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田中角栄とその時代(9)ロッキード、そして死去【青木裕司と中島浩二の世界史ch:0300】

更新日:4月16日





世界史参考書の超ロングセラー『青木裕司 世界史B講義の実況中継』シリーズの青木裕司先生と、福岡を中心に活動する人気タレント中島浩二さんの青木裕司と中島浩二の世界史ch」の文章版です(許可を得ています)。


動画版:田中角栄とその時代(9)ロッキード、そして死去

中島:

歴史を紐解けば未来が見える。大人の世界史チャンネル中島浩二です。そして世界史の青木先生です。よろしくお願いします。


青木:

お願いします。


中島:

田中角栄という。


青木:

長々やってきましたけど、前回は田中さんが総理大臣になられて日中国交回復をやって、はっきり言って飛ぶ鳥を落とす勢いで。しかしながら経済政策というか、失敗したというか半分は運が悪かったというのもあるんですけどね。


中島:

国際情勢があんまり良いときじゃなかったので、そのあおりを受けたというところはありますよね。


青木:

そうですね。だんだん田中さんの人気にもかげりが見えてくる。という中で、いわゆるオイルショックの次の年、1974年に日本を揺るがせるような一大スクープが文藝春秋に掲載されるわけです。


中島:

ロッキード事件と。


青木:

いやいや、「田中角栄の金脈研究」ですね。書いたのが立花さんですね。文藝春秋の実際に74年に出たやつを探したんですけども、古書市場で見たらめちゃくちゃ高くて。


中島:

結局そういうきちんと載っているものを手元に残しておきたいという人が多いってことですよね。


青木:

これは去年復刻版が出まして記事が再録されてるんですけども、これで田中さんはどういう人かと。お金をばらまいて自分の仲間を増やして総理大臣にもなった。その財源はどこなのかと。いろんなトンネル会社を作って、一部グレーなこともしながらお金を貯め込んで、たとえば総裁戦のときには数十億から100億。あるいは自民党がやばいと言われた参議院選挙のときには数百億から、多く見積もると1000億円単位でお金が動いたではないかと。それを立花さんがずっと調べられたわけですよね。

これは実は言うと日本のマスコミでは、新聞記者の間ではあんまり話題にならなかった。田中さんに一番近いところにいる人たち、いわゆる番記者の人たちですね。そういった人たちから出たんじゃなくて、外部のジャーナリストですよね、この人が調べていったということですね。この「田中角栄」という本を書いた早野透さん自身も自戒を込めておっしゃっているんですが、自分たちは取材対象と距離が近すぎていろいろ見えないもの、一部記者に関しては


中島:

見えていたけれども、やっぱりこれはもうこういうものだよねと思って書かなかったという。


青木:

そうですね、おっしゃる通り。ある種感覚が麻痺した、あるいはそれこそ忖度が働いたと。文藝春秋で載ったわけですよ。ただそれほどは話題にならなかった。話題にしたのは誰かというと外国人記者クラブだったんです。あの人たちは忖度もなにもありませんからね。


中島:

結局最近になっても外国人記者クラブとか外国のメディアが取り上げたことによって、なんとなくそういうものはあった、でも報じるものもあったけれども一切触らなかったというのはいまだもって同じだというところじゃないですか?


青木:

おっしゃる通りでね、芸能事務所の問題もそうだったし、まったく根っこは一緒なんじゃないかなという感じがするんですよね。


中島:

意外と日本の報道自由度といったらかなり下のほうにある。


青木:

下のほうです。世界に200ぐらいの国があるけども半分以下ですよね。


中島:

半分以下まではないかもしれないですね、60何位とか、確かそれぐらいだったと、うろ覚えですけど。


青木:

自由と民主主義度に比べるとかなり低いんですよね。


中島:

結局権力を監視するというふうに言ってるんですけど、本当の根っこの部分の一番大変な部分を意外と言わなかったりとかするというところは、これやっぱりね。


青木:

大きな問題ですよね。


中島:

今SNSがこれだけ発達して、それでもSNSの世界で話題になっていることであって、大手マスコミは触りませんよねというなんとなくの協定じゃないけど。


青木:

そうね。いくつかのタブーが現在においても存在してる気はしますよ。


中島:

あるような気がします。


青木:

とにかくそれで外国人記者クラブが遠慮会釈なく「あの記事はどうなったんですか?」「もっと詳しいことを知りたかったらあの記事を読んでください」みたいなことを司会の人が言ったりして、これが結局火をつけることになった。金脈問題というので議会でも追求をされて、結局1974年の12月9日に田中内閣は総辞職をするわけですよね。

じゃあ後継の総理大臣は誰になるかと。田中さんの盟友の大平さん、最大のライバルである福田さん、虎視眈々と次を狙っている中曽根さん。ところが当時の自民党の一番の重鎮であった椎名悦三郎さんという人が、これはみんなから尊敬されている自民党の当時の最長老政治家なんですけどね。外務大臣なんかを務めたこともある。


中島:

僕がちょうど小学校の1、2年ぐらいなので全然。


青木:

そうですか。椎名さんって人望も非常にある人で、ユーモアたっぷりの人なんですよ。あるときなにかの長官をやっているときに防衛問題について野党から質問されて、「アメリカというのは日本にとってなんなんだ」と。そしたら椎名さんが「日本にとって番犬です」と言ったらしいんですよ。日本は軍事力を持っていない、だからアメリカに守ってもらっているから番犬ですと。そしたら社会党の議員が「いや、椎名さんね、番犬というのはあまりにもひどすぎるんじゃないか」と。そしたら椎名さんが「失礼しました。言い直します。番犬様です」と。こういう。


中島:

なんというか、アメリカでは報じられなかったんですかね。


青木:

報じられたら大変。


中島:

でもそういうことって絶対に耳に入るでしょうから。


青木:

そういうまあおもしろい人だったんです。その椎名さんがいわゆる椎名裁定というのをやって、本当だったら自民党の数の論理でいけば大平さんだったんだけども、ここは金権政治に対する批判があるからクリーンなイメージがある三木武夫さんですね、これで行きましょうと。三木さん自身はアメリカから資料を取り寄せたりして、実際に捜査を邪魔しないと。検察当局、裁判所に対しても「しっかりやってくれ」というのは総理大臣として言えないけども、静観する態度を取っていたわけです。

そういう中、2年後の1976年に田中さんは東京地検特装部に逮捕されてしまうわけです。いわゆるロッキード事件というやつですね。事件のあらましを簡単に言うと、アメリカのロッキード社が日本の全日空に新しい旅客機を売り込みたいと。これはトライスターという、エンジンが3つついてるのでトライスターと言うわけですけども、これを売り込みたいと。ついては口利きを総理大臣にやってほしいということで5億円渡したと。間に入ったのが右翼の大物と言われた児玉誉士夫さんという人で、この人にまず20億円、そこからいろんな政治家のところに、総理大臣である田中さんに5億円がわたったと、口利き料として。これはワイロではないかというので東京地検特捜部に逮捕されるわけですね。

田中さんは取り調べが始まる前に自民党に対して離党届を出すんです。これはNHKでいっぺんドラマになって、石橋凌君が田中さんの役をしたんですよ。


中島:

ARBの石橋さんとは幼稚園の同級生。


青木:

幼稚園から中学校までですね。海彦山彦で共演もしましたので。彼の新しい「オーラエラ」というアルバムにそのときの写真が載っています。


中島:

そうですか。先生、話が横道に逸れています。


青木:

すいません、ちょっとうれしくなって。


中島:

でもそれで離党するわけですよね。


青木:

これは早坂さんも言っていた記憶があるし、早野さんも言っているんだけども、いわゆる口利きをするというのは別にワイロじゃないと。要するに手間賃。ということでこれは必ずしもワルではないというのも、総理大臣には民間の航空会社の


中島:

決定権がないからということですね。


青木:

そうなんですよ。そこに権限があればね。たとえば自衛隊の戦闘機なんかを決めるときに


中島:

お金をもらって「じゃああなたのところに決めましょう」といったらワイロになるけれども、民間の会社に「こういうのがあるらしいよ」というふうに言って決定するのは民間の会社だから、それはワイロにならないと。


青木:

ならない。あくまでも総理大臣から口を利いてもらったという手間賃ですね。ところが田中さんは裁判の中で一貫して「もらってない」という言い方をしたらしいんですよ。確かにグレーではありますよね、5億円ってね。口利き料というのは。でも「もらってない」という言い方をずっとやっていた。結局そこで、あなたは確かに5億円受領してますからというのを証拠を積み上げられていって、第一審の東京地方裁判所、1983年、逮捕からもう6年経っているんですね。6、7年経ったときに第一審の判決が出て、懲役4年、追徴金5億円。当然ながら田中さんはその日のうちに控訴したわけですよね。4年後か、1987年に東京高裁が第二審の判決をするんですが、控訴棄却。要するに第一審の東京地裁の判決は正しいと。


中島:

支持するという。


青木:

要するに田中さんは有罪であるということですね。僕も記事を見ながら思ったのは、5億円をもらったかもらっていないかがずっと裁判の争点になっていたと。そこになんで田中さんがこだわったのかがもうひとつわからないです。というのも何回か前に炭管事件ってあったじゃないですか。炭鉱の国家管理の問題で業者から100万円をもらった。あれは代金だからということで、彼はもらったことは認めたわけです。実際にそれについては第二審の裁判所で無罪と判決が出たわけですよ。


中島:

先生が調べるうえで田中角栄という男の性格までだんだん見えてきて、100万円もらったというのに5億円もらったって言わないって。


青木:

そう、なんでそこで言わなかったのかなと。結局受領をしたのは間違いないんです。最終的には田中さんが亡くなったあとに最高裁判所が事実認定したんですよ。田中さんの秘書の榎本さんというかたがいて、この人もこの問題に関わったというので裁判にかけられるんです。その審議の中で田中元総理は確かに5億円受領したというのは最高裁も事実認定しちゃったわけです。だからなんでそこを、もらったもらっていないかに関しては明らかに田中さんが不利なんですよね。もう事実としてあるみたいなので。そこになんでこだわって裁判を戦い続けていったのかなというのがずっとわからない。

