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史実で楽しむ 光る君へ3(解説・感想・考察)

更新日:8月26日

【目次】


ちょっとマンネリ:第31回「月の下で」

うさようございまーす

第31回「月の下で」を楽しむ解説うさー

ついに、まひろが『源氏物語』を書き始めたうさね

今回は時計の針がほとんど進まなかったので、最初に感想ラッシュをつぶやいておくうさ


【動画版はこちら】


まひろ「カササギ語りは燃えてしまって、もうないのでございます」

道長「も、燃え、、、その話はいつわりであろう」

、、、って、燃やしたのはオマエの子やないか~い



公任のトコに来た斉信とロバート実資って、結局のところ誰かに頼まれたの?頼まれてないの?

ロバート実資はオリキャラの百乃ちゃん目当てかもしれないけど、斉信とロバート実資の言い訳がカブった理由はどう説明するべきうさか?

ちなみに、ロバート実資は5年くらい前に二人目の妻の真凛ちゃ、、、あ、婉子女王を失ってるうさ



あかねは「『枕草子』は惹かれない、人肌のぬくもりがない」とか言ってたけど

オマエはリアルドロドロちゃんうさもんね

もう眩しい世界とかは正視できないくらい汚れてるうさもんね

じゃあ、「大奥」でも見てやがれ!、、、うさ



「光る君へ」では、妾は耳元で息子の名前をシュプレヒコールするものうさか

寧子も兼家の耳元で「道綱!道綱!」とシュプレヒコールしてたし

こんどは明子が道長の耳元で「巌!苔!」とシュプレヒコールしたうさね

てか、そのあと明子は

「私には血筋以外にはなにもないの?(私を愛してないの?大事にしてないの?)」

ってキレ散らかしてたけど

オマ、、、道長パパの兼家を呪い殺したことは、もうなかったことになってるうさか???

いろいろと棚に上げすぎじゃないうさか???



道長「願いを初めて聞いてくれたな」

、、、て、子どもまでこさえといて、「初めて」はネエダロ!、、、うさ

不同意か? あれは不同意性交だったうさか!?

あと、

道長「(帝は)ご乱心」

、、、って、「乱心」言い切ったうさね!




さあ、『源氏物語』うさ!


ドラマでは、道長が、一条天皇に見せるために、まひろに物語を書くように頼んだという筋だったうさ

この『源氏物語』は始めから道長に執筆を依頼されて、紙をもらって書き始めたというの



倉本氏は、当時の紙が相当に高価だったことと、一紙を袋綴にして表に400字を書いた場合には清書用だけで2355枚という膨大な量の紙が必要になるという試算から

うだつの上がらない為時の娘なうえ、ダンナも亡くしてボッチな紫式部が、自分の力だけで書き進めることは難しいと考えて、道長に頼まれて『源氏物語』を書き始めたと説明しているうさ

なるほど、歴史学者はそのように考えるうさねー




じゃあ、公任が仕事をしなくなった話を“半分”してみるうさ


寛弘元年(1004年)の10月14日に一条天皇は松尾社に行幸して、

10月21日には北野天満宮と平野社にも行幸したうさ。

超絶過密スケジュールうさね



このイベントを支えるスタッフたちは相当に大変だったと思ううさ

というわけで、これらの連続行幸イベントが終わったあと

連続行幸超過密イベントを成功させた人たちに褒美、すなわち位階が与えられたうさ

そして、権中納言正三位だった斉信は従二位の位階を与えられたうさ

ちなみに、ドラマでは中宮職としての功が前面に出されていたうさね



このとき、1歳年上で約38歳の公任は中納言正三位だったうさ

公任からすれば、約14歳で元服して正五位下で官界デビューして以来、25年ぐらいずっと後輩として後ろを歩いていた斉信に追い抜かれたということで、たいそうプライドを傷つけられてご立腹だったというわけうさ

それで「働かない」とかいってもクビにならないって、、、いいご身分やなうさ


ドラマでは、斉信とロバート実資がすねた公任を慰めにやってきたうさけど

ロバート実資は百乃ちゃん目的でいいとしても、斉信は火に油を注ぐだけのような気がするうさ

ロバート実資が来てかち合ったおかけで助かってるうさよね


公任が引きこもってニートになった期間はけっこう長く、この話にはオチもあるうさけど

次回のドラマで取り扱われるかもしれないから、この話は今回はここまでにしておくうさ


これからも大河ドラマ話や、日本史の話でもりあがっていくので

ぜひ高評価とチャンネル登録をお願いしますうさ

よろしくうさー



定子の妹て!:第30回「つながる言の葉」

うさようございまーす

第30回「つながる言の葉」を楽しむ解説うさー

しっかし、約16歳の彰子ちゃんの前で敦康親王に「定子に似てきたなー」とか言うか?

やっぱり、うさぎ先生は一条天皇を好きになれないうさよ

笛のこともまだ根に持ってるし、、、あれって、彰子ちゃんが約11歳のころの話うさよ


【動画版はこちら】


今週はドラマの場面が3年ほど飛んだので、その間にあった面白い出来事から紹介していくうさ


まず、前回の詮子姉さんの四十歳祝の翌月に内裏が二度目の火事にあったので、一条天皇や彰子は2年ほどは一条院に住んでいたうさ


さあて、早速いつもの通りーー

一条天皇をディスっていくうさよー


詮子ママを亡くして数カ月後、一条天皇は、、、

『栄花物語』によると、定子の妹の御匣殿という女性を妊娠させたうさ


定子の?


妹を??


妊娠???



定子の妹の御匣殿は、定子の忘れ形見の敦康親王の母代わりとして、敦康親王に仕えていたうさ

もちろん、一条天皇も彰子も敦康親王も住んでいた一条院でのできごとうさ


『栄花物語』の筋にしたがえば、彰子ちゃんからすると、一条院で御匣殿といっしょにあくせくしながら、なんとかかんとか敦康親王の面倒を見ようとがんばっていたら

夫の一条天皇が自分ん家で御匣殿に手を出しやがったということうさね


今でいうと、レスな夫がハウスキーパーさんに手を出しやがった感じうさかね

あー、しかもハウスキーパーさんは元カノの妹だ うさ


一条天皇、うさぎ先生は許るるるるるるるるるるるさんうさよ

なお、御匣殿は(『栄花物語』を信じるなら身重のまま)6月3日に亡くなるうさ



では主人公のまひろはと言うと

夫宣孝を失ったその年から、紫式部は誰かから口説かれ始めたみたいうさ

口説いてきたのは、九州で受領を務めた人物説と、宣孝の息子隆光説があるうさ

翌年になると、他の男も紫式部に近づいてきたみたいうさ


なんか、赤子を抱えたシンママという属性を得て、紫式部にモテ期が到来した感じうさ

ドラマのまひろちゃんは、これまでもけっこうモテてたけどね うさ




ドラマでロバート実資が言っていたように

長保六年(1004年)は大干ばつだったので、一条天皇が7月10日に雨乞いをしたうさ

天皇自らが雨乞いするのは延暦年間の桓武天皇以来、216年ぶりのことだったうさ


その結果、なんと当日と12~14日に雨が降るうさ

でも、安倍晴明が14日に(ドラマでは命をかけて、、、あ、道長の命をかけて)マジ雨乞い(五竜祭)をしているので

公卿たちが「意味ねー」って思うくらいの雨だったと思ううさ



実際の安倍晴明の五竜祭も効果てきめんだったようで、夜に大雨が降って

16日に安倍晴明は褒美をもらっているうさ


最強の陰陽師とはいえ、このとき安倍晴明約83歳

そりゃ、ドラマのようにドリフの志村けん的に燃え尽きるうさね


そういえば、ドラマで「安倍晴明は引退してる」的なこと言っていたけど

実際の安倍晴明は、この年もがんがん働いているうさ

なんで、あのセリフを入れたんだろう うさ



結局、また猛暑が続いたので、7月20日に改元が行われたうさ

道長の日記『御堂関白記』によれば、新しい年号を定める会議では

公卿がほぼ全員一致で「寛仁」を選んだうさ

でも、年号にはその時の天皇の諱に含まれている漢字は使用できないことになっているうさ

一条天皇の場合は「懐仁」なので、「懐」と「仁」の漢字は年号に使えないということうさ

ということに公卿たちは後で気づいて、おそらくあわてて、「寛仁」ではなく「寛弘」に改元したうさ



一条天皇は公卿たちみんなに諱を忘れられていたということうさ

なお、改元しても雨は降らなかったみたいで、9月7日に道長までもが雨乞いの禊をしているうさ



和泉式部キター! うさ



さあ、為尊親王と敦道親王の兄弟との浮名で有名で

やたらと歌の天才で有名な和泉式部ことあかねが登場したうさ!


