【目次】
・伊周の死
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歴史を知れば、大河ドラマの演出がもっと楽しくなる
史実と異なる演出にこそ、ドラマの面白さがあるのではないでしょうか
こんにちは のぶたです
今日は、39話「とだえぬ絆」を詳しく解説していきます
惟規が、最後はどのように救われるのか、そこに注目でしょう
敦良親王誕生
寛弘六年(1009年)11月25日、敦良親王が生まれました。
長男の敦成親王のときは30時間以上のちょー難産でしたが、
敦良親王は4時間で生まれるという、安産でした。
彰子ちゃん、よかったね。
またしてもドラマではスルーされました。こうなると、もう匡衡の出番はないんじゃないかな。。。
確認しておきましょう。
第二皇子が敦成親王(彰子との子)で、
第三皇子がこの敦良親王(彰子との子)です。
ドラマでもバチっているように、この後は、敦康親王をどうするか問題が政局の中心問題となっていきます。
ちなみに、原作(史実)では、敦良親王が生まれて数ヶ月したころには、
紫式部も敦良親王を「二の宮」すなわち第二皇子と呼んでいます。
ということは、紫式部までも敦康親王をなかったことにしているわけです。
伊周の死
寛弘七年(1010年)正月28日、伊周が亡くなりました。
公卿社会ではもうどうでもいい存在だったのか、それとも敦康親王の件があるから近づきにくかったのか、
伊周の死に関する記録はほとんど残っていません。
道長も「伊周が死んだ、らしい」ぐらいの記録しか残していません。
公的な記録などに伊周の死の様子が残っていないので、ほぼ作り話確定なんですが、
『栄華物語』は、伊周が娘たちと息子の道雅に遺言を残したという話にしています。
娘たちには長々と「お前たちの未来が心配だ~」的なことを言って
道雅には、ドラマでもあったように「出家しろー」と遺言します、、、
が、荒三位と呼ばれた道雅のその後を見る限り、かんぜんにスルーされてますね。パパの遺言なのに。。。
伊周について、ドラマを見てて悲しかったのが、
金峰山で隆家にあんなに言われたのに、伊周が最後まで変われなかったことです。
なにも伝わらなかったね、、、隆家。最近、いつも悲しい顔しるね、隆家。
居貞親王と妍子の結婚 と 敦明親王と延子の結婚
その数年後に兼家が死んだからか、居貞親王と綏子は疎遠で、約15歳のときに藤原済時の娘の娍子(せいし)とも結婚しました。
この娍子との間の子が敦明親王です。居貞親王が18歳ぐらいのときに生まれました。
つまり、第39話の時点で敦明親王も妍子も約16歳なんです。
さて、居貞親王の一人目の妻の綏子は浮気してどっかにいったあげく、ドラマ第39話の6年ぐらい前に死にました。
三人目の妻の原子もその前に約21歳で急死しています。
とはいっても、娍子は結婚19年目で息子4人と娘2人がいるので、正直言って、勝負になりません。
なので、妍子ちゃんは不満タラタラなんです。そりゃねえ。。。
二人の今後については、ドラマで取り扱われたときにお話します。
ネタバレオッケーで先のことが知りたい方は、動画の概要欄から私のブログを御覧ください。
敦明親王にとっては初めての結婚です。
敦明親王の相手の延子の年齢は不明ですが、20~25歳ぐらいと推定されます。
ずっと朝廷のナンバー2だったんです。ナンバー1はもちろん道長ですよ。
だから、顕光はずっとナンバー1を狙えるポジションにいたんです。
ドラマでは触れないようにしていましたが、元子はけっこう一条天皇に愛されていて、
一条天皇と元子はラブラブちゅっちゅしてたんです。
しかし、元子は想像妊娠することはあっても、結果的に一条天皇の子を残すことはできませんでした。
ブログには書いていますが、二人の今後については、今回の動画ではここまでにしておきましょう。
このころの為時と惟規の死
さて、ドラマではヒマそうにしている為時約63歳ですが、
ドラマでもあったように、この前、正五位下左少弁兼蔵人に任じられているので、
39話のころは相当に忙しかったはずです。
弁官とか蔵人って、朝廷で一番忙しいかもしれないポジションなんです。
というわけで、為時は8年ぶりにまともな仕事を得て、ちゃんと朝廷で働いているので、
寛弘六年(1009年)には、6回ぐらい歴史に登場しています。
ドラマでもあったように、原作(史実)の為時も寛弘七年正月2日に道長邸の土御門殿の宴会に出席するのですが、
このへん、ドラマでは、賢子の出生の秘密と関連付けられた演出となっていましたね。
そして、寛弘八年(1011年)の2月1日に、運命の越後守に任命されるのです。
というわけで、いよいよ惟規です。
原作(史実)では、次回のドラマで起こる大事件よりあとに惟規は死んでいるのですが、
ドラマでは、惟規の死のほうが先に起こりました。
原作(史実)というか、、、どっちにしてもフィクションな『今昔物語集』にそって、惟規の最後を見てみましょう。
この年の秋、越後国に同行した惟規は越後の地で死去します。約37歳でした。
『今昔物語集』によると、死に臨んた惟規が高名な僧侶に出家剃髪を勧められたときの話があります。
死にかけた惟規に、僧侶が「死んだあとの世界は寂しいぞ~。出家したら死後の世界もマシになるぞ~」と言うと、
惟規は「死後の世界に松虫とかはいんの?」と聞きました。
僧侶が「なんでそんなこと聞くねん? ムシ?」と聞き返すと、
惟規は「死後の世界に松虫とかがいれば、あれ松虫が~♪鳴いている~♪とか、
虫の音を聞いて、死後の世界でも慰められようて(だから、出家なんてしねえよ)」と答えました。
ロックですねえ!
僧侶は「ないわ~。コイツだきゃないわ~」と言って、匙を投げて逃げていきました。
しょうがないので為時パパが惟規に筆を渡すと、惟規は
「都にはオレを待っているハニーちゃん♡たちがいる。生きて都に帰っぞ!」
という死亡フラグまみれの歌を詠いました。
あんのじょう、惟規は最後の一文字を書けずに息を引き取りました。
しょうがないので為時パパが最後の一文字を書き足したといいます。
ドラマでも、直接には言及がありませんでしたが、惟規は最後まで歌を書けずに亡くなり、
京でまひろが見ていた辞世の句の最後の一文字だけ、あきらかに筆跡が違いました。
これは、最後の一文字だけは為時が書き足したという演出だったのです。
ついに、いいキャラしていた惟規も去ってしまいましたね。
惟規、、、さようなら。死後の世界でも松虫の鳴き声を楽しめる性格のままでいてほしいものです。
きっと、松虫と追いかけっこをしながら、惟規は極楽や来世で救われていることでしょう。
これからも大河ドラマ話や、日本史の話でもりあがっていくので
ぜひ高評価とチャンネル登録をお願いします
ブログでも、かなり詳しいところまで説明しています
また、私は学生さんを対象とした習い事の、オンライン歴史クラブを開いていますので、
日本史が好きな親戚の子や、日本史を好きになってほしい子がいたら
いっしょに公式サイトなどをチェックしてもらえると嬉しいです
ありがとうございました
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