世界史参考書の超ロングセラー『青木裕司 世界史B講義の実況中継』シリーズの青木裕司先生と、福岡を中心に活動する人気タレント中島浩二さんの「青木裕司と中島浩二の世界史ch」の文章版です(許可を得ています)。
(前回の記事「ユダヤ人の歴史(2)ギリシア・ローマの迫害 (1)」はこちら)
中島:
歴史を紐解けば未来が見える。大人の世界史チャンネル中島浩二です。そして河合塾のカリスマ講師、世界史の青木先生です。よろしくお願いします。
青木:
お願いします。
中島:
ユダヤ教というところからユダヤの人たちという歴史を今見ている最中です。
青木:
今イスラエルの多数派の人たちというのはヨーロッパからやってきたユダヤ人をルーツとする人たちなので、ヨーロッパでこのあとユダヤ人の人たちがどうなるかと、前回も言いましたようによそ者ということで土地を持つことができない、農業でご飯を食べることができない、じゃあどうするか、これはもう商業、あるいは金融業、これで生計を立てていかないとダメなんですね。
ただ、商業活動をやったり金融業をやるためにはなにが必要かというと、読み書きそろばんの力が絶対に必要になるわけです。
中島:
教育ですね。
青木:
農業に関していうと必ずしも必要というわけじゃないじゃないですか。特に中世ヨーロッパの農業なんて自然は厳しいし、収量は取れないし、だから直接農業生産活動に関係のない読み書きを勉強する暇なんかないんですよね、農民の皆さんって。
そういう中で読み書きそろばんの力というのは商業と金融業には必要。しかも商業ってネットワークが命なので、人口そのものはユダヤ人は少ないんだけども、ヨーロッパ各地に拠点を作るわけですね。その拠点がなにかというと農村の中にぽっかり生まれていった都市なんですよ。
都市の中にキリスト教とから差別されているユダヤ人たちが居住地域を与えられて、そこで活動していくわけですね。これもときどき生徒から質問されるんだけど、「キリスト教徒ってユダヤ人のことが嫌いなんでしょ、差別してるんでしょ?」と、歴史的にはそうです。じゃあなんで都市の中にそういう分離の壁はあるけども共存したんですか?と。それはキリスト教徒にとっても商業あるいは金融業というのは必要で、これはユダヤ人の得意分野になってるんですね。
ユダヤ人がいったん作り出したネットワークに対抗できる組織というのはなかなかない。唯一対抗できるのは同じ読み書きができてネットワークを持っているカトリック教会なんですよ。
だから中世ヨーロッパでも全ヨーロッパ的なネットワークといったらカトリック教会かユダヤ人のネットワークしかない。なおかつ前回も話したけど、イエス様自身がユダヤ人なんですね。だからキリスト教徒から見ると、我々キリスト教とは違う宗教を信仰しているユダヤ人たち、イエス様がユダヤ人なんだからいつかは改宗させることができるよねと。
中島:
そういう考えがあるんですか。
青木:
あるんですよ。いつかはユダヤ教から派生していったと言われるキリスト教なんだけど、イエス様の教えを信じている我々と同じように彼らもユダヤ人なんだから、イエス様と同じ民族なんだから改宗させることができるよねみたいな、妙な義務感というか、そういったものもあったらしい。とにかくキリスト教徒のヨーロッパ人から見れば差別する対象なんだけども必要性があるので一緒に住んでいたということなんです。
ところがですよ、11世紀の末からイスラム世界に対してヨーロッパ世界が十字軍ってやりますよね。イスラム教徒をやっつけて西アジアにキリスト教徒の支配地域を作ると、ヨーロッパよりもたぶんはるかに豊かなあの地域にキリスト教徒の支配地域を作る。こうしてイスラム世界との戦争がガーっと始まっていくと。
戦争が始まるとどうしても勝つために結束しなくちゃならない。結束するためには心をひとつに、「ユダヤ人、君たちが崇めている神と我々の神は違うよね」と。異質なものに対する迫害がより強力になるんです。だから十字軍以降ですよね、ユダヤ人に対する差別迫害というのが加速していくんです。
中島:
ひどくなっていくんですね。
青木:
それを決定的にしたのが14世紀半ばのペスト。ヨーロッパ中に感染症が広がるじゃないですか。人がバタバタ死んでいく。誰かにその責任をなすりつけたくなるわけ。まったく根も葉もないんだけど、噂が立ったらもう終わりなんです。「俺見たぜ、ユダヤ人が井戸になにかを投げ込んでるのを見たぜ」と。するとその街の市民たちが立ち上がって手に手に棍棒とか刀を持って殺し始めるんです。
中島:
それは厳しいですね。
青木:
厳しい。それもいろんな絵に残ってましたね、こんな絵も。ユダヤ人が集められてみんな火あぶりにされていると。こういったのが横行していくんです。
中島:
こういうのはちょっとつらいですね。
青木:
つらいですね。しかもさらにそのあとヨーロッパでいわゆる国家が生まれていくんです。フランスという国に国王がいて、その国王が国を統治し始める。スペインもそう、いろんなところでそうなんです。
そうすると、国王を頂点とする国家体制の中でユダヤ人って異質な存在なんですよね。というので、しばしば国王がユダヤ人追法令を出したりする。
スペインなんかもそうですね。スペインってもともとヨーロッパ系の人たちがたくさん住んでいるんだけども、8世紀以降はイスラム教徒が支配するんです。
中島:
あそこはずっとキリスト教徒とイスラム教徒の戦いの場ですよね。
青木:
一方でイスラム教徒というのはユダヤ教徒に対して基本寛容なんです。「コーランか剣か」という言葉があって、イスラム教徒は他の宗教に対して非常に暴力的であったと。「イスラム教徒に改宗しなければ殺すよ」と、それを端的に示したスローガンが「コーランか剣か」なんですけども、これは今日嘘であったと。
イスラム教徒の人たちって、そうじゃない人もいるかもしれないけども、人間の心を暴力で支配するのは無理だというふうにどうも思っているみたいなんですね。なおかつアッラーの教え、イスラム教の教えに対してすごく信頼しているし自信を持っている。だから暴力なんか使わなくったって伝わるんじゃないかと。いずれわかってくれるんじゃないかというか。
中島:
それぐらい自信があるということですね。
青木:
なおかつイスラム教徒が支配しているコミュニティの中に異教徒を住まわせることでいろんな経済的な実利もあるわけです。たとえばさっき言ったようにユダヤ人って商業をやってるでしょ、弾圧して追い払うよりは、いてもらって仲良くやったほうがWIN-WINだよねと。
中島:
ということですよね。
青木:
もともとイスラム教世界というのも商業で発展していったところがあるので。
中島:
イスラム教に関してはどういうふうにできたというところをちょっとまた。
青木:
これは生徒もびっくりするんだけど、イスラム教の神様ってアッラーじゃないですか。僕らはアッラーというと、神様というと白い服を着て髭を生やして、「なんちゃら悔い改めよ」って、人間の姿を持った
中島:
これが違うんですよね。
青木:
違うんです。イスラム教徒の人たちに言わせると、アッラーというのはすべての存在だというんです。すべての存在だからお前たち仏教徒みたいに仏様の像を作って拝むなんてことはしないと。
中島:
偶像崇拝をしないということですよね。
青木:
要するに人間が刻めるような像の形をしてらっしゃらないし、そんな存在じゃないというんです。イスラム教徒と皆さんが言うのは「世界を作りたもうた、そして世界の存在とイコールの関係である神、アッラー、これはひとつしかない」と。それをいわゆるユダヤ教の人たちはヤハウェと言っているし、キリスト教徒の皆さんは神とか主といった言葉で表現している。
実は俺たちがアッラーと言っているものとユダヤ教の神、キリスト教の神、一緒なんだと言うんです。その神が地上にいる人間の無様な姿を見てなんとかしてやりたいなというので預言者を遣わされたと。その予言者がたとえばアダムだったり、ノアだったり、モーセだったり、あるいはイエス様もそうだと。ただ残念ながら彼らには神のご意思を十分に伝えることができなかった。あるいは取り巻きも悪くて、ねじ曲がって伝えられたりしたと。神が「これいかんな」というのでムハンマドという最後、そして最高の預言者を遣わされたと。