和泉式部の超詳しい解説は「あかね(和泉式部)「光る君へ」人物事典071」を見てもらうとして


まひろと出会ったのは、公任の四条宮での勉強会だったうさ

このころは、敦道親王のお家にぜっさん転がりこんでいる時期うさ


あかねって、”お色気キャラ”でくるかと思ってたら、”変なのキター!キャラ”だったのでおもしろビックリうさ

天才肌なのはイメージ通りうさ

今後の活躍が楽しみなキャラうさ



成長? して為時から学問を教わっていたうさ



先生に教えられている子どものように見えましたが、すでに正月に四位となって近衛少将春日祭勅使となっている高貴なる大人(約12歳)うさ

為時先生や宣孝や清原元輔なんかが一生かかってようやく届く五位なんぞ、とっくにぶっちぎってるうさ


16歳ぐらいで四位だった若い時の伊周の上位互換うさね

道長、あのときはあんなに批判的だったのに。。。うさ


頼通は大人(笑)なので、ドラマを少しさかのぼるこの年の2月に、、、

右近衛少将春日祭勅使として奈良に下向するという大役を、みごと(笑)務めたうさ

まあ、大人がなんでもかんでも面倒見てくれるので、本人は行って泊まって帰ってくるだけなんだけどね、うさ

12歳ぐらいだからしかたないよね、うさ


まだまだ、これからこれから、頼通くんがんばえー、うさ


これからも大河ドラマ話や、日本史の話でもりあがっていくので

ぜひ高評価とチャンネル登録をお願いしますうさ

よろしくうさー


田鶴のトラウマ・厳君のトラウマ:第29回「母として」

うさようございまーす

第29回「母として」を楽しむ解説うさー

しっかし、まひろのパパ為時は、利権のかたまりみたいな受領をつとめたにもかかわらずビンボーって、、、

どんだけ甲斐性無しうさか

、、、まあ、為時らしいといったら為時らしいうさ

今回は、10月9日のボーイズのダンスが中心になるうさ



宣孝と詮子姉さんの追悼特集は別に動画をつくってみたいと思っているうさ

ボーイズダンスの話は、ドラマではかなりアレンジした演出になっていたので

ぜひ、この動画を見て原作(史実)との違いを楽しんでほしいうさ かなりおもしろいうさよー


あ、今気付いたけど、今回はユースケ・サンタマリア成分が足りない回だったうさね


【動画版はこちら】




10月9日に、詮子姉さんの四十歳の算賀がハデに開催されたうさ

場所は土御門殿、つまり倫子ちゃん家うさ そして、一条天皇も呼ばれたうさ

さすがは国家を動かす国母、東三条院詮子さまうさ


ん? じゃあ、ドラマでは、一条天皇は、、、

道長の正妻・倫子の自宅に愛人・明子ファミリー御一行を無理やり呼んだうさか。。。

、、、性格、悪っ!



ちなみに、もともとは3月に予定していたお祝いだったけど

詮子姉さんが病気だったり、世の中に感染症が蔓延していたりで、10月まで延び延びになっていたうさ



この祝の席で、童舞(わらわまいという、ボーイズのダンスが披露されたうさ

道長の正妻・倫子の子、約9歳の田鶴は、陵王という舞を舞ったうさ

そして、道長の妾・明子の子、約8歳の巌君は、納蘇利という舞を舞ったうさ



このとき、田鶴の舞は、1歳年下で明子の子の巌君の舞よりもヘタクソプーだったうさ

(田鶴、オマエ「体を動かすのが好き」(倫子談)じゃなかったうさか?)

そこで、一条天皇は、巌君の師匠にだけ栄爵を与えるという形で、巌君だけを褒め称えたうさ

そのせいで、愛人明子と正妻倫子がバチってたし、田鶴は泣いていたし、、、

一条天皇は、ぜったい分かってて、わざとやってるうさ、、、

、、、性格、悪っ!

ホント、性格、悪っ!!


ふだんはなりふりかまわず「定子定子」としか言わないくせに、こういうときだけ子どもにまで政治的にイジワルしてくるうさか

そりゃ田鶴も泣くわ、てか、一生恨むか、自己肯定感低くなるうさ



だって、よりによって自分のお家で、みんなの前で、愛人の子で年下の弟だけが褒められたわけうさから

この一件、大人になった田鶴、つまり頼通の人格形成に影響与えてないか? うさ


ドラマの道長は、田鶴をピシャリとたしなめるイケてるパパだったうさ

そんで、詮子姉さんが倒れたので、パーティーはお開きになると、、、

いうのが、ドラマでの演出と脚本だったうさ おもしろかったうさねー

じゃあ、いよいよ、実際の様子と比べてみるうさよー



(明子は呼ばれてないと思うけど、)田鶴と巌君が舞って、巌君だけが褒められたところまでは、基本的に原作(史実)どおりうさ

一応、納蘇利って二人ペアで舞うものらしいから、もしかしたら巌君は誰かといっしょに舞ったかもうさ

(※実資の『小右記』と、行成の『権記』を読んでみたところ、厳君も一人で舞っていそうでした)




しかし、実際の道長パパは、愛人明子の子よりも正妻倫子の子を露骨にひいきする人だったので

なんと、巌君を褒めるどころか、一条天皇に巌君が褒められたことに露骨に機嫌を損ねて席を立って寝室に帰ったうさ


えええええーーーーーーっっ!


「主上に褒められた♡ 嬉しいよパパ♡」って思い

パパにも褒められると思ってパパの方を見た瞬間、どん底に落とされる巌君、、、

、、、巌君、不憫な子。。。


こちらも絶対、大人になった巌君、つまり頼宗の人格形成に影響を与えているうさ

頼宗がどんな大人になるのかを知りたい方は、ネタバレになるかもしれないけど、こちらの記事「巌君(藤原頼宗) 「光る君へ」人物事典064」を読んでみてくださいうさ


最高権力者左大臣の愛人の子だけが褒められて、絶望のずんどこに落とされる左大臣の嫡男と

パパに置き捨てられて、絶望のずんどこに落とされる最高権力者左大臣の愛人の子を見て、、、

参列した招待客たちの凍りつきっぷりといったら、想像を絶するものだったと思ううさ

ぜったい参加したくないうさよ、そんなパーティー


詮子姉さんにとっても、息子一条天皇と弟道長のせいで自分の楽しいお祝いパーティが台無して

気力が残っていたら、詮子姉さんもバチギレてたと思ううさ




実は、実は、原作(史実)をどう解釈するかは、もっと複雑だったうさ

実は(しつこい)、詮子姉さんおめでとうパーティーの二日前に

内裏の清涼殿でリハーサルが行われていたうさ


このとき、行成もロバート実資も、「”厳君の“舞はいいねえ」と思って見ていたけど

一条天皇だけが、“田鶴の”舞を褒めて、田鶴だけに、褒美をとらせたうさ

それで、道長は(ホントに文字どおり)“飛び跳ねて小躍りして”喜んでいたうさ

、、、どゆこと⁉️ いったい、どゆこと⁉️ うさ


一条天皇が、田鶴と巌君のバランスを取ろうとしたなら、リハで愛人の子・巌君を褒めて、本番では正妻の子・田鶴の顔を立てるのが王道なわけで、、、

というか、そもそもリハでも本番でも二人とも褒めればいいうさ

それを逆にするってことは、、、


一条天皇は、リハで正妻の子の田鶴だけを褒めることで

田鶴に対しても道長に対しても、本番でも田鶴だけが褒められることを匂わせておいて、、、

本番では愛人の子の巌君だけ露骨に絶賛する! という火力の高い攻撃を食らわしてきたうさよ‼️


おいおいおい、、、

一条天皇って、そうとうに性格が捻じ曲がってないうさか?

それか、ビックリするほどなにも考えてないうさか?


