まずは予習用の年表です。大河が始まったらどんどん追記していきます。
べらぼうが始まるのが楽しみです。
【目次】
田沼意次(たぬまおきつぐ):渡辺謙
まずは、NHK公式の紹介を引用して、大河ドラマ上での設定を確認しておきましょう。
幕府“新時代”を目指す改革者にして、“絶対的権力者”
自らの才能と実行力で、足軽出身の出自から遠江相良藩(いまの静岡県牧之原市)の五万七千石の大名に昇りつめた人物。米による幕府の財政運営に限界をおぼえ、金を動かしてこそ“経済がまわる”商業重視の政策に方針を大転換。商人を中心に江戸は好景気に沸く。
また印旛沼の干拓、蝦夷地の開発、優秀な人材を幕政に積極的登用し、“新しい日本”を創り始める。
ここ50年での評価の変化が著しい人なので、ドラマではどのように描かれるのかがとても楽しいです。
個人的にはとても大好きな人です。
キャスト:渡辺謙(わたなべけん)
1959年生まれ。新潟県出身の俳優です。映画デビューは1984年の『瀬戸内少年野球団』。2003年に『ラストサムライ』でハリウッドデビューもしました。
大河ドラマでは「山河燃ゆ」(楠田武)、「独眼竜政宗」(伊達政宗)、「炎立つ」(藤原経清・藤原泰衡)、「北条時宗」(北条時頼)、「西郷どん」(島津斉彬)に出ています。
解説:実際の意次・その後の意次
享保四年(1719年)約0歳
7月、誕生します。田沼意行と田代高近の養女の子です。幼名は龍助です。
享保十七年(1732年)約13歳
7月、将軍吉宗への初お目見えのときに、田沼家の相続を許可されます。
享保十九年(1734年)約15歳
3月、家重付きの西丸小姓となります。
父の意行を亡くします。
享保二十年(1735年)約16歳
3月、田沼家を相続します。知行は600石です。
元文二年(1737年)約18歳
12月、従五位下主殿頭となります。
延享二年(1745年)約26歳
9月、家重が9代将軍になったので、本丸の小姓となります。
延享三年(1746年)約27歳
7月、小姓頭取に昇進して、年100両の手当を受けます。
9月、田安家と一橋家が創設されます。
延享四年(1747年)約28歳
9月、御用取次見習いとなり、足高1400俵を受けます。在職中は2000石です。小姓組番頭格となります。
寛延元年(1748年)約29歳
閏10月、小姓組番頭となり、御用取次見習いを兼務します。1400石加増され、知行は2000石となります。
ーー1750年に蔦屋重三郎が生まれますーー
宝暦元年(1751年)約32歳
7月、御用取次となります。
宝暦四年(1754年)約35歳
8月、美濃国郡上藩領で減免の強訴と越訴が起こります。
宝暦五年(1755年)約36歳
9月、5000石に加増されます。
宝暦八年(1758年)約39歳
3月、郡上藩領民が江戸に越訴に来ます。
9月、5000石加増され、知行が1万石となったので、大名です。
9月、郡上藩一揆を審理するために、評定所に出席させられます。
9月、呉服橋御門内に屋敷をもらいます。
9月、若年寄本多忠央と老中本多正珍がクビになります。
11月、遠江国相良に領地を安堵されます。
12月、郡上藩主金森頼錦が改易されます。
宝暦十年(1760年)約41歳
4月、10大将軍家治の御用取次に留任します。
宝暦十二年(1762年)約43歳
2月、1万5000石に加増されます。
明和二年(1765年)約46歳
4月、家康の150回忌の日光東照宮法要に参列します。
9月、5匁銀と鉄銭を鋳造します。
明和四年(1767年)約48歳
7月、側用人となります。従四位下となります。2万石に加増されます。遠江国相良城の築城を許可されます。神田橋御門の内に屋敷を拝領します。
12月、大坂で家質奥印差配所。
明和六年(1769年)約50歳
8月、2万5000石に加増されます。侍従となります。側用人兼務の老中格となります。
安永元年(1772年)約53歳
2月、屋敷が類焼したので、公儀拝借金1万両を受けます。
5月、3万石に加増されます。老中となります。側用人も兼任です。
9月、南鐐二朱銀を発行します。
安永五年(1776年)約57歳
4月、家治の日光社参に供奉します。
11月、平賀源内がエレキテルをつくります。
安永六年(1777年)約58歳
4月、3万7000石に加増されます。
9月、一揆禁止令の高札を出します。
11月、家治の小松川筋お成りに随行します。
11月、下屋敷を拝領します。
安永七年(1778年)約59歳
1月、世子家基の千住筋お成りに随行します。
6月、ロシア船が蝦夷地に来航して、通商を要求します。
7月、甥の田沼意敦が一橋家の家老となります。
11月、家治の本所筋お成りに随行します。
11月、下屋敷を拝領します。
安永八年(1779年)約60歳
4月、世子家基の葬儀です。
8月、将軍家治の大川筋お成りに随行します。
この年、相良城本丸二重櫓が完成します。
安永九年(1780年)約61歳
4月、相良城に入ります。
8月、大坂に鉄座を設けます。江戸・京都・大坂に真鍮座を設けます。
元明元年(1781年)約62歳
4月、家治の養子を選定するよう命じられます。
7月、4万7000石に加増されます。
8月、絹糸貫目改所反対の打ちこわしが起こり、設置を撤回します。
12月、意知が奏者番となります。
天明三年(1783年)約64歳
7月、浅間山が噴火します。諸国が大飢饉となります。
11月、意知が若年寄となります。
天明四年(1784年)約65歳
3月、意知が、江戸城中で佐野政言に殺害されます。
5月、蝦夷地の政策について、勘定奉行の松本秀持に指示します。
6月、孫の意明を相続者とすることを許可します。
天明五年(1785年)約66歳
1月、5万7000石に加増されます。
2月、蝦夷地調査団が出発します。
12月、大坂の豪商に御用金を課します。
天明六年(1786年)約67歳
6月、全国の商人に御用金を課します。
7月、関東で大洪水が起きます。
8月25日、将軍家治が死去します。
8月27日、病気を理由として、老中を辞職します。江戸城雁の間詰です。印旛沼の開拓工事が中止となります。
閏10月、2万石没収されます。神田橋上屋敷と大坂の蔵屋敷を返上して、謹慎します。
12月、謹慎が解除されます。
天明七年(1787年)約68歳
1月、登城します。家斉に拝賀します。
5月20日、江戸と大坂で打ちこわしが起きます。
6月、松平定信が老中となります。寛政の改革の始まりです。
9月9日、相良藩士に説諭です。
10月2日、2万7000石没収されます。隠居して謹慎します。孫で相続者の意明に1万石が安堵されます。相良城を没収されます。
天明八年(約69歳)
7月24日、江戸城で死去します。駒込勝林寺に埋葬されます。院号は「耆山良英隆興院」です。
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