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ハマス・イスラエル戦争(3)自治協定は破られた【青木裕司と中島浩二の世界史ch:273】

更新日:2023年11月1日



世界史参考書の超ロングセラー『青木裕司 世界史B講義の実況中継』シリーズの青木裕司先生と、福岡を中心に活動する人気タレント中島浩二さんの青木裕司と中島浩二の世界史ch」の文章版です(許可を得ています)。




中島:

歴史を紐解けば未来が見える。大人の世界チャンネル中島浩二です。そして河合塾のカリスマ講師、世界史の青木先生です。よろしくお願いします。

イスラエルとパレスチナのお話、3回目です。


青木:

前回は1993年のパレスチナ暫定自治協定、対立していたPLOとイスラエル政府が妥協点を見いだすと。パレスチナ暫定自治協定、どんなものか簡単にお伝えしておきますと、パレスチナ人の居住地域であるガザ地区とヨルダン川西岸地区でパレスチナ自治政府を作ると。ただ本来はパレスチナ人の居住地域はもっと広かったわけですね。そこらへんについてはどうするのか、あるいは占領しているイスラエル軍の撤退についてどうするのかみたいなことについての詰めは今後話し合いを続けていきましょうと。だからあくまでも暫定的な協定なんですね。

ただこれは前回も言いましたが、これでアラファトさんとラビンさんが握手するわけですよ。これはパレスチナから流血の惨事がなくなっていくひとつの一里塚だと僕も思ったし、中島さんも世界も思った。しかしながらそうはならなかったわけですね。

なぜかというとこれは反発が強かった。PLOの側にもイスラエルとの共存は許せないと、イスラエル人、要するにユダヤ人はパレスチナの地から出ていくべきだと思っている人たちもいるし、イスラエルの中にも実はこの協定に反発する人たちがたくさんいたわけです。というのも、1967年の第3次中東戦争でこの2つの地域、ガザ地区とヨルダン川西岸地区、イスラエルが占領しましたよね。ガザ地区に関しては当時から人口がいっぱいで、そこにイスラエルのユダヤ人が移住をするというのはなかなか厳しい。それからするとヨルダン川西岸地区のほうは広いし、ガザ地区に比べると人口はまだまばらなんですね。こちらのほうに移住していこうと。

これはイスラエル政府も1967年から積極的に行うんですよ。特にもともとのイスラエルの領土自身が狭いじゃないですか。どうしても狭いので、イスラエル本国で土地を持てない人たちがいるわけですね。どういう人たちかというと、貧しくて若い人たち。そういった人たちは下手をすればイスラエル政府に対する不満分子になりがちなので、君たちの将来はヨルダン川西岸地区にあるよと。このヨルダン川西岸地区への移民を積極的に促していくわけですね。1967年からだから1997年、20数年間も経ってるでしょ。するとヨルダン川西岸地区に移住していったユダヤ人の人たち、家を作って畑を作って子どもができると。その子どもたちも成長し、今孫も生まれようとしている。要するにイスラエル本国からヨルダン川西岸地区に移って生活の基盤がやっとできたと思っていたら、敵であるパレスチナ人とイスラエル政府が仲良くする。最悪の事態、どうなるか。我々ユダヤ人はヨルダン川西岸地区から出ていかなくちゃならなくなる可能性があると、それだけは絶対に嫌だと。結局そういった不満が高まっていって、このPLOのアラファトさんと握手したラビンさんは2年後、1995年に選挙遊説中に暗殺をされてしまうんですね。

中島:

こんなこともあるんだなというふうに。しかもこういうニュースが起こったときにしかなかなか報道されないので。


青木:

そうそう。日本人は慌てて「なんでなんで」となっちゃうわけですよね。


中島:

そうなんですよね、今回の一件もそうじゃないですか。ワッと行ったときに「うわあ」って、「そんなこと」ということで、そこから慌てて。でもニュース、新聞紙面もかなり限られているから、なかなかここで情報がきちんと。


青木:

ちなみに暗殺されたラビンさんなんですが、この人はイスラエル労働党の党首だったんですね。よく新聞報道なんかを見てると、イスラエルは二大政党制で保守的な今だったらリクードと労働党。労働党というのはどっちかというと中道左派で、多文化主義というか、いろんな人たちの存在を認めるわりとリベラルな政党なんですね。リクードというのはわりとユダ人第一主義で保守強硬派と言われているんです。

ただ二大政党制という言い方は実は間違いで、イスラエルの政治の歴史の中で日本の自民党みたいに単独で議席の過半数を占める、国会の過半数を占める、1回もないんですよ。


中島:

そうなんですよね。いろんな政党と結局組むということになるんですよね。


青木:

常に連立なんですよ。イスラエルの国会ってクネセトと言うんですけども、そこで単独過半数をこれまで経験した政党というのは存在しない。だからイスラエルの政権って常に連立政権なんですね。