、、、まあ、一応一条天皇をフォローすると

最愛の定子が死んだショックから立ち直らないまま、その子の敦康親王も人質にとられているからねえ、、、

道長のこと好きじゃないようねえ、、、うさ




これからも大河ドラマ話や、日本史の話でもりあがっていくので

ぜひ高評価とチャンネル登録をお願いしますうさ

よろしくうさー


定子ファン、ごめん:第28回「一帝二后」

うさようございまーす

第28回「一帝二后」を楽しむ解説うさー

前回では、おおせのままに彰子ちゃんが、約11歳で成人の儀式(裳着)をして

その年のうちに入内したうさ

一方で、引責辞任したはず定子ちゃんは、彰子ちゃんが女御となった日に、敦康親王を産んだうさ

今回は、いけにえの姫をいけにえの中宮にしようとするあたりからうさね


【動画版はこちら】


長保元年12月、道長と詮子は、この前裳着って、さっき入内して女御になった彰子ちゃんを中宮にしようとか言い出すうさ

ドラマでは、安倍晴明が言い出したという演出だったうさ


さて、話の大前提として、一人の天皇に皇后か中宮は一人だけというのが古来からの大原則うさ


そんで、このときは、出家したとはいえ、定子が中宮の座に居座っているうさよ

ここに「彰子ちゃんも皇后か中宮ね」って入れ込むのは、前代未聞の無理筋うさ



12月7日、行成が詮子姉さんの手紙を一条天皇に届けるうさ

同時に、行成は道長の意見も一条天皇に伝えたうさ


行成の説得もあって、一条天皇は、彰子の立后に同意するという返事を下すうさ

行成は、このときに一条天皇を説得した理屈を、後に日記『権記』に書き残しているうさ

それによると


「藤原氏出身の后の大事な仕事として、国家的な大原野神社の神事というものがある

この神事は、本来、天皇の中宮の大事な仕事である

ところが、今いる三人の后、皇后遵子、東三条院詮子、中宮定子はみんな出家して仏に仕えているので、国家のために神を祀る儀式を中宮どころか、誰も執り行えない



だから、国家のために神を祀る神事を執り行う后が必要なのだ

繰り返すが、この神事は、本来、天皇の中宮の大事な仕事である

なので、定子への給与には神事を執り行うための公金も含まれている

なのに、定子は公務である神事に公金を使わず、自分の私用にしか公金を使ってねーじゃねえか」


という理屈うさ


今の人からみると、前半は後付けの屁理屈のように感じるかもしれないうさけど

当時の人は、神事を厳格にとらえていたので、けっこう妥当な理屈で

おそらく貴族社会でも共通の認識だったうさ


さらに言うと、ドラマでもあったように、当時は天皇の行動や神事をちゃんと務めないと天変地異が起こると本気で信じられていたので

ここ数年の疫病、洪水、日食、富士山噴火、内裏の火事は天皇や中宮の振る舞いのせいだ

というのも、貴族社会で本気で信じられていたはずうさ


なお、神事が厳格なものであると言う話は、紫式部の『源氏物語』にも出てくるうさ


このように、神事の怠慢は国家のピンチをまねく、という時代だったことを頭に入れたところで

もう一度、伊周がバカやったとき以来の定子ちゃんの行動を振り返ってみるうさよ つまり

定子ちゃんは、国家を支える大仕事である神事を執り行えるのは定子ちゃんしかいなかったし、公金が含まれた給与もいただいていたにもかかわらず

国家を平穏に保つ神事という責務を放り投げて、出家して逃げやがったし

その後も給与を満額もらい続けてるということうさ

さらにさらに、引責出家後も一条天皇とあの状態うさよ

この時の、公卿たちの伊周・定子に対する気持ちを代弁するなら

「兄貴たちは法皇に矢を射かけやがって、妹は責務を投げ出して出家かよ!フザケンナ!」といったところうさ

しかもうさよ、定子ちゃんが責務を投げ出したあと、すぐに一条天皇は定子ちゃんを連れ込んでラブラブちゅっちゅうさよ

「仕事はしない。公金だけチューチューして禁忌を犯してラブラブちゅっちゅて、、、いいかげんにしやがれ!」

というのが、いつわらざる公卿の総意だったと考えられるうさ


はっきりとうさぎ先生の意見を言うなら、「一帝二后しようとする道長が悪いんじゃなくて、定子に中宮を辞めさせない一条天皇が悪い」うさ!」


ドラマでも、定子ちゃんと一条天皇の行動が天を怒らせて、天変地異や洪水を導いたという展開なので

そりゃ、安倍晴明もキレまくって、道長に、「身を切って、いけにえの姫を出せ」と迫ってきたわけうさ


さて、一条天皇が行成に説得されて同意した話に戻ると

ドラマだと、一条天皇は同意とまでは言っていないのに

行成があえて曲解して、「オッケー出ました!」って道長に報告するという演出だったうさ

この報告を行成から聞いた道長は、「子どもの代まで恩にきる」と言って、行成に大感謝したうさ



ドラマでもあったように、一条天皇は一度同意したように見せかけて、意見を翻したりしたうさ

一条天皇が決心を固めるまではいろいろあったらしく、

ドラマにあったように、道長も日記『御堂関白記』の文章を抹消したりしているうさ



長保2年正月28日、いけにえの姫彰子ちゃんの立后が決定したうさ

さあ、また始まるうさよ。。。


立后の手続きなんかのために、約11歳の新妻彰子ちゃんは2月10日に内裏を退出するうさけど、、、

新妻の目がなくなることを見越した一条天皇は、前日の9日に出産で里帰りしていた定子ちゃんに手紙を送って、、、

引責出家して公金チューチューしながら国家の仕事をなにもやってない定子ちゃんを

新妻が大事な用事で出かけた翌日に、一条院内裏に連れ込んだうさ


、、、って、またか⁉️ またなのか⁉️ また繰り返すのか? 反省ポーズはどこいったうさか⁉️

道長も『御堂関白記』で呆れ果ててるうさ


引責出家したしたはず定子ちゃんが一条院内裏にいるとき、一条天皇は猫が好きーとかいう話や、翁まろという名の犬に対して、今だとコンプラ的にヤバい虐待をした話とかが、『枕草子』とかに出てくるうさけど、うさぎ先生も、ロバート実資よろしく、他にやることあるだろ!と思ってしまううさ

そういえば、一条天皇が定子ちゃんをぜっさん連れ込み中の3月14日に、行成はまた辞表を叩きつけているうさよ



2月25日、いけにえの姫彰子ちゃんは、

道長と闇覚醒倫子ちゃんちである土御門殿に帰って、そこでいけにえの中宮となったうさ

このとき、定子ちゃんは皇后となり、一人の天皇に后が二人という前代未聞の事態になったうさ


おおせのままに彰子ちゃんが中宮になったから勝負あった?

そんなことはないうさ。


なんといっても彰子ちゃんは11歳くらいなので、子どもをもうける可能性は当面ないうさ

それに対して、引責出家したはず定子ちゃんは、かりそめにも皇后の位には居座っているし

一条天皇の唯一の男子である敦康親王を生んでいるうさ



公卿たちがどんなに嫌な顔をしても、国の人々がどんなに苦しんで死のうとも

一条天皇にとっては、自分の男系の血を残せる現状唯一の可能性である敦康親王が誰よりも大切うさ

敦康親王さえ天皇になれれば、定子は国母となって、詮子姉さんポジションについて絶大な権力をゲットできるうさよ

だからこそ、かなり前に出家したときから、どんなに批判されようとも、どんなに天変地異で人が死のうとも、一条天皇と定子はラブラブちゅっちゅし続けたうさよ



12月16日、引責出家したはずの定子ちゃんは、女の子を産むうさ

ところが、この出産がもとで、定子ちゃんは崩御してしまううさ 約24歳ぐらいの若さだったうさ

ドラマでは悲しいシーンだったけど まさかの伊周復活には驚いたうさ

この時生まれた子が媄子内親王で、翌年2月に詮子姉さんが引き取って育てることになるうさ


これからも大河ドラマ話や、日本史の話でもりあがっていくので

ぜひ高評価とチャンネル登録をお願いしますうさ

よろしくうさー


彰子ちゃん、港区女子化大作戦!:第27回「宿縁の命」

うさようございまーす

第27回「宿縁の命」を楽しむ解説うさー

いやー、今回はショッキングだったうさね

奥様に燃料投下しまくりうさねー

今回生まれた紫式部の娘の賢子は、紫式部よりも出世することになるんだけど

ドラマでは、出世の影に出生の秘密あり、ってことうさね

うさぎ先生的には、詮子姉さんが不憫で不憫で、、、


【動画版はこちら】



だって、父の兼家には操り人形として政治利用されて、夫の円融天皇には「愛してないからあっち行け」言われて、

子どもの一条天皇には「全部ママのせいだ」とか言われて、、、

、、、って、おい! 一条天皇、オマ、他責性強すぎるだろ!

うさぎ先生は、詮子姉さんを応援することにしたうさ


では、今回は、長保元年に、おおせのままに彰子ちゃんが裳着ったあと

ドラマでは語られなかった、3月の富士山噴火あたりからうさ

あと、ドラマではあえてオミットされた内裏の火事もあって、この時代の勉強をするならけっこう大事な要素なので、しっかりと押さえておくうさよ



この年の最初に、天変地異や疫病を避けるために、長保と改元したわけうさけど

3月日に、、、富士山が噴火したうさ! どーん!

このとき、駿河国からの使者が、富士山の噴火を「なにかの祟りが原因では!?」と報告してきたうさけど

前回に「朕の行為が天を怒らせて洪水がおきたのか。。。」と、反省したふりをした一条天皇が

舌の根も乾かぬうちに、引責出家したはず定子ちゃんと、内裏でラブラブちゅっちゅし続けたから

天がお怒りになったに決まってるうさ

これでまた、多くの民が苦しむことになるうさ。。。一条天皇、、、おま。。。



さらに、6月14日には、一条天皇が住んでる内裏が火事で燃えつきたうさ

ねえ、どんな気持ち? 反省だけならサルでもできる一条天皇、今、どんな気持ち? うさ

閨房大好き赤染衛門のダンナ大江匡衡も、「内裏が焼けたのは、一条天皇と定子がラブラブちゅっちゅしてっからじゃね?」と言っているうさ

一条天皇の時代以降、内裏って何度も火事にあうんだけど

たぶん煩雑になるから、ドラマでは内裏の火事は取り扱わないんだと思ううさ

ただ、史実ではこの年の火事以降、天皇は誰かの家を里内裏として住んでいる期間が何回もあるので

ドラマをより楽しむためにも、うさぎ先生の動画では、天皇の住処の変遷もしっかりと押さえておくうさよ


さて、住処を追われた一条天皇は、詮子ママが去年から住んでいた一条院に移ったうさ

ちなみに、引責出家したはず定子ちゃんも一条院に連れてきているうさ

反省すらする気ないうさね、一条天皇は

定子・元子・義子と、ヨメを三人引き連れた息子に我が家まで乗り込まれた詮子ママは

昨年まで住んでいた土御門殿、すなわち道長と倫子の愛の巣に出戻ってきたうさ

倫子ちゃんがため息をつく音が聞こえてきそううさ



7月8日、定子ちゃんの生活を取り仕切る中宮職の長官である、中宮大夫の平惟仲が辞表を叩きつけてきたうさ

惟仲が中宮定子に仕えてから二度目の火事だし、前回の火事のときは自分のおうちに定子ちゃんが転がり込んできたしで、

そろそろ堪忍袋の緒が切れたんじゃねえか? てか、定子ちゃんに見切りをつけたんじゃねえか?

