レトロゲーマーが思い出す日本史【誰も得しない日本史】
- 順大 古川
- 2022年5月10日
- 読了時間: 10分
更新日:2024年10月16日
偏見と悪意で歴史トーク。誰も得しない日本史です。
【目次】
嗚呼、斑鳩が行く・・・・・・
Alas, Ikaruga is going...
(嗚呼、斑鳩が行く・・・・・・)
学校で日本史を習っていたころ、なんとなくインパクトがあって、今でも覚えている言葉とかありませんか。そんな日本史インパクト語ナンバーワンは、昭和のころから令和にいたるまで「斑鳩(いかるが)」ですね。「斑鳩(いかるが)」なんです。私が決めました。今決めました。
「班長(ハンチョー)」の「班」っぽい、「斑(まだら)」という字に「鳩」で、「い・か・る・が」ですよ。なんだかよく分からないけど、かっこいいじゃないですか。もしも「鳩山」だったら「るがやま」ですよ!「ルーピーるがやま」なんですよ。「鳩流」と書いて、「ルガール」と読むのも夢じゃないんです。
ちなみに、そもそも日本史の斑鳩って何だったっけ?っていうご老人は、聖徳太子の法隆寺の別名が斑鳩寺だと言えば、なんとなく思い出せた気がするはずです。
さて、そんな「斑鳩」という名の戦闘機が敵と戦うシューティングゲームが、2001年(令和前18年)にトレジャーという会社から発売されました。
そのゲームの名は、『斑鳩IKARUGA』(以下、斑鳩)です。
斑鳩はとにかくかっこいいゲームで、ゲーム中にときどき挟まれるカットインとナレーションは、そのシーンの音楽や雰囲気とあいまって、シニア(当時若者)ゲーマーのハートをグワシとつかんだものです。一面道中のカットインの、「嗚呼(ああ)、斑鳩が行く・・・・・・」は、シニアゲーマーなら皆忘れられないはずです。
みなさんは、次に紹介する、一面(チャプタータイトルは「理想-Ideal-」)冒頭のナレーションで、日本史なら誰をイメージしますか?
I will not die until achieve something.
Even though the ideal is high, I never give in.
Therefore, I never die with regrets.
我、生きずして死すこと無し。
理想の器、満つらざるとも屈せず。
これ、後悔とともに死すこと無し。
私的には、日本史で屈しない系の面々といえば、日蓮宗の開祖である日蓮や、室町~戦国時代の日親あたりが思い浮かびます。
いつか、特集したいのですが(、たとえば日蓮は、「四大法難」と後に呼ばれる事件に耐え抜きました。四大法難とは、以下の4つです。
①島流しにあって船にのせられたとき、船頭に、満潮のときには沈む海上の岩に置き去りにされた。
②数百人の武士たちに襲撃された
③鎌倉幕府に死刑された
④佐渡ヶ島に島流しにあった
よく、生き延びたものです。
もうひとりの日親は室町時代の人で、拷問を受けても屈せず、ついに灼熱の鍋を頭に被せられたけど、それでも説法を止めなかったという伝説の持ち主です。この伝説により、日親は「鍋かぶり上人」と呼ばれています。
また、満ちることのない理想を前にしても進み続ける系といえば、日本天台宗の開祖である最澄や、その弟子で唐に渡ったこともある円仁あたりが思い浮かびます。
二人とも、数十年の人生だけでは仏教の真髄にはたどり着けないことをメチャクチャ自覚していたようで、最澄は「何度生まれ変わっても仏教の勉強したい」的なことを言って、次世代のために勉強の成果を残すことに力を尽くしました。円仁は、『入唐求法巡礼行記』を著した人です。この日記は、ただ唐に渡ったときの日記というだけでなく、役所への書類の出し方とか、役人との交渉などのやり方を細かく残したものです。この史料があることによって、今の研究者は当時の唐の様子がよく分かるんです。あまりにも細かいんで、この記録は、後世の人が唐に渡ったときのお役所攻略マニュアルとして残したのではという評価もあります。こうして、最澄や円仁が次世代への知識や成果の引継ぎを強く意識して生き抜いたため、後に天台宗を出発点にして、いわゆる鎌倉新仏教が花開くことになりました。
今回の英文は、ニンテンドースイッチ版の『斑鳩IKARUGA』を参照しました。斑鳩のセリフは、今後も少しずつ紹介していきたいと思います。この章の最後に、予告編として、一面道中の日本語ナレーションを紹介しておきましょう。個人的には、4面のナレーションの英訳が意外すぎて、びっくりしています。日本語版を読んだときの私の解釈と、あまりにもかけ離れすぎていたからです。いずれ紹介しますので、ぜひ楽しみにしていてください。
インド人を右に!
