源明子 「光る君へ」人物事典015
- 順大 古川
- 2023年12月6日
- 読了時間: 3分
更新日:2024年10月8日
【目次】
源明子(みなもとのあきこ):瀧内公美
まずは、NHK公式の紹介を引用して、大河ドラマ上での設定を確認しておきましょう。

「幼くして後ろ盾を失った」とあるように、明子が幼いときに、左大臣だった父高明が失脚しています(安和の変)。
「呪術師に悔いのない死などない」(夜蛾)と言われていますが、明子はどうなるのでしょうか。
ころが、ついに、エピソード18「うつろい」で、明子がデレました!!
明子は、「夫を愛する」の呪術デレモードに突入したんです。
ほぼ時を同じくして、「子は鎹」で、呪術属性だった明子もデレて道長の味方になりました。
呪術属性からのデレ! これは、ツンデレ・ヤンデレに続く「呪術デレ」属性の誕生ですね!
これで、2020年代後半の萌シーンは、呪術デレが席巻することうけあいです。
あ、……今思ったけど、呪術廻戦のキャラって誰もデレてない……
……と思ったけど、ジジイとかおっさんだけデレやがる気がする、そういえば。
それはともかく、呪術デレ明子と、闇覚醒倫子からはこれからも目が離せません!
瀧内公美(たきうちくみ)
1989年生まれ、富山県出身の女優です。
解説:実際の源明子
一般的には「めいし」と呼ばれることが多いです。「立場は嫡妻の倫子に及ばず」というか、、、史実では、明子が生んだ子らとともに、めちゃくちゃ道長からの待遇が悪いです。道長と明子の子は、頼宗、顕信、能信、寛子、尊子、長家です。
頼宗はエピソード16で明子のお腹の中にいた赤子で、エピソード18で初登場しました。
道長からの待遇がめちゃくちゃ悪いせいか、素行が悪い子が多いです。その話は、繁田信一『殴り合う貴族たち』に詳しいです。
頼宗は乱暴者で手が付けられない大人に成長?しました。
1027年、賀茂祭のとき。藤原行成は賀茂祭の運営を監督する役目を負っていました。ところが、頼宗がみんなの行列に割り込んできました。行成は役目上、従者に頼宗を注意しに行かせましたが、頼宗は行成の言うことを一切聞かないどころか、従者に行成の従者の狩衣を破らせたり、刀を抜かせたりしました。今でいうと、皇族出席のセレモニーを警備している警視庁長官に銃口を突きつけたようなものです。
1012年、ロバート実資の随身は頼宗の従者からひどく侮辱され、襲いかかられそうになりました。
ロバート実資は、頼宗を「頭が、、、じゃねえの!?」とか「暗闇を目の前にして何も見えない人みたい」とか、さんざんに罵っています。
その他の子のエピソードも、後日、追記して紹介したいです。
永承四年(1049年)
7月22日、没します。
年表
では、源明子の略年表を示します。生年不詳です。
?年:1歳。誕生。父は左大臣源高明(醍醐皇子)ですが、母は不詳です。
969年:?歳。安和の変で、父源高明が失脚。→醍醐皇子盛明親王の養女となった。
のちに、詮子に養われて、藤原道長の室となった。
1049年:?歳。死去。
以下は『国史大辞典』より
「男子の頼宗は右大臣、能信・長家は権大納言、女子の寛子は小一条院女御、尊子は源師房(村上皇孫、右大臣)室となる。なお男顕信は若年で出家し父母を悲嘆せしめた。」
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