と、うさぎ先生は勝手に思っているうさ

8月9日、定子ちゃんは

引責出家したはずなのにお産が近づいてきたということで、一条院から他に移ったうさ

このとき定子ちゃんは、中宮大夫という執事長・平惟仲に逃げられていたので、身分が低い平生昌の宅に移らされたうさ

お供をしたききょうは、「平生昌の宅は、定子様ほどの高貴なる御方には粗末すぎる」

と言って、『枕草子』に不満をぶちまけているうさ

道長や公卿たちはというと、

「定子ちゃんの引っ越しを手伝って」という一条天皇の頼みは、すべての公卿に無視されて

あてつけに同じ日に宇治に遊びに行った道長の誘いには、道綱と斉信だけがついて行ったうさ

つまり、公卿たちはどっちにつけばいいか分からず、静観を決め込んでいたという状況うさ


9月にはいやがらせ事件が頻発したうさ

9月3日には、馬場殿の下に犬の死骸が置かれ、

6日には、右杖座に犬のクソが置かれ、

8日には、道長のオフィスの下に子どもの死体が置かれたうさ

この間の9月7日に、行成が辞表を提出して却下されているけど

ロバート実資は、「どうせパフォーマンスだろ」と、冷淡に書き残してるうさ



11月7日、とうとう引責出家したはず定子ちゃんが、ボロい平生昌邸で敦康親王を生んだうさ

お産に際して、伊周と隆家が鳴弦していたうさね

鳴弦とは、邪気を祓うために矢をつがえずに弓の弦を手で引き鳴らす作法うさ


さて、ドラマでも強調されるけど、そもそも定子ちゃんは出家していたうさよ

要は定子は尼さん扱いなわけで、原理的にはエッチしちゃいけない立場の人うさよ

一条天皇が出家後の定子ちゃんを内裏に呼び寄せてエッチするって

西洋の皇帝とかが権力に任せて、神に仕えてエッチしちゃいけないシスターをお城に連れ込んで妊娠させるようなものうさよ

まあ、そりゃロバート実資もキレるうさよ

実際、道長は日記『御堂関白記』で、定子の出産はガン無視してるし、

ロバート実資も真凛ちゃんとラブラブちゅっちゅすることも忘れて

日記『小右記』で、引責出家したはず定子ちゃんの出産をボロっカスに言ってるうさ



一方で、道長側は、9月25日ぐらいから

いけにえの姫彰子ちゃんの入内の準備を始めたことが『御堂関白記』から分かるうさ

ドラマでは夏ぐらいから「彰子ちゃん、港区女子化大作戦♡」があっていたうさね

赤染衛門の能力が閨房に全振りされていたり、彰子ちゃんが興味津々だったり

二人の以外な側面が見れたうさ


10月21日、道長は

「いけにえの姫彰子ちゃんの嫁入り道具の屏風に貼る和歌を作ってくれ」と、みんなに依頼(恫喝)したうさ

花山法皇までもが和歌を贈っているような状況にロバート実資はバチギレて

「そんな話はこれまで聞いたこともない。うん、聞いたこともない」と憤慨しているうさ

なお、ロバート実資だけは道長の恫喝を拒否っていて

ロバート実資に近い家系の公任も歌を贈ったことを批判しているうさ

公任は断れないでしょ、、、しょうがないよ、、、うさ


10月30日には、みんなが献上した和歌を、字がきれいな行成が清書したうさ

このとき、道長は重ねてロバート実資に和歌を求めたうさけど、ロバート実資はまたも拒否ったうさ

ちなみに、彰子ちゃんが女御になった後、道長は厭味ったらしくロバート実資に、

ロバート実資の歌だけが書かれていない屏風がある部屋に、ロバート実資を呼び込むうさ

ドラマでは、彰子ちゃんが入内する前に、ロバート実資が道長とともに屏風を見たうさね



いけにえの姫彰子ちゃんの入内の準備もすすんでいて

いけにえ入内の日は11月1日に決定したうさ

ドラマだと、道長が定子の産み月に入内をぶつけてやれとたくらんでいたうさね


11月1日、いけにえの姫彰子ちゃんに、内輦車宣旨が下されたうさ

内裏は焼け落ちているから、入内先は一条天皇が住んでいる一条院うさ

輦車というのは、牛車と違って人が引く車なので、ドラマでも人が引いていたうさ


7日に女御宣旨が下されて、彰子ちゃんは女御となったうさ

なにげに、一条天皇にとっては、4人目にして初の年下のキサキうさ

さっき言ったように、この日は引責出家したはず定子ちゃんが男子を産んでいたうさ

一条天皇はビタイチ空気を読まずに、満面の上機嫌で定子息子のお祝いの手配をしまくっていたうさ

ほんと、いけにえの姫彰子ちゃんはかわいそううさ。。。

諸卿は、子を生んだ定子ちゃんをスルーして、みんなで彰子ちゃんのことに参って

お祝いの挨拶をしたうさ


ドラマで、彰子ちゃんと顔合わせをしたときの一条天皇も、ほんとにイヤなヤツだったうさよねー

「そなたのような幼き姫、、、」とか

「楽しく暮らしてくれれば、朕も嬉しい」とか

お前の相手をするきはない、的な気持ちを隠そうともしなかったうさ

公卿たちも道長も、凍りついていたうさ



12月、道長と詮子は、この前裳着ってさっき女御になった彰子ちゃんを、中宮にしようとか言い出すうさ

ドラマでは、安倍晴明が提案したうさね

この話からが次回の範囲うさ



これからも大河ドラマ話や、日本史の話でもりあがっていくので

ぜひ高評価とチャンネル登録をお願いしますうさ

よろしくうさー



どんな気持ち? 定子ちゃん、今、どんな気持ち?:第26回「いけにえの姫」

うさようございまーす

第26回「いけにえの姫」を楽しむ解説うさー

今回は、長徳4年10月1日の地震と日食からうさね

この月は3日にも地震が起きているし、さらに15日は皆既月食だったうさ

ふ、不吉、、、うさ、、、

この朝廷とこの国の一大事に、史実の道長は、、、


【動画版はこちら】


2日に宇治の山荘に遊覧に出かけているし、10日には紫野で競馬を楽しんでるうさ

史実の道長は、ドラマと違ってやる気ないうさね


ドラマで語られなかった長徳4年のできごとをざっと見ておくうと

10月18日に、行成が1歳の息子を亡くして悲しんでいるうさ


10月29日に、詮子姉さんが道長倫子夫婦との同居を解消して

かつて藤原為光のお家だった一条邸に引っ越ししてるうさ



みなさん、一条邸って覚えてるうさか? ヒントは斉信のパパ為光のお家だったってことうさよ

一条邸は、、、為光の三の君・光子ちゃんのお家であり、隆家が花山法皇に矢を射かけたあのお家うさよ


あ、ドラマの最初でまひろたちが、宣孝ってこんなに豊かとは思わなかった的なことを言っていたけど

宣孝は備後・周防・山城・筑前・山城の受領を歴任しているから、そうとうに金を溜め込んでいたのは当然うさね


12月には大雪が降っていて、『枕草子』に、ききょうや定子ちゃんたちが雪山をつくって

いつまで雪が溶けずに残っているかをみんなで賭けたという話が残っているうさ

雪がまだ溶けきっていない正月3日に引責出家したはずの定子ちゃんが内裏に呼ばれた話も『枕草子』にあって

ドラマでも「こともあろうに正月に秘密裏に定子を内裏に呼んだ」とあったうさ


長徳5年を長保元年に改元したのは、正月13日うさよ

この時点でも、引責出家したはずの定子ちゃんは、まだ内裏で一条天皇とラブラブちゅっちゅしていたうさ

改元の理由は、天変や日照りや疫病やうさ

「長保」の出典は『周易』と『国語』にある「可長保民(長く民を保つべし)」で

ドラマでは道長とロバート実資が二人で次の年号を検討しているときに

道長の手元の紙に『国語』の文章が引用してあったうさ

あ、『国語』は中国の歴史書で、春秋戦国時代を扱ったものうさ

なお、「長保」という年号を推したのは、倫子に仕えていた赤染衛門のダーリンの大江匡衡うさ

少し先走ると、赤染衛門と大江匡衡は仲がいいことで有名で

あとあと、道長なんかは赤染衛門を「匡衡衛門」と呼ぶようになるうさ



ドラマの前半で、一条天皇が「民が多く死んだのは朕のせいなのか。。。」と、

引責出家したはずのグダグダ共依存定子ちゃんとラブラブちゅっちゅしまくっていたことを反省した、、、

ふりをして

道長も、安倍晴明と話しているときに「この前お諌めした」と言っていたうさ