中島:

だからそう考えると不安定だということですよね。


青木:

そうなんですよ。なんでたくさんの政党が生まれるかというと、それはイスラエルという国の成り立ちですよね。もともとあそこに住んでいたユダヤ人の数は数十万人、イスラエルが建国されたあとに世界中のいろんなところから来るじゃないですか。そういった人たちは地域利害もあるし、なかなかみんなで同じ意見を分かち合うことできないというので、どうしても小党分立になってしまう。

だから今政権を取っているネタニヤフさん、リクードという保守強硬派の政党なんですけども、でも必ずしも極右とばかり結んできたわけじゃないんですよね。どちらかと言うと自分からすると左側の人間とも結んだことがあるし、そこはいろいろなんですよね。

だからイスラエルの政党成治というのは非常に不安定で、そのへんは我々も前提の知識として理解しておく必要性が。


中島:

それと、そう考えたら、今回思ったんですけど、この民主主義の難しさ。いろんな人たちの意見がある中で、それをどうやってまとめて国の話にしていくかという難しさはありますよね。


青木:

そうですね。僕なんかも誤解していて、イスラエルという国は常に一致団結しているというふうに思ってきたんですよね。なんで一致団結しているかというと、常に軍事的な緊張関係にあると、まわりの国々、まわりのアラブの国々や、イスラエルから言わせると国内のパレスチナ人、あるいはイスラエル本国の中にいるアラブ系のイスラム教徒の人たち。こういった人といつも緊張関係があるので、少なくともユダヤ人の間というのは結束してるんじゃないかなと僕はずっと思ってきたんですよ。必ずしもそうじゃなかったというね。それが一番クリアに出たのがパレスチナ暫定自治協定を巡る対立だったんですね。

結局ラビンさんが暗殺されて、ラビンさん支持派というのがそのあと多数派になることはなかったんですよね。一時的にあったけども、PLOと妥協しようとする人たちが長い期間政権を取ることはなかったんですね、ずっとこの30年間。


中島:

それを望んでいる人があんまりいなかったということですよね。

青木:

結局そうだったんですよね。このあたりから今政権を取っているネタニヤフさんというのがクローズアップされてくることになるわけですね。あの人、実はアメリカ育ちなんですよね。大学はマサチューセッツ工科大学。


中島:

エリートですね。


青木:

超エリートですよ。その出身でハーバード大学にも籍を置いていた時期がある。なおかつお父さんがもともとはロシア帝国領内のポーランド出身のユダヤ人だったんですよ。だからネタニヤフさんってプーチンと結構握手したりするんですね。仲良いんだなと思ったら実はルーツが昔ロシアにあったと。さらについでに言っておくと、イスラエルを建国したときのユダヤ人のルーツ、実は20%がロシア系なんですよ。だからイスラエルにいるユダヤ人の中で、特に外国からやってきたユダヤ人の中で1番多いのはロシア系なんですよ。それもあってイスラエルとロシアというのは悪い関係じゃないんですよね、ソ連もそうだったけども悪い関係じゃなかった。

結局パレスチナ暫定自治協定という妥協が失敗をして、2000年代に入っていくわけですね。2000年代の前半に政権を取ったのがこのシャロンさんという、やはり保守強硬派の総理大臣で、このかたは軍人出身で、言ってみればイスラエルの軍人の英雄ですね。

アメリカで言うならアイゼンハワーとかマッカーサーとか、それに当たるような人で、4回の中東戦争に全部従軍してるし、そこで功績を挙げた人が軍服を脱いで、いわゆる文官として、文民として首相になったわけですね。彼も保守強硬派で、やっぱりヨルダン川西岸地区へのユダヤ人の移住、これは守っていきたいと、でも対立が激しい、じゃあどうやって彼らを守っていくかというと、これはもう壁を作るしかないというのでヨルダン川西岸地区でパレスチナ人居住地域とユダヤ人の移住者の居住地域を分ける分離の壁というのを作っていくわけですね。

彼は2001年から2006年まで総理大臣だったんですが、最後の段階で実は彼、ガザ地区からの完全撤退というのをやるんですね。ガザ地区とヨルダン川西岸地区にイスラエル軍が展開していたけども、ガザ地区に関して言うとほとんど住んでいる人たちはパレスチナ人でユダヤ系の人たちはほとんどいないので、ここは軍事占領をしてもあまり意味がないと。ガザ地区からは完全撤退するぶんだけヨルダン川西岸地区については保持し続けるよと、そういった意思の現れだったんですね。

こうしてまた、特にヨルダン川西岸地区とガザ地区の中でも、ヨルダン川西岸地区においても対立が激化をしていくという状況になるわけですね。

中島:

こうすればああなる、ああなればこうなるという、なかなか結局やっぱり予測がつかないままに悪い方向に悪い方向に行ってしまっているという感じですよね。


青木:

この15年の状況ですね、このあとはね。








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