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藤原頼宗(巌君) 「光る君へ」人物事典064

更新日:3 日前

【目次】

キャスト2:

巌君:渡邉斗翔

まずは、NHK公式の紹介を引用して、大河ドラマ上での設定を確認しておきましょう。


①藤原道長の次男。母は源明子。のちの藤原頼宗。

②道長と源明子の長男。倫子と競う母・明子の期待を背負って育つ。道長と倫子の長男の頼通に比べて出世は遅れたが、のちには兄弟と共に異母姉の彰子を支える。


後日確認して追記しますが、明子との子は、総じて素行が悪い大人になった記憶があります。

なにげに長生きさんです。


キャスト1:渡邉斗翔(わたなべとわ)

クラージュ所属の子役です。2012年 12月11日生まれです。


キャスト2:上村海成(かみむらかいせい)

1997年、東京都出身の俳優、モデルです。フラッシュアップ所属です。

大河ドラマでは、『青天を衝け』(赤松則良)に出演しています。



解説:実際の藤原頼宗

藤原道長と明子の子です。倫子の子と違って、明子の子は露骨に昇進が遅のが特徴です。

極官は右大臣で、歌人としてしられ、号を堀河右大臣や入道右大臣といいます。幼名はドラマの通り、厳君です。


大人になった頼宗は、ロバート実資「頭が、、、じゃねえの!?」とか「暗闇を目の前にして何も見えない人みたい」とか、さんざんに罵られています。


異母兄頼通に対抗して、娘の延子を後朱雀天皇の、昭子を後三条天皇の女御に入れてはいます。ただ、二人とも皇子を産むことはありませんでした。

歌人として声望は高くて、藤原公任に次ぐとまで讃えられました。『後拾遺和歌集』以下の勅撰集に入集し、家集に『入道右大臣集』があります。


(993年)約0歳

誕生しました。


約7歳です。ドラマでは、すでに気が強そうな顔をしています。


29回「母として」(1001年)ごろの巌君

10月9日の詮子おばさんの40歳祝の席で納蘇利(なそり)という童舞を舞ったところ、1歳年上で倫子の子の田鶴の舞よりもはるかにエクセレントで、一条天皇を始め公卿みんなに褒め称えられました。巌君の舞の師匠が栄爵を賜ったほどです。

しかし、実際のパパ道長明子の子よりも倫子の子をひいきする人だったので、巌君を褒めるどころか機嫌を損ねてどっかに行ってしましました。

、、、巌君、不憫な子。。。




(1004年)約11歳

従五位上となります。



その後の頼宗

寛弘四年(1007年)

3月9日、石清水臨時祭で舞人を務めます。他の兄弟(頼通?教通・能信)もいっしょです。

4月19日、賀茂祭の使いをつとめます。


(1011年)約18歳

従三位となります。


長和元年(1012年)約19歳

5月、三位中将頼宗の従者がたちが、ロバート実資の従者を侮辱します。

ロバート実資は日記で「頼宗の従者は狂ってる」とか、「暗闇を目の前にして何も見えてないヤツ」とか罵りました。


万寿四年(1027年)約34歳

4月15日、賀茂祭の行列を見物しに行きます。賀茂祭の運営監督を担当する権大納言行成の牛車の目の前に、頼宗の執事為資が牛車を停めます。

賀茂祭の行列を目視できなくなった行成は、頼宗の執事為資に自分の役割を伝えたうえで、牛車の位置をズラすよう、頼宗の執事為資を促します。

ところが、頼宗の執事為資は行成の言うことをマル無視こいて、あげくに頼宗の執事為資の従者は行成の従者に襲いかかって、行成従者の狩衣を引き破って嘲笑します。さらに、頼宗の執事為資の従者は刀まで抜いて恫喝します。行成は関白頼通にも応援を頼みますが、二人の力をもってしても、頼宗の執事為資一行の狼藉を抑えることはできませんでした。行成のメンツは相当に傷ついたそうです。


(1047年)約54歳

内大臣となります。


(1058年)約67歳

従一位となります。


(1060年)約67歳

右大臣となります。


(1065年)約72歳

正月5日、出家します。

2月3日、没します。


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