これは、おおせのままに彰子ちゃんの裳着より前の話だから、2月9日以前のことうさ


ところが、一条天皇は2月の末になっても、こんどは一条天皇が内裏を出て

引責出家したはずの定子ちゃんがいる職御曹司に通ってるうさ

この件は『枕草子』でも晒されてて、ききょう(清少納言)が公任に返す歌の上の句を定子さまに相談しに行ったら

真っ昼間っから、反省したふり一条天皇と、引責出家したはず定子ちゃんがラブラブちゅっちゅしてやがった

と、『枕草子』に書いてあるうさ

一条天皇、いいかげんにするうさよ


ついでに言うと、ドラマの後半で安倍晴明が「正月の内裏でのラブラブちゅっちゅで定子が懐妊した」と言ってるけど

ドラマの監修を務めている倉本一宏氏の本『一条天皇』によると、

次の回で生まれるはずの子の出生日から逆算すると、懐妊したのは2月の末ごろうさ

ドラマの演出では、正月と2月のラブラブちゅっちゅが一つにまとめられているということうさ



おおせのままに彰子ちゃんが裳着の儀式を行ったのは2月9日で、そこから3日間宴会が続いたうさ

ドラマの演出では、おおせのままに彰子ちゃんの裳を詮子姉さんが結んだのは夜だったけど

『玉葉』を読む限りでは、裳着ったのは昼だったっぽいうさ


ちなみに、彰子ちゃんの裳着には、政治生命を一家でロストしてる定子からも香壺筥(こうごのはこ)が贈られているうさ


ねえ、どんな気持ち? 引責出家したはずの定子ちゃん、今、どんな気持ち?うさ


まあ、彰子が入内する流れを定子も掴んでいるからこそ

ワンチャン狙って、世間の評判ガン無視で子づくりに励んでたと思われるうさね


さて、おおせのままに彰子ちゃんは、裳着にともなって

約11歳という若さで従三位という高い位を授けられたうさ 

裳着ったばかりの11歳の小娘が従三位をもらうのがどれくらいすごいのかというと、、、

、、、、史上初うさ!

詮子姉さんやグダグダ共依存定子ちゃんでも、入内してけっこうたっても従四位だったくらいうさよ

それを、入内も(表向きは)確定してなくて、裳着の段階で従三位とか、、、ありえんうさ

実にありえんうさ

と、うさぎ先生もロバート実資調になるうさよ



ここから先、6月とか8月にいろいろと事件があるうさけど

次回のドラマで取りあげるかもしれないから、ここまでにしておくうさ

それでも一つだけ加えておくと、3月7日には富士山が噴火するうさー 祟りうさー

これからも大河ドラマ話や、日本史の話でもりあがっていくので

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長徳四年の真実:第25回「決意」

うさようございまーす

第25回「決意」を楽しむ解説うさー

今回の後半は、恋愛勢にとってはたまらない回になったうさねー

日本史勢のうさぎ先生的には、ドラマのナレーターが、まひろと宣孝の結婚の翌日が日食と言っていたうさから

日食だった長徳4年10月1日から結婚の日取りを逆算したら、、、

まひろと宣孝の結婚は 9月29日、、、

肉の日うさね!

とか言って、一羽で盛り上がっていたうさ

ドラマでは日食を「不吉の兆し」と言っていたうさけど

史料を確認したら、この日は日食の前に地震まで起きていたうさ

当時の人たちの感覚だと、そうとうに不吉みを感じていたと思ううさ


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前回のドラマから今回にかけての時期に有名な話があるうさけど

ドラマでは取り扱われなかったから、紹介するうさ


一条天皇が引責出家したはずの定子を職御曹司に呼んだ長徳3年6月22日の3日後

中納言のロバート実資は「ロバート実資よりもあとに中納言になった道綱が、ロバート実資を追い抜いて大納言になりそうだ」というウワサを聞いたうさ

ロバート実資は激怒して、一条天皇に対してまで「天皇は先例を知らんのか!」

と、真凛ちゃんを(たぶん)ほっといて、(たぶん)ラブラブちゅっちゅせずに日記に書いているうさ



さらに、7月5日に実際に道綱が大納言になると

ロバート実資は激怒に激怒を重ねて、「道綱とか、名字を書くこと以外、なんも知らんヤツじゃねえか!」

と、真凛ちゃんを(たぶん)ほっといて、(たぶん)ラブラブちゅっちゅせずに日記に書いているうさ


さらにさらには、「身内だからって、アホの道綱を出世させるとか、道長や詮子が好き勝手に政治をやってやがる!」

と、真凛ちゃんを(たぶん)ほっといて、(たぶん)ラブラブちゅっちゅせずに日記に書き加えてるうさ


トランジション

次は、ドラマで道長が、引責出家したはずの定子ちゃんとラブラブちゅっちゅするために多くの民の命を犠牲にした一条天皇のていたらくにバチギレして、「お仕事辞めます」と、メンヘラ男子仕草をやった話うさ


このころに道長が三度も辞表を叩きつけたのは史実うさけど その理由はドラマではかなりアレンジしてあるうさ

史実だと、、、腰の病気が理由だったうさ

腰の病気がキツいので、出家すると言って辞表を出したうさ


史実の道長は、かなり病気がちで、しかも病気になるとかなり弱気になる人だったうさ

ドラマでも「自分は政治のトップに立つ器ではない」的なことを言っていた道長うさけど

史実でも、このときの三度目の辞表では「母后の同胞をもって…」と、つまり「母や父の力で実力以上に昇進してしまい…」と言ってるうさ

ドラマで言ってた三度の辞表のあとにも、史実の道長は定期的に辞表を出するので、

(道長の主観としては)実力以上のハシゴを登らされてやらされている左大臣という立場と仕事と責務は、そうとうにキツかったんだと思われるうさ

権力者の孤独うさよね


トランジション

ドラマでは鴨川の治水工事が後手に回った理由は、全部、引責出家したはずの定子ちゃんとラブラブちゅっちゅしていた一条天皇のせいにされていたけど

史実では、この年の5月から「あかもがさ」と呼ばれる感染症、すなわち麻疹が大流行したうさ

『日本紀略』に「主上より始め庶人に至るまで、上下老少、この瘡を免るる無し」と書かれるほどのありさまだったうさ


実際、一条天皇も7月に感染してるし、書の達人として名高い藤原佐理は死んでるうさ

あと、行成も罹患して、「心神不覚」にまでなったし、道長と詮子姉さんがこのころ罹った病気もおそらくあかもがさうさ


というわけで、このようなパンデミック状況で万事が滞っているなか

鴨川の堤防の修理もしかたなく後回しになってしまっていたところ

9月1日に鴨川の堤が決壊してしまったという事情があったうさ


この年は疫病が大流行しているところに鴨川が氾濫して、さらに日食と地震まであったので

人々の不安はかなり高まってたと思われるうさね


あ、そういえば、パンデミック真っ只中の6月は、一条天皇のもう一人のお気に入りの元子ちゃんの臨月だったうさけど

6月3日には、一条天皇の御座に犬のフンが置かれるといううんこテロも起こったうさ

一条天皇がうんこテロに気づかずに御座に座ったのかどうかが気になるうさね


トランジション

ついにまひろが宣孝と結婚したので、ここで宣孝についてまとめておくうさ

藤原宣孝は、まひろのまたいとこにあたるうさ


ドラマでは筑前守になって「受領の旨味を吸い尽くした」とドヤっていたけど

実は、その前にも備後・周防・山城の受領を歴任していたうさ

為時とは大違いうさね


利権の塊である受領に何度もなっているので、宣孝は羽振りがよかったと思われるうさ

ドラマでもあった、金峯山寺に親子で派手な格好で詣でて世の失笑をかったこともそうだし

女性関係がハデだったことも、潤沢な経済状況に支えられたものだったうさ


ドラマでは盛り上げられなかったけど、かつてミチカネが花山天皇の蔵人頭をしていたときには、為時とともに蔵人をしていたうさ

まひろの母ちやはを殺した道兼と、まひろパパの為時と、まひろ未来の夫宣孝が同僚とな! これは、一波乱あるうさね!