結局裁判の結果、白か黒かという点でいうと黒になるわけですよね。第一審の東京高裁の判決が出た2年後に、田中さんにとってある意味裏切りとも言えるような事態が起きる。その中心にいたのは金丸信さんと竹下登さんで、もともと田中派の人間だったんだけど新しい派閥を作ると。1985年、昭和60年の2月7日ですね。田中派を割って新しい派閥を竹下さんを中心に作ると、いわゆる創政会というやつです。

その動きを実は田中さん、事前に察知したらしいんです。どうも竹下さんと金丸信さんが動いて、小沢一郎さんなんかも動いて、田中派は当時百何十人かいたんですけども、若手議員を中心に80人ぐらい声かけをしていると。このまま行ったら田中派が完全に分裂して田中さん自身は少数派になってしまうと。このときもかなりお金が動いたと。本来なら80人ぐらい竹下さんの元に集まるはずだったのが40人で済んだと言ったらおかしいけど、ただはっきりと分かれちゃったわけです、2つに、旧田中派が。

竹下さんが創政会旗揚げの演説をした2月7日の3週間後に田中さんは脳梗塞で倒れてしまうんです。これ僕、新婚旅行の最中に飛行機の中で新聞が電子版で送られてきて、「田中倒れる」って、「えー」となって。

そのあとに1回選挙が行われるんですが、そこでは田中さんは相変わらず新潟3区でトップ当選ですね。ただ1989年の選挙を最後で彼は国会議員としては引退するわけです。その4年後の1993年に田中角栄の後継者として長女の真紀子さんが新潟3区から打って出てトップ当選を果たす。ただその年の12月16日に田中さんは死去されるわけですね。


中島:

何歳だったんですか?


青木:

70ちょっとぐらいだったですね。今から考えると若いですよね。


中島:

そうですね、脳梗塞になったあとの車椅子で出てきたところを見て、急にこんなになっちゃったなという。


青木:

特に裁判のときはまだ健康だったらしいんだけど、竹下さんが割って出ると、そのあたりから酒量が増えていったらしい。あの人はウイスキーが好きでね、オールドパーという。それをガブ飲みするというのを早坂さんがよく見ていたと。「親父、ちょっと酒が過ぎるよ」と。しかしガンガン飲んでいたらしいです。

有罪がある程度確定したあと、日中国交の20周年を記念して1992年に当時の中国の最高指導者であった江沢民が来るわけですよね。田中邸を訪れる。そのとき涙ながらに江沢民さんを歓待しているのが印象的だったですけどね。

結局10回前後、田中さんについてお話をしてきたんですけど、一番最初の中島さんと僕の問いかけ、今の政治家と田中さん、あるいはライバルの福田さんもそうなんだけど、なにが違うかと。晩節はちょっと汚したきらいはあるけども、ただ政治家としての田中角栄というのはおっしゃるように国家観、それから国民観。


中島:

みんなが幸せになるためにはどうすれば良いかというところをやっていたんだろうなという、だから結局歴史が検証するみたいなところはありますよね、そのときはわからなくても。


青木:

そうそうそう。今から思うに、なんべんも中島さんもおっしゃっていたし僕も言っていたんだけど、角さんの話ってわかりやすい。単に調子よく物事を言っているんじゃなくて、なんでわかりやすかったかというと、おっしゃったように国民の生活をなんとかしようというところが根本にあったので我々にも理解しやすかったという。


中島:

そうなんですよ。そのためにはこうしなきゃいけない、ああしなきゃいけない、道路も通したほうが良いだろう、経済もどんどん活性化するし、もちろん自然が破壊されるというところはあったかもしれないけれども、良い悪いとかじゃなくてわかりやすくて、国をこういうふうにしたいんだな、それが今、複雑な世の中になってしまったというところもあるでしょうけれどもわかりにくいですよね。


青木:

国民の生活をなんとかしたいというのは彼のある意味目的であり志だったと思うんですよね。その背景には戦争もあっただろうし、彼自身の貧乏な生い立ちもあったんだろうけども、あるいは新潟県のいろんな悲惨な状況ですね、雪に閉ざされるとか。そういうものから国民の皆さんを解放したいという、この目的意識性というのは疑う余地もないというか。結局そこが違うんじゃないかというのが我々の結論で。


中島:

そうですね。もしかしたらそういうかたもたくさんいらっしゃるんでしょうけれども、そういうかたのいろんな、もっと闊達に「こうじゃないか、ああじゃないか」って、裏金がどうとか、そういう政治ニュースは辟易しますね。


青木:

議論で勝負してほしいんですよ、言葉で。もちろん議会の中でもしっかり言葉で論争してほしいし、国民に向かっても問いかけてほしいんですよね、説明してほしいんですよ。「発言は控えさせてもらいます」というのが今多すぎるんちゃう?はっきり言って。


中島:

「知りません」「わかりません」。


青木:

「発言は控えさせていただきます」って、控えちゃダメだろ、国会議員は。


中島:

だと思います。田中角栄、長々とやりましたけれども以上です。







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