【目次】
は君(藤原能信):平山正剛
まずは、NHK公式の紹介を引用して、大河ドラマ上での設定を確認しておきましょう。
藤原道長の四男。母は源明子。のちの藤原能信。
大人になると、倫子の子の頼通と明子の子の能信は、権力争いを始めます。
キャスト:平山正剛(ひらやませいごう)
同姓同名の弁護士がいます。
解説:実際の藤原能信
藤原道長と明子の子です。
異母兄の頼通に対抗して、1037年に禎子内親王(三条天皇の皇女)の中宮大夫となり、翌月には禎子内親王が皇后になったので皇后宮大夫に転じました。これで、頼通とは反対勢力となったので、死ぬまで権大納言に据え置かれ続けます。
ここで、1045年に、禎子皇后の夫の後朱雀天皇が譲位後に崩御して、後冷泉天皇が即位します。
頼通に対抗する能信は、頼通の孫ではない尊仁親王(禎子内親王の子で後の後三条天皇)の立太子を実現させて、その東宮大夫となりました。
後三条天皇(が尊仁親王だったとき)に嫁がせた養女の茂子(藤原公成の女)が生んだ子が、能信の死後に白河天皇として即位したので、延久五年(1073年)に太政大臣正一位を追贈されました。
約5歳。まだまだ顔見せといった段階です。
寛弘七年(1010年)約15歳
12月、敦良親王の五夜の儀のときに、行成の親戚の伊成(これなり)を「凌辱」します。伊成はこれが原因で、世を捨ててすぐに出家します。
年表
では、藤原能信の略年表を示します。年齢は数え年です。
995年:1歳。誕生。
1006年:12歳。叙爵。
1014年:20歳。従三位。
1017年:23歳。権中納言。
1021年:27歳。権大納言。
1037年:43歳。2月、中宮大夫(禎子内親王)。3月、皇后宮大夫(禎子内親王)。
1045年:51歳。東宮大夫(尊仁親王(禎子内親王の子で後の後三条天皇))。
1065年:71歳。2月9日、没。
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