と思って、初期の動画で予言していたけど、みごとに予想をハズしたうさね


宣孝の仕事ぶりはテキトーだったみたいで、賀茂臨時祭のときに仕事を忘れて怒られたり

祈雨の使者として丹生社に行ったときに、地元人に乱暴されてクビになったりしたことがあるうさ

朝廷の使者に乱暴した地元人でなく、使者の宣孝がクビになったってことは

宣孝がよっぽどのヘマをしたと考えられるうさ


プライベートでは、金回りが良くて女性関係がハデだったことに加えて

賀茂祭の舞人に何回か選ばれるほどダンサブルで、賀茂臨時祭のバックオーケストラのリーダーを務めて行成に絶賛されたりしているうさ

全体的に、史実の宣孝は、佐々木蔵之介が演じているドラマ版宣孝そのもののキャラだったと言えるうさ

佐々木蔵之介さん、さすがうさね


ひとつ、宣孝にしては地味なエピソードがあって、20年間にわたって日記をつけていたみたいうさ

現在まで宣孝の日記が残されていないのが残念うさ



一条天皇のウラ:第24回「忘れえぬ人」

第24回「忘れえぬ人」を楽しむ解説うさー

ドラマでは語られなかった、長徳三年(997年)の動向も見ていくうさよ


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詮子姉さんの病気回復を祈って大赦が行われたのは3月25日で

伊周と隆家の恩赦と召還が決まったのは、4月5日うさ


あれだけのことをやったうえに、形式的には地方官としての任期を残している二人を召還すべきかどうかはビミョーだったらしく

公卿会議でも意見は4つに分かれたうさ


ドラマだと、斉信が「法律の専門家に調査させるべきだ」と言ったり

公任が「任期までは地方に留めるべきだ」とか言っていたのが印象的だったうさ


なお、道綱は、ここでキョドって「(ロバート実資と)同じです」って言って逃げてるけど

『小右記』をみると、確かに斉信や公任たちの意見は残されてるけど、道綱の意見は書いてないうさね

史実でも道綱は何も言えなかったか、ロバート実資に捨て置かれるほど、くだらない意見を言ったんたろうね…うさ


結局、一条天皇の勅定で伊周と隆家を京に召還することが決まったうさ

すると、隆家がチョーゼツソッコーで、16日後の4月21日に帰ってきたうさ

『延喜式』によると京から出雲国まで下るときは8日かかって、出雲から京に上るときは15日と

京から出雲までは往復23日ほどかかるうさ

今回は緊急ということで、情報を運ぶ下りの使者は飛駅的に早馬を飛ばして4日縮めたとしても、往復で19日かかるうさ

ドラマでも藤原顕光が「ふつうなら二十日はかかろう」と言っているうさ

この理論値19日に引っ越し準備とかなんとかでけっこうな日数が加わるはずなんで

16日目に隆家が帰ってきたというのは、ロバート実資が「不可解なり」と言っているように、なにかウラがあるはずうさ


ひとつの可能性は、隆家は出雲国には滞在していなくて、京に近い但馬国とか、へたすりゃ京の近辺に潜んでいたというのが考えられるうさ

ただ、ドラマでは、隆家は道長に「出雲の干ししじみ」を献上していたうさ

すると、隆家はほんとうに出雲にいたのか、

しじみは干して長期保存できるようにしてあるので、隆家は少し前に出雲を離れて、干ししじみを持って京に近づいていたのか、

干ししじみが出雲産というのが大ウソだったという可能性が考えられるうさね

うさぎ先生的には、

隆家は大赦の報を受けたときに、自分が召還されるかどうかも確かめずに京に向かって帰り始めた

と推測してみるうさ

これなら、大赦の3月25日から隆家帰京の4月21日まで26日となるので

ロバート実資が抱いた不可解さに一応の答えを出すことができるうさ

まあ、あの隆家なら数日前まで出雲にいたくせに、あわてて京に向かったから出雲のしじみなんて手に入れていなかったから、京都に近いどこかでしじみをゲットして「出雲の土産です」って道長にウソを言うくらいのことはしそううさね


一条天皇が詮子ママの病気見舞いに行ったのは、6月22日うさ

ロバート実資の日記『小右記』や藤原行成の日記『権記』によると巳の四刻なので

だいたい、午前11時くらいうさ

『小右記』に「病が重かったから見舞いに行った」とあるので、ドラマのように、詮子姉さんが起き上がることができたかどうかはあやしいうさ

そんで、ドラマに「その日のうちに」とあったように

グダグダ共依存カップルの片割れの定子ちゃんが一条天皇に呼ばれたのは、一条天皇が重病のママを見舞ってから半日もたってないころうさ


絶対、一条天皇はママの重病とかに興味なくって、ママを見舞っているときも、定子ちゃんとラブラブちゅっちゅすることしか頭になかったうさよ

ロバート実資もバチギレして、日記に「天下甘心せず」という有名フレーズを残しているうさ

今でいうと

重病のママが病床で朦朧としているところにバカ息子が凸ってきて、朦朧としているママの肩を揺すりながら、

「ねえねえ、身内の不始末の責任を取って(実質的に)離婚した元ヨメと同棲してもいい? 今のヨメ(元子ちゃん)とも、ラブラブちゅっちゅしてるけど ねえねえ、ママ、また元ヨメも呼び戻してラブラブちゅっちゅしてもいいよね? 今のヨメ(元子ちゃん)とも、ラブラブちゅっちゅしてるけど」

って詰め寄ったようなものうさよ

重病で朦朧としているママも、思考して判断するのもおっくうで

「分かった、、、なんでもいいよ、、、好きにしていいよ、、、キツイから早よ寝させて。。。」

っていう気持ちだったと思うさ

ダメ恋図鑑もびっくりの、ダメ息子うさね


あと、ドラマでも史実でも

「定子ちゃんは内裏の外の職御曹司に住まわせるからオッケー」

的なことを言っているけど

一条天皇は職御曹司に住んでいた定子ちゃんを内裏の中に呼び寄せてラブラブちゅっちゅするから

「意味ねーじゃん!」と当時の人達も、うさぎ先生も思ったうさ

職御曹司っていうのは、大臣の宿直室であり執務室うさよ

今でいうと、

専務が「よし仕事しよ!」って気合い入れて執務室に入っても、隣部屋では会長の禁断の愛人が生活しているようなものうさ

やってらんねーうさよね

ついでに言うと、このころの一条天皇は、定子のほかには藤原元子がお気に入りだったみたいうさ

前年に入内した大納言藤原公季の娘・義子(22歳)は内裏の弘徽殿に住まわされたけど

同じく前年に入内した右大臣藤原顕光の娘・元子(18歳?)は、もっと近い承香殿に住んでいて

しかも定子ちゃんが職御曹司に入って1箇月後ぐらいには、元子ちゃんの懐妊が分かったうさ

一条天皇、、、おま、、、うさ


懐妊系のこぼれ話といえば、

このころの倫子は懐妊中うさ

ただ、このあとの10月16日に倫子は男子を出産するうさけど

その後の記録に出てこないので、悲しいけど、その子は早世したと考えられてるうさ

今回の時点で、道長と倫子との間の子は9歳の彰子と頼通、そして去年生まれた教通うさ

道長と明子との間の子は頼宗と顕信と能信で、一番若い能信が2才くらいうさ



為時の越前下向:第22回「旅立ち」と第23回「雪の舞うころ」

第22回「旅立ち」と第23回「雪の舞うころ」を楽しむ解説うさー

今回は、為時の越後国赴任の話うさ


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あらすじ

為時本人の希望により、一度は小国淡路の国司に任命された為時

しかし、まひろが勝手に為時を自演して「I wanna be the 越前守」レターを道長に送る

道長がレターを開くと、そこには次のような漢詩が


苦学の寒夜、紅涙襟を霑ほす

除目の後朝、蒼天眼に在り


漢詩の意味は、だいたい

苦労してに学問に打ち込んでいた寒い冬の夜には、

血の涙が襟を濡らすほどの思いをしておりました。

(それなのに)除目の翌朝には(期待に反する任命を聞いたので)、

(むなしく空を見上げて、)美しい青空が目に映っている。(だからよけいにむなしい)


という感じうさ

ちょうど、宋人がいる越前国へは中国語(漢文)に長けた人物が国司としてあたるべきだ

と道長は考えていたので、深夜のダメ恋筆跡鑑定で「まひろの字じゃーん(ニチャア)」と思いつつも

為時からの手紙として一条天皇に見せたうさ

ドラマでは、漢詩を読んだ一条天皇が、「蒼天ってオレのこと?」と、自意識100万ボルトの感想を述べていたうさ


「(ドラマでは)そもそも為時本人が自己推薦書で「淡路守になりたい」って最初に自分で言ってたじゃん

なんで今になって淡路守が不満とか言い出すのコイツ?」と考えるほどは勘が良くない一条天皇は

中国語(漢文)に長けた為時を越前守に任命し直したうさ


まひろがパパ為時と京を出発したのは、秋の末だと考えられているうさ

この年の閏7月10日に、なにげに鴨川が洪水を起こしているから

鴨川の横に住んでいたまひろ一家は、洪水の被害を受けていた可能性があるうさ

弟の惟規は約24歳になっているけど、文章生として修行中の身なので、越後国にはついていかなかったうさ

早よ、働けや!