誰も得しない日本史・・・・・・
それは実戦日本史と
レトロゲームを組みあわせた
まったくあたらしいブログ・・・
今日の「役立つ!実戦英語コーナー!コナーコナーコナー(セルフエコー)」
みなさんも、日常生活のふとした時に、インド人を右っかわにぶん投げさせたくなるときがありますよね。たとえば、たまたまニューヨークでアベンジャーズと戦っていたりとかいう、日常のありふれたひとときや、銃社会に必須の鉄砲玉が切れたときには、とっさに「インド人を右に投げろ!!」と、英語で言えないと困りますよね。そんなときのために、次の表現をぜひ身につけておきましょう。
Throw the Indian to your right!
(インド人を右に!)
これで、いつでも目の前のインド人を右っかわにぶん投げさせることができますね。反社会勢力のトコに営業に行ったときに、お客さんの前でインド人を右にぶん投げたりしても、ウケが取れてギャラがはずむかもしません。……おっと、ノーギャラでしたね。ノーギャラ。うんうん。
その他、「throw」の部分は、状況に応じて「put」「set」などと、いろいろ応用がききます。目の前のじゃまなインド人を右にどけてもらいたいときは、”Remove the Indian to your right! (インド人を右に!)”と。目の前の知力が高いインド人を伏兵として戦闘フィールドの右っかわに潜ませておきたいときは、”Set the Indian on your right! (インド人を右に!)”と、タイ人が酒を止めるがごとき勢いで叫びましょう。前置詞が状況に応じて変化することにも注意です。
さて、まだ日本史の話とかしませんよ。昔、唯一のアーケードゲーム専門誌で、『ゲーメスト』というレジェンド雑誌がありました。今みたいにネットがない時代、地方ではこのゲーメストが唯一の情報源といっても過言ではありませんでした。
この雑誌は、ヒップでファンキーな誤植でも有名でした。例えば、ドライブゲームの攻略記事で「ハンドルを右に(切れ)!」と書きたかったはずのところところを、「インド人を右に!」と誤植して出版したりしました。何をどう間違ったら、「ハンドルを右に!」が「インド人を右に!」となるのでしょうか。意味がわかりません。全国に散らばるゲーム脳のガキどもはこの誤植に脳みそこねこねコンパイルされて、ネットがない時代においても、全国各地でゲーム脳のイカれたヤツらが出会うたびに、この誤植は話題にのぼることとなりました。
こうして、「インド人を右に!」は、今でも伝説の誤植の一つ!としてレトロゲーマーたちの間で、令和にいたるまで語り継がれることとなったわけです。
※今では、「インド人を右に!」に対する研究が進んでおり、その誤植にいたるメカニズムが解明されています→「元ネタ由来を集めるサイト タネタン」
それでは、力ずくでインド人を日本史に関連付けて、日本史の話題にもっていきましょう。受験日本史では、インドが出てくる場面は多くありません。ただし、二次試験に論述問題を課してくる国立大学や、戦後史を出題してくる私立大学では、日本とインドの関係についての知識は差になるところでもあります。
明治時代後期、1890年代(日清戦争とかしてたころ)以降の産業革命期において、インドは綿花の主要な輸入元です。インドから綿花をガンガン輸入するために、ボンベイ航路が開かれたりもしています。
戦後なら、1951年にサンフランシスコ平和条約を結ぶときにインドが登場します。インド・ビルマ・ユーゴスラビアは、アメリカが提示した講和条件を不服として、講和会議に出席しませんでした。受験では、会議に出席したけど調印しなかったソ連・チェコスロバキア・ポーランドや、会議に呼ばれなかった中華民国・中華人民共和国との違いが問われます。私立大学志望なら、1952年にインドと日印平和条約を結んだことまでおさえておきましょう。
