【目次】
キャスト2:
巌君:渡邉斗翔
まずは、NHK公式の紹介を引用して、大河ドラマ上での設定を確認しておきましょう。
①藤原道長の次男。母は源明子。のちの藤原頼宗。
②道長と源明子の長男。倫子と競う母・明子の期待を背負って育つ。道長と倫子の長男の頼通に比べて出世は遅れたが、のちには兄弟と共に異母姉の彰子を支える。
後日確認して追記しますが、明子との子は、総じて素行が悪い大人になった記憶があります。
なにげに長生きさんです。
キャスト1:渡邉斗翔(わたなべとわ)
クラージュ所属の子役です。2012年 12月11日生まれです。
キャスト2:上村海成(かみむらかいせい)
1997年、東京都出身の俳優、モデルです。フラッシュアップ所属です。
大河ドラマでは、『青天を衝け』(赤松則良)に出演しています。
解説:実際の藤原頼宗
藤原道長と明子の子です。倫子の子と違って、明子の子は露骨に昇進が遅のが特徴です。
極官は右大臣で、歌人としてしられ、号を堀河右大臣や入道右大臣といいます。幼名はドラマの通り、厳君です。
大人になった頼宗は、ロバート実資に「頭が、、、じゃねえの!?」とか「暗闇を目の前にして何も見えない人みたい」とか、さんざんに罵られています。
異母兄頼通に対抗して、娘の延子を後朱雀天皇の、昭子を後三条天皇の女御に入れてはいます。ただ、二人とも皇子を産むことはありませんでした。
歌人として声望は高くて、藤原公任に次ぐとまで讃えられました。『後拾遺和歌集』以下の勅撰集に入集し、家集に『入道右大臣集』があります。
(993年)約0歳
誕生しました。
約7歳です。ドラマでは、すでに気が強そうな顔をしています。
29回「母として」(1001年)ごろの巌君
10月9日の詮子おばさんの40歳祝の席で納蘇利(なそり)という童舞を舞ったところ、1歳年上で倫子の子の田鶴の舞よりもはるかにエクセレントで、一条天皇を始め公卿みんなに褒め称えられました。巌君の舞の師匠が栄爵を賜ったほどです。
、、、巌君、不憫な子。。。
あ、ドラマではここの展開はかなりアレンジされていて、道長は機嫌を損ねず、詮子姉さんが大変なことになりました。あと、ドラマでは、一条天皇がかなりイジワルでした。
(1004年)約11歳
従五位上となります。
寛弘四年(1007年)
3月9日、石清水臨時祭で舞人を務めます。他の兄弟(頼通?教通・能信)もいっしょです。
4月19日、賀茂祭の使いをつとめます。
その後の頼宗
(1011年)約18歳
従三位となります。
長和元年(1012年)約19歳
5月、三位中将頼宗の従者がたちが、ロバート実資の従者を侮辱します。
ロバート実資は日記で「頼宗の従者は狂ってる」とか、「暗闇を目の前にして何も見えてないヤツ」とか罵りました。
万寿四年(1027年)約34歳
4月15日、賀茂祭の行列を見物しに行きます。賀茂祭の運営監督を担当する権大納言行成の牛車の目の前に、頼宗の執事為資が牛車を停めます。
賀茂祭の行列を目視できなくなった行成は、頼宗の執事為資に自分の役割を伝えたうえで、牛車の位置をズラすよう、頼宗の執事為資を促します。
ところが、頼宗の執事為資は行成の言うことをマル無視こいて、あげくに頼宗の執事為資の従者は行成の従者に襲いかかって、行成従者の狩衣を引き破って嘲笑します。さらに、頼宗の執事為資の従者は刀まで抜いて恫喝します。行成は関白頼通にも応援を頼みますが、二人の力をもってしても、頼宗の執事為資一行の狼藉を抑えることはできませんでした。行成のメンツは相当に傷ついたそうです。
(1047年)約54歳
内大臣となります。
(1058年)約67歳
従一位となります。
(1060年)約67歳
右大臣となります。
(1065年)約72歳
正月5日、出家します。
2月3日、没します。
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