あ、パパ為時もあんまり働いてなかったうさね そういえば


当時、越前に向かう道は次の通りうさ

まず、京を出立した後、逢坂の山を越えて打出浜(大津海岸)に出るうさ

そこで船に乗って琵琶湖西岸を北上して、塩津湊に上陸するうさ ドラマでは雨が降っていたうさね

実は、紫式部は越前への旅の途中に「かき曇り夕だつ浪のあらければうきたる舟ぞしづ心なき」という、夕立ちの歌を残しているので

ドラマでも夕立ちを再現していたということうさ

塩津から北上して、塩津山(深坂峠)を越えて敦賀にいたり、さらに北上して丹生郡(今の越前市)の国府に入ってゴールうさ

『延喜式』よれば、越前国へは下り四日とあるので、まひろ一行はだいたい5~6日かけて旅したと考えられるうさ

為時一行が越前国に入るときには、通常は「境迎え」という儀式で越前国の官人から迎え入れられるうさ

さて、宋人が安置された松原客館は、国府よりもかなり手前の敦賀にあったので

ドラマのように、国府に到着する前に松原客館に立ち寄るのは、合理的ではあるうさ



長徳の変3:第21回「旅立ち」

第21回「旅立ち」を楽しむ解説うさー

今回は、長徳の変3と為時の越後国赴任の話うさ


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あらすじ

花山法皇の衣を射抜いちゃった事件の追究から逃げ回る伊周

定子ちゃんは内裏を出て実家の伊周ハウスに出戻り

一条天皇は伊周にバチギレて、ついに伊周ハウスをぶっ壊しながら捜索しろと命令を下す

あまりの仕打ちに、定子ちゃんは刃物を振り回しながら出家

こんなに殺意が溢れる出家は見たことねえ

出家とは、もう一条天皇には会わぬ覚悟であり、生きながらに死んだ身となることを意味する

どうする? 定子ちゃん

トランジション

いきなりだけど、ドラマで原作(歴史)とは違う演出があったうさ

原作では、ききょうは長徳の変の後ぐらいから1年ぐらい里帰りしていたうさ

これは、ききょうが道長の味方だと疑われたからと考えられているうさ

ともあれ、ドラマではききょうは定子のもとを離れずに、『枕草子』を少し書くごとに定子に捧げていたうさ

この演出が良かったので、多くのX民もうさぎ先生も涙していたうさ

せつない「春はあけぼの」だったうさー

あ、『枕草子』の名前の由来については、五味文彦氏が唱えた新らしい説が採用されていたうさね

トランジション

定子が出家したのが5月1日で、その時逃げた伊周は、『栄花物語』によると、木幡にある父道隆の墓所に詣でていたうさ

あと、どーでもいいけど、この大騒ぎのなかの5月2日に、道綱は亡き母寧子の一周忌の法事をしているうさ

そして、「ボクも出家したもーん。犯罪はリセットだもーん」と言って、のこのこと帰ってきたのは5月4日うさ

あのニセ出家って、ドラマオリジナルの過剰演出臭く見えるけど、ロバート実資の日記にも記されている史実うさ

伊周がママといっしょじゃなきゃいやだー、ってママといっしょに出発して、ママだけ引っ剥がされたのも史実うさ

ママとお手々をつなげなくなった伊周は、今度は「ボク病気で動けなーい」ってゴネ出したうさ

これは朝廷に聞き入れられて、伊周は播磨に、隆家は但馬に逗留することになったうさ

なんだかなあ。。。うさ

トランジション

ブラザーズの無様な様子を聞いていた定子は、あの表情で絶望していたと思うさ

そんな折、6月8日には、定子ちゃんとママ貴子が住んでいたお家(二条邸)が火事になったうさ

この知らせを聞いたロバート実資は、真凛ちゃんとラブラブちゅっちゅすることも忘れて、日記に感想を書き残しているうさ

そこには、

「(定子ちゃんは)この前までは内裏にいたのに、今はもう滅亡してしまうとは、『禍福はあざなえる縄の如し』とは古人が言ったものよ」

とあるうさ

こんなふうに、客観的に見て定子も伊周・隆家も終わった人になったので

ドラマでも触れられていたように、公卿たちは娘を一条天皇(17歳)に入内させ始めたうさよ

史実では、7月20日に大納言藤原公季の娘・義子(22歳)が入内して

次に、11月14日に右大臣藤原顕光の娘・元子(18歳?)が入内したうさ

あと、2年後のことだけど、あの道兼の娘の尊子(14歳)も入内したうさ

なお、火事のあとに定子が引っ越して、ききょうが『枕草子』を差し入れていた場所は、たぶん高階明順の邸うさ

次に、7月20日、道長が左大臣に、顕光が右大臣に、ロバート実資が中納言に昇進したうさ

ロバート実資はこの昇進を予期していなかったのか、真凛ちゃんとラブラブちゅっちゅすることも忘れて、日記に喜びの気持ちを書きまくっているうさ

この昇進のシーンのあとで、詮子姉さんが闇覚醒倫子ちゃんに「産み月なので、、、」と言っていたうさ

倫子ちゃんはその前のシーンでもお腹が大きくて、この年に妊娠していたことが分かるんだけど

この年に生まれたのは教通でしかありえないうさ

そんで、史実では教通の誕生日は6月7日なので、7月20日以降に闇覚醒倫子ちゃんがまだ妊婦のままというのは、もろ時系列が矛盾するうさ

なんか、ドラマの展開に関わる都合があるうさかね

10月から、また事態がいろいろと展開していくうさけど

まだドラマがそこまで進んでないので、そのあたりは次回のお楽しみうさ


長徳の変2:第20回「望みの先に」

今回は、第20回(エピソード21)「望みの先に」を楽しむ解説うさー

前回は長徳の変にいたる歴史的な過程を詳しく紹介したので

今回は、長徳の変勃発から定子ちゃんが出家するまでを解説するうさ


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あらすじ

長徳2年正月16日、一条邸に住む光子ちゃんにフォーリンラブな伊周と 光子ちゃん妹の厳子ちゃんラブな花山天皇が

一条邸でバッティング

泣きべそかいておめおめと帰ってきた伊周を見て隆家が参戦

相手が誰だか分からないまま矢を射たら 相手はなんと花山院でしたとさ

どうする? 伊周

トランジション

相手が花山院だと分かったので、伊周と隆家はとんずら開始

二人を逃がすために、二人の従者が花山院の従者と闘乱開始

この闘乱の顛末は、ドラマでは少しマイルドにぼかしていたけど

伊周と隆家の従者が花山法皇のお供の童子二人をサツガイして、首を持ち帰るという大大大事件となったうさ

ドラマのように事件の情報はただちに内覧の右大臣道長に報告されて

平安京の治安維持を担当する検非違使の長官であるロバート実資にも通報されたうさ

ドラマでは、一条天皇に報告が上がったのは、事件から9日後だったうさ

この日は正月25日の除目(人事会議)の日で まひろパパ為時が淡路守に任命されたのもこの日だったうさ

事件の報告が天皇に上がるまでに時間がかかっているうさけど

これは、花山院の側でも事件を表沙汰にしたくなかったからかもうさ

ドラマで、報告を聞いた一条天皇が「この前従者の闘乱を厳禁したばかりだろ!」と激怒していたけど

実際、ここ1年の主な闘乱事件だけでも、前年の2月3日に詮子姉さんとおねショタ定子ちゃんの宮人(くにん)が闘乱してるし

7月27日には道長と隆家の従者が七条大路で合戦してるし

8月2日には隆家の従者が道長の随身をサツガイしてるし

10月には荘官のサツガイ事件があって検非違使が平安京の外まで捜索してるし

12月官人の闘乱事件に検非違使が関わっているし

と、そりゃ一条天皇もキレるわ ってくらい闘乱事件は頻発してきたいさよ

トランジション

一条天皇がキレてから、伊周の追放が決まるまでには、実は2箇月半以上かかってるうさ

その間に起こったことをざっとみてみると

まず、ドラマで定子ちゃんが一条天皇に「私の家族をえこひいきしないと別れるからね。ダメなの?じゃあ、もう別れてあなたと会うこともないわ。バイバイ」と言って

一条天皇が、行かないでーって、ぎゅーっとするという

相互依存グダグダのダメカップルムーブをかましていたうさ

なお、史実だと、定子が内裏から内裏外の職曹司に退出したのが2月25日で

一条天皇の命令によって、定子が職曹司から二条邸(伊周たちのおうち、つまり実家)に遷ったのが3月4日うさ

要するに、定子のメンヘラ自傷恫喝を一条天皇は全部突っぱねて、定子を実家に帰して伊周たちも厳罰に処したということうさ

一条天皇、がんばったうさね

だからこそ、この後の一条天皇のムーブは、、、ゲフンゲフン、、、その話はまた後日に、、、うさ

一応だけど、この辺の時系列については、ドラマには史実とは異なる演出があったうさ

ドラマだと、定子ちゃんのメンヘラ自傷恫喝は、伊周の呪詛・大元帥法疑惑が出た後だったけど

史実ベースの時系列だと 呪詛疑惑は3月28日以降で、大元帥法疑惑は4月1日と、両方とも定子ちゃんが実家に帰されてから後のことだったうさ

大河ドラマが史実から時系列を組み直した演出をしたのには、2つくらい理由があると推測していて