他にインドが出てくる日本史の場面といえば・・・うーん。たとえば、平安時代前期の高丘親王がいます。高丘親王は、薬子の変に破れて剃髪した平城太上天皇の子どもです。平城太上天皇の剃髪に従って、高丘親王は皇太子をクビになりました。高丘親王は、出家した後は(最初は真忠、後に)真如を名のりました。
その後、真如は唐に渡りました。そして、日本人としては非常に珍しいことを考えました。それは、仏教を学ぶために天竺(インド)まで行こうというものでした。実は、唐に渡った僧は多くても、天竺にまで行こうとした日本人はあまりいないんです。臨済宗の栄西も2度めの入宋をしたときに、インドまで行きたがったけど、許可が下りなくて断念したという話があるぐらいでしょうか。
日本人ももっとインドまでガンガン行けば、あのヨガの達人みたいになれたかもしれないですね。
The yoga master does his meditation while floating in the air.
(そのヨガの達人は瞑想中で、しかも宙に浮いていた)
参照:『萌える英単語 もえたん』
さあ、新たに始めてしまった、レトロゲーマーシリーズですが、最初っから無理がある展開になっております。いきおいで始めたのはいいのですが、このままだと、「スーパーウリアッ上」から日本史を語らなければならない日がきてしまいます。のぶたは、これからも、レトロゲームから日本史を語るという、どこにニーズがあるんだ的な行為を地道に継続していきたいと思います。
Dual Moonと藤原道長
この世をば わが世とぞ思ふ 望月(もちづき)の 欠けたることも なしと思へば
藤原道長の有名な歌です。
意味は、
「この世は、自分のためのものだ。満月のように欠けているものは何もない。」
といったところです。
《英訳してみよう》
タイトーゲーの地球は、コッパにぶっ壊れることで有名ですが、月だって負けてはいません。
発売前から雑誌でも特集が組まれていて、かっこよさそうで楽しみにしていたのですが、田舎だととにかくどこのゲーセンにも設置されていない。
全国の事情は知りませんが、福岡県の南の方では、このころのタイトーゲームの出回りは本当に悪かったです。ガンフロンティアやメタルブラック、そしてナイトストライカーは自転車で隣の市まで行かないとなかったし。ギャラクティックストームは福岡市のカーニバルという大型ゲーセンにしかありませんでした。家からは60キロくらいのかなたです。グリッドシーカーとかダイノレックスもリアルタイムでは見たことなく、福岡市の大学に行くようになってから、初めて見ることができました。
しょうがないから、CDとかを聴きまくっていました。私的には、メタルブラックの曲では「Doubt」が一番好きです。
というわけで、メタルブラックの、月をバックに戦う2面の演出を、ぜひご覧くださいまし。
《英語訳》
Although Michinaga’s full moon is complete and perfect, the full moon in the TAITO’s video game is cracked and crashed!
自分で英文作っていうのもなんですが、「cracked and crashed」の部分が、声に出して読みたい英語的で気に入ってます。言ってて気持ちいい。
この世をば わが世とぞ思ふ 望月(もちづき)の 欠けたることも なしと思へば
人生、これくらい強気の歌をよんでみたいものです。
「天下の富を有(たも)つ者は朕なり。天下の勢を有つ者も朕なり。」
「朕(ちん)」とは、皇帝や天皇の自称ですね。人から税を集める側の人間は、言ってくれますね。
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