけです。

ハマスというのはイスラム抵抗運動をするアラビア語の頭文字を合わせたものなんです。実はハマス、1987年にできたハマスの前身があって、これはムスリム同胞団という組織で、もともとはエジプトにできた組織なんですけども、世界各地でイスラム教徒がいろんな迫害を受けていると、あるいは苦しい生活をしているイスラム教徒の人たちがたくさんいると。ここはそういった人たちをサポートする活動を展開しようというので、実は第一次中東戦争のあとにハマスの前身になる組織ってできてるんですね。さっき言ったムスリム同胞団という名前なんですけども、この人たちはなにをやったかというと、もちろん土地を奪ったイスラエルと戦いたいけども、武装闘争をやりたいけども、それより前に今現実に苦しんでいるパレスチナ人の生活をサポートする方が先だということで、ハマスの前身の組織って武装闘争をせずに極力それを回避して住民の行政サービスというか、それに専念してたんです。だからハマスのことをテロばっかりやってる組織だというふうに思っているかたがおられるとするとそれは間違いで。

中島:

実際に2006年に選挙が行われたときも、ファタハじゃなくハマスのほうが


青木:

ガザ地区では。


中島:

たくさん票を取って。


青木:

そうそう、第一党になるんですよね。


中島:

でもそれでアメリカもそんなことになるの?って、その選挙結果チャラねみたいな、そんな。これはもう本当、もちろんどうしてもこういうことばっかりがクローズアップされるんでしょうけれども、じゃあその地域の人たちがどう思ってるか、もちろん地域の人たちもハマスに対して心よく思ってない人もいらっしゃるでしょうけど、選挙の結果は実際ファクトとしてはそうだったということですね。


青木:

なぜそうなったかというとやはりこれまで地道にハマスの人たちが住民の生活をサポートしてきたという実績があったからなんですよね。そういったことがあって、とにかく1987年にハマスという組織、今のハマスの組織ができあがっていくということですね。

一方インティファーダで結局パレスチナ人とイスラエル軍がぶつかって、たくさんのパレスチナ人が犠牲になるわけですね。これを見ていたアメリカのユダヤ系市民たちが声をあげるわけですよ。なんという言葉を言ったかというと「もう流血はたくさんだ」と。ちなみに当時CNNが現地に行って、実際に衝突の現場というのを映像に撮ってそれを生放送で流すわけですね。これがアメリカのユダヤ系市民たちの心を動かしたというふうに言われているわけです。これでノルウェー、それから当時のアメリカ大統領だったクリントン、こういった人たちが動いて対立していたイスラエル政府とパレスチナ人の組織であるPLO、人格的にはアラファトさんですけども、その間に立って両者の間の妥協を探ると、その成果がこれですね。

中島:

これはもう、しかもオスロだったからこそこういうことができたという、どこの土地でもできなかったよなという。


青木:

写真自身は1993年のいわゆるパレスチナ暫定自治協定、その調印式なんですね。場所はワシントン、ホワイトハウスです。向かって右側がアラファトさんで、左側が当時のイスラエルの首相だったラビンさんですね。ノルウェーが仲介をしたという話をしたけど、よく言われるオスロ合意。PLOの代表とイスラエルの代表をノルウェー政府がノルウェーの首都であるオスロに呼んで、しかもオスロの公的な機関に呼んじゃうと目立っちゃうから、なんで目立つといけないかというと、和平反対の人っているわけですよ。


中島:

そこでなにかあっちゃいけないということなんですよね。


青木:

そう。イスラエルの側にもPLOなんかと妥協しちゃいけないという人たちがいるし、PLOの中にももちろんいるわけですね。イスラエルなんかと対話は成立しないと。そういった人たちがテロを起こす恐れがあるというので、これも有名な話ですけども、オスロ郊外の汚いレストランの、汚いレストランというとかわいそうなんだけど、そのレストランの2階に秘密裏に代表団は連れてきて、そこで何回も何回も話し合いをさせると。

中島:

本当にこんなこと、僕、この写真を見たときに、僕は65年生まれなのでなかなか、自分が気づいたときにはイスラエルという国がもうあったし、パレスチナという、しかも中東戦争もありましたから。生まれてずっとだったのが大人になってこんなことあるんだってすごい思いました。


青木:

これはそれこそ1993年だから30年前ですよ。その2年前にソビエト連邦が崩壊して、いろいろ、東ヨーロッパ。たいへんだった。


中島:

時代が急に動いたという。


青木:

混迷している世界の中でパレスチナ情勢に関しては明らかに良い方向に向かっていくんだよねという、非常に希望を持ったんですよね。しかしそうはならないんですね、うまくはね。それについては次回ということで。


中島:

わかりました。








閲覧数:4回0件のコメント

Comentários


bottom of page