まず、のっぴきならない状況にまで伊周・隆家が追い詰められてから、あの恫喝シーンを入れたかったということかなと

それ以上に、史実をベースしてしまうと、この恫喝シーンがグダグダになってしまうからかもうさ

実はこの年の12月16日に、定子ちゃんは娘を生むことになるうさ

ということは逆算すると、この年は閏月があるので、定子ちゃんの懐妊は4月の始めごろとなるうさ

つまり、史実では、一条天皇は3月始めに定子ちゃんを実家に帰したにもかかわらず

伊周たちの処分が決まる前から定子ちゃんを内裏に呼び寄せて ラブラブちゅっちゅしていたということうさ

一条天皇(17歳)、、、オマエ、、、ほんとグダグダやな。。。

というわけで、ドラマでは定子ちゃんの懐妊をメンヘラ恫喝以前にもってきたかったのではないかと思ううさ

次に、伊周が詮子姉さんを呪詛したり、大元帥法を行ったという話うさ

呪詛については、ドラマでは詮子姉さんの自作自演を倫子ちゃんが見破った的な展開だったうさね

そうなると、大元帥法が問題となるうさ

大元帥法とは国家が毎年正月8日から7日間行う大法会で、国家の鎮護を祈るものうさ

もちろん大元帥法を臣下が行うことは厳格に禁止されていたうさ

ということで、伊周が大元帥法を行った件についてはどうなったの?? って思ったうさ

ドラマで、伊周は道長に「花山院を射た件はごめんなさい。でも呪詛はしてないもん」って訴えたときに

「大元帥法もやってないよ」って言わなかったうさ この点は気になっているうさよ

トランジション

いよいよ5月1日、ロバート実資率いる検非違使が、土足で伊周たちのおうちをぶっ壊しながら捜索する日がきたうさ

ドラマではメンヘラ自傷恫喝に失敗して実家に帰された定子ちゃんも、当然この場にいたうさね

この日の野次馬連中の様子を『栄花物語』は

「身分賤しい連中が邸内を取り囲んで、ここかしこと覗いて、、、」(かかるあやしの者ども殿の内にうちめぐりて、ここかしこをぞ見騒ぐ、、、)と書いているけど、、、

なるほど、こいつらのことうさね

このときの実家の有り様と、あまりの仕打ちにショックを受けて、定子ちゃんはこの日のうちに出家してしまうさ

出家というのは、この俗世間とのつながりを断ち切るほどの重い行動うさ

だからこと、この後の定子ちゃんカップルときたらグダグ、、、ゲフンゲフン、、、それはまた今度うさ

今回は、為時が越前守になった件も解説しなきゃいけないうさけど

さすがに、バランスが悪いので、長徳の変に絞ったうさ

今週は時間がないので、時を逸するとは思うけど、為時の話はまた今度にさせてくださいうさ



長徳の変1:第19回「放たれた矢」

うさようございまーす

今回は、第19回(エピソード20「放たれた矢」を楽しむ解説うさー

ついに有名な事件の「長徳の変」が起こってしまったうさね

今日は、ドラマでは描ききれなかったエピソードも含めて、長徳の変にいたる歴史的な過程と

長徳の変の結末を詳しく詳しーく解説していくうさ

……と思ってたけど、長徳の変の後半はまだ放送されていないから、今回は前半だけうさ


【動画版はこちら】


ことの発端は、996年正月16日、故太政大臣藤原為光の邸で、花山法皇と藤原伊周・隆家兄弟の従者が闘乱したうさ

今回は、そこに至る事情を中心に解説するうさ

藤原為光は、なんちゃって貴公子斉信と、愛されすぎ女子忯子ちゃんのパパだった人うさ

そのお家、つまり今回のドラマで伊周が泣きべそかきながらおめおめと帰ってきた故太政大臣藤原為光の邸の場所は

『百錬抄』によれば「一条第」で 『栄花物語』では「鷹司なるところ」とされているうさ

トランジション

さて、長徳の変の登場人物をおさらいしておくと

花山法皇は、もちろん足扇ほれほれ東宮師貞親王が花山天皇にポケモンシンカして

花山天皇が兼家・道兼に騙されて譲位してメガシンカした、足扇ほれほれ東宮師貞親王の最終形態うさ

「忯子―!」と内裏の中心で愛を叫んでいた花山法皇は、伝説によると一度地方に下り

しばらく仏道修行にあけくれたあと

あふれる性欲が冴羽獠のように再びバーニングして そこかしこで女子を口説きまくっていたうさ

そして、バーニング花山法皇は、忯子ちゃんの面影があったからか

忯子ちゃんの妹の、「四の君」ちゃんにラビンユーしてたうさよ

もちろん、当時としても、これは法皇という地位にふさわしくない行動だったうさ

ここまでが、バーニング花山法皇が藤原為光の邸にいた理由うさ

トランジション

じゃあ、伊周と隆家はというと

伊周は「四の君」ちゃんの姉の「三の君」ちゃん ドラマでは光子ちゃんにラビンユーしてたうさ

「三の君」光子ちゃんは、第17回で伊周と隆家が会話しているときに、すでにちらっと話題に登っていたうさよ

史実的には、三の君の本名は分かっていないけど

ドラマでは藤原為光の娘ということで「光子」ちゃんとされているうさ

藤原倫寧の娘が藤原寧子(道綱の母のこと)なのと同じネーミングうさね

というわけで、伊周も光子ちゃんに会いに藤原為光の邸に凸ってきて

同じく四の君ちゃんに凸りつくして賢者タイムの花山法皇と鉢合わせしたというわけうさ

じゃあ、史実では隆家は?

、、、知らん!

史実で、隆家はなんで兄ちゃん伊周の夜這いについて行ったうさか??? うさぎ先生的にナゾうさ

そこを大河ドラマでは、伊周が泣きべそかいて帰ってきたので、隆家がヘルプを買って出たという展開にしたうさ

良いアレンジだと思ううさ

ともあれ、これで故藤原為光邸の前には、夜中に二台の牛車が縦列駐車することになったうさ

ドラマでは伊周と隆家は乗馬で光子ちゃんちに行ってたけど、おそらくそれはありえなくて

史実では牛車だったと考えるべきと思っているうさ じゃあ、なんでドラマでは乗馬にしたか推測すると

予算の都合だと思ううさ

「光る君へ」では、実は牛車は緑色の網代車一台しか用意できていないうさ

これまで、どのシーンを見ても、例えば倫子のお家とか、散楽の横を牛車が通るシーンとか、、、

全部同じ牛車だったうさ

ドラマでは限りある予算などのなかでどうにか工夫して 一台の牛車でやりくりしていたけど

どうしても、同じシーンに二台の牛車を入れることはできないうさ

そこで、演出で工夫して、伊周と隆家は乗馬で凸ったということにしたうさ

牛車のやりくりといえば、天皇専用車ともいえる輦車を除けば

牛車には高級車の檳榔毛と一般車の網代車があったうさけど

ドラマでは網代車しかないから、花山法皇のような高貴な人も網代車に乗っているうさ

だから、(繰り返すけど、演出や制作の都合を否定するわけじゃないけど)

伊周が花山法皇の牛車を見て「見事なしつらえの牛車であった」と言うのは矛盾があって

見事なしつらえなら高級車の檳榔毛を見たはずで

花山法皇がお忍びのためにあえて一般車の網代車で来てたのなら

伊周自身も檳榔毛に乗っている高貴なヤツなので、網代車をみたなら「たいした男じゃないな」と思うはずうさ

実は、うさぎ先生はドラマで伊周が網代車を見たシーンを見たときに

「これは、伊周が相手が大した身分じゃないと思ったからケンカをふっかけたという展開にするとみた! ドヤっ!」と思ったけど

見事に外したうさね

重箱の隅をつついてみたけど、限られた制約の中での演出を否定するつもりはないうさよ

大河ドラマ「光る君へ」、楽しいうさよ

トランジション

さて、史実てきには、たぶん、どちらの牛車にも十人以上の従者が従っていたうさ

そんで、隆家はおそらく伊周の牛車にいっしょに乗っていたと思ううさ

ドラマでは、隆家がソロで弓矢を射掛けたけど 史実では、

この人口密度が高い縦列駐車場争いのとき、お互いの従者同士が殺し合いを始めたうさ!

一般的には、伊周のほうが、「花山法皇もボクの三の君ちゃんを狙っているのか!怒」と勘違いしてケンカをふっかけたと伝えられているうさ

しかも闘乱のとき、伊周・隆家兄弟の従者が花山法皇に矢を放って法皇の服に当たるわ

花山法皇のお供の童子二人をサツガイして、なんと首を持ち帰るわ、という大大大事件となったうさ

事件の情報はただちに公卿のトップの、内覧の右大臣道長に報告され

(ドラマ的想像では)頭を抱えてため息をついた道長は、ロバート実資にも通報したうさ

このときのロバート実資は、平安京の治安維持を担当する検非違使の長官でもあったうさ

ロバート実資はきっと(ドラマ的想像では)、カッと目を見開いて

「こんなことはありえない。あってはならない」と、大事なことを二度繰り返したと思ううさ

矢を射かけられた花山法皇の側でも事件を表沙汰にして炎上させたくなかったのか

伊周・隆家の行為を不問にしようとした形跡もみられるうさ

ただ、事件直後の正月25日に除目(人事)会議があったけど、伊周は会議からすでに外されていた可能性もあるうさ

ここからは、次回のドラマを見てからのお楽しみにするしかないうさ


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