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執筆者の写真順大 古川

源倫子 「光る君へ」人物事典014

更新日:10月8日


【目次】



源倫子(みなもとのともこ):黒木華

まずは、NHK公式の紹介を引用して、大河ドラマ上での設定を確認しておきましょう。


藤原道長の嫡妻。左大臣家の姫で、宇多天皇のひ孫。おおらかさと強さを併せ持つ女性。道長の出世の道を支え、ともに歩む。紫式部(まひろ)とも交流があり、不思議な関係が築かれていく。



一般的には「りんし」と呼ばれることが多いです。「不思議な関係」とは!? 楽しみです。

闇覚醒したり、閨房に全振りしてる赤染衛門に困ったりと、良いキャラしています。ドラマだと、まひろの6歳年上になります。


紫式部(まひろ)とも交流があり」というのは、一般には倫子がバツイチになって『源氏物語』を書いていた紫式部を、彰子の女房として抜擢した話を指すと思います。←ドラマでは大胆にアレンジされました。

ただ実は、道長と結婚する前の倫子は、まひろ(紫式部)のお家の斜向かいに住んでいます。というか、結婚後も。


ということは、まひろ道長と出会う前に、まひろと倫子が出会っていたというストーリー展開もありなんですよね!

どうなる まひろ

↑(追記)大ハズレ!まひろは道長と先に出会いました。


倫子と道長の間の子は、彰子、頼通、妍子、教通、威子、嬉子の六人です。

男子二人が関白になって、女子四人は全員天皇のキサキになるという、超チートマザーですね。倫子は。


キャスト紹介:黒木華(くろきはる)

1990年生まれの女優です。2024年にフリーになったそうです。

大河ドラマでは、『真田丸』(梅役)、『西郷どん』(西郷糸役)に出演しています。


宇多天皇の孫である左大臣源雅信と、中納言藤原朝忠の娘である藤原穆子の間に生まれました。964年に生まれて、1053年まで生きるという長生きさんです。鷹司殿とも称されます。


永延元年(987年)に藤原道長と結婚して、摂関となる頼通・教通、彰子(一条后、後一条・後朱雀母)・妍子(三条后)・威子(後一条后)・嬉子(後朱雀東宮時の妃、後冷泉母)らを生みます。なお、ほかに、歴史に名が残っていない、早逝した子もいます。


寛弘五年(一〇〇八)夫を超え従一位、長和五年(一〇一六)三宮に准じ年官年爵封戸を賜う。長暦三年(一〇三九)出家、天喜元年(一〇五三)六月十一日没。九十歳。仁和寺(京都市右京区御室)に葬られます。


永延元年(987年)約23歳

道長(約21歳)と結婚します。最初は反対していた父雅信が、母穆子の説得に折れた結果です。


長保二年(1000年)

娘の彰子が中宮になるにともなって、4月7日に従二位となります。


長保三年(1001年)

正月10日、穆子ママの七十算賀が開かれます。


29回「母として」(1001年)ごろの倫子

長保三年(1001年)正月10日に、穆子ママの70歳祝(七十算賀法事)が行われます。このイベントは倫子・道長夫妻がハデに開いたもので、彰子の名義でもお坊さんが奏上されています。


34回「目覚め」(1006年後半~1007年前半)ごろの倫子

寛弘四年(1007年)約43歳

正月5日、最後の子(四女)、嬉子を生みます。なんと、長女の彰子が子を生む前年です。



寛弘五年(1008年)約44歳

正月1日、嬉子の戴餅の儀での若い姿に道長はデレデレです。

娘の彰子が敦成親王を生んだので、従一位となります。これ、道長(正二位)よりも上です。

9月9日、紫式部に菊の着綿を贈って、「よくよく老いを拭い捨ててね」とメッセージを送る。この贈り物には、素直な感謝の気持ちだったという説と、道長の愛人だった(という説がある)紫式部に対する攻撃だったという説があります。ドラマではどうなるんでしょうね。ドキドキ。

孫の敦成親王を抱く倫子

その後の倫子

寛仁二年(1018年)

正月7日、彰子が太皇太后となります。

3月7日、威子が後一条天皇に入内して、4月には女御となります。

6月27日、新造の土御門殿に移ります。

10月16日、妍子が皇太后となり、威子が中宮となることによって、一家三后を達します。この夜、道長が望月の歌を詠います。

10月21(22?)日、道長倫子彰子妍子、威子が一堂に介します。妍子が彰子姉さんに会ったのは5年半ぶりです。

12月、道長が法華八講を開きますが、妍子が「雨なので、明日行くわ」と欠席します。メッセンジャーは皇后宮大夫の道綱です。道長パパは激怒して、大雨の中、妍子の御所まで迎えに行きます。ロバート実資は日記に「わら。ダセー。」と書いています。


治安元年(1021年)

2月28日、出家します。

12月2日、無量寿院に西北院を建立します。


治安三年(1023年)

4月19日、病の倫子を、妍子・威子・嬉子が見舞いに来ます。

10月13日、六十歳算賀が開かれます。


長元六年(1033年)

11月28日、七十算賀が開かれます。


永承五年(1050年)約86歳

3月、頼通の法成寺新堂落慶供養に、隆姫女王彰子たちとともに参列します。


天喜元年(1053年)約89歳

6月11日、没します。



年表

では、源倫子の略年表を示します。年齢は数え年です。


964年:1歳。誕生。父は左大臣源雅信で、母は藤原穆子です。

987年:24歳。藤原道長と結婚。

988年:25歳。彰子(一条后)を生む。

992年:29歳。頼通を生む。

994年:31歳。妍子(三条后)を生む。

997年:34歳。教通を生む。

999年:36歳。威子(後一条后)を生む。

1000年:37歳。彰子が中宮となったことにともない、従二位に叙される。

1005年ごろ:42歳。まひろ彰子の女房に抜擢。

1008年:45歳。従一位(夫より高位)。

1016年:53歳。三宮に准じる。

1039年:74歳。出家。

1053年:90歳。没。京都市右京区御室の仁和寺に葬られる。



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