だからムハンマドを使ってアッラーが伝えようとした言葉が記録されている本がコーランなんですよね。コーランというのはイスラム教の聖典、一方でそれ以前に神は自分のご意志を人間に伝えようとした。さっき言ったようにイエス様を通じて、ノアを通じて、モーセを通じて。それについての記録がいわゆる新約聖書であり旧約聖書。
中島:
だから自分たちが信じているものが実は全部含まれているんだよということですよね。
青木:
そう。不十分にせよ、あるいは一部間違っているかもしれないにせよ、新約聖書にも、あるいは旧約聖書にも神のご意思はあるんだと。だからイスラム教徒にとって旧約聖書とか新約聖書というのはコーランに次ぐ聖典なんです。
だからイスラム教徒の皆さんって旧約聖書なんかを読んでるみたいです。自分の息子に旧約聖書に登場する人の名前をつけたりするんです。
たとえばオスマン帝国というイスラム教の国がありましたけど、スレイマン1世というすごく力が強かった皇帝がいるんですけど、スレイマンってなにかといったらソロモンですもんね。それからイスラム世界にイーサーという名前の人が多くて、これはイエス様。あるいはムーサという名前も多いです、これはモーセのこと。
だからキリスト教とユダヤ教とイスラム教は違うよという感覚はイスラム教徒にはないんです。
中島:
いつ頃そういう考え方というか、体系化ができたんですか?
青木:
イスラム教そのものの始まりは7世紀ですね。7世紀の全般。中国でいうと唐ができた頃ですね。
中島:
それはどこから起こったんですか?
青木:
アラビア半島。ムハンマドが歩いていたら神のお告げがあって、天使を通じた神のお告げがあって、「君は預言者としてこれから生きていってくれ」と。「わかりました」と。かなりムハンマド自身は躊躇したらしいですけどね。「私、そんなことできません」って逃げようとするんです、最初。神のお告げがあってそれを伝える人間としてあなたはもう選ばれたので、預言者として生きていけと言われて、誰が伝えにくるかというと天使が伝えにくるわけです。大天使ジブリールといって、これはガブリエルのことね。伝えに来て、「僕はそんな人間ではありませんから」と逃げようとする。そうすると天使がムハマドの体を羽交い締めにして「預言者として生きていきなさい」と言うんです。そういうシーンがハディースという、これはコーランに次ぐ聖典なんですけども、そこの中に書いてある。
中島:
それを聞いたらいろんなことの欠片がダブってますよね。たとえばチベット仏教とかでも子供が急に神様みたいになったりとか。いろいろダブっちゃってて。だから情報の生き来とか、そんなことを考えたらいがみ合っていること自体が本当に変な。
青木:
これもいつかどこかで言ったことがあるかもしれないですけども、いわゆる今日でいう世界の三大宗教、仏教とキリスト教とイスラム教。ユダヤ教もそうだと思うけども、本質的な教えというのは「仲良く生きていこう」だと僕は思うんですよ。
中島:
そうですよね。
青木:
イスラム教の聖典であるコーランも、異教徒である、仏教徒である俺が読んでも全部理解はできないとは思うけど、結局アッラーがおっしゃっていることというのは「仲良くやっていきなさい」と。「お互いに信頼関係の中で商業なんかが発展したらみんなが幸せになれるんじゃないか」みたいなことを一生懸命おっしゃってる、ムハンマドを使って、預言者ムハンマドの口を使っておっしゃったんじゃないかなと私は思うんですけどね。
話をまとめておくと7世紀のアラビアにムハンマドという人が登場して、その人に対するアッラーの教え、神の教えを啓示という言葉で表現する、英語でメッセージという。メッセージを伝える人なのでメッセンジャーというんです。メッセンジャーとは預言者という意味です。それを中心にイスラム教というのが成立をしていくわけです。
中島:
すいませんね、話が。でも途中でわからなくなっている人がいるんじゃないかなと思って、壮大な話をしてますけれども、ぜひついてきてください。
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