【目次】
敦明親王(あつあきらしんのう):阿佐辰美
まずは、NHK公式の紹介を引用して、大河ドラマ上での設定を確認しておきましょう。
母親の娍子 (じょうし/せいし)は、道長の娘のキラキラ妍子のライバルです。敦明親王が狩りが好きだとは知りませんでした。
キャスト紹介:阿佐辰美(阿佐辰美)
2000年生まれの俳優です。大阪府出身です。A-PLUS所属です。腹踊りが得意だそうです。
大河ドラマは初出演です。
解説:実際の敦明親王
敦明親王は道長にとってジャマな存在なので、とにかくイジメられまくります。原作(史実)では、ドラマとはことなる道長のイヤなヤツっぷりがたっぷりと拝めます。
のちに、ある理由により、太上天皇に準じて院号宣下を受け、小一条院と称されます。
「金葉和歌集」などに和歌があります。法名は天舜です。
16~18回「岐路」(994~995年)ごろの敦明親王
正暦五年(994年)約0歳
5月9日、敦明親王が生まれます。
19~21回:長徳の変(996年)ごろの敦明親王
長徳二年(996年)約2歳
12月14日、敦明親王の着袴です。
28回「一帝二后」(1000年)ごろの敦明親王
長保二年(1000年)約6歳
12月2日、敦明の読書始です。
34回「目覚め」(1006年後半~1007年前半)ごろの敦明親王
寛弘三年(1006年)約12歳
11月5日、道長邸で元服します。
39話「とだえぬ絆」(1010~1011年前半)ごろの敦明親王
寛弘七年(1010年)約16歳
ドラマでは、なんかモテ始めています。41話とかでモテ期に入りそうな気配です。
その後の敦明親王
寛弘八年(1011年)約17歳
10月5日、親王宣下を受けて、三品となります。
11月24日、敦明親王が出家するー言うて、騒動を起こします。
12月18日、式部卿となります。逃げ切れなかったね。
長和二年(1013年)約19歳
3月20日、娍子と敦明親王が内裏に参入します。
4月、従者小野為明を、使者として母娍子が住む内裏の弘徽殿に使わせます。
すると、道雅の指図により、なんと内裏の中で、小野為明は拉致されて道雅の自邸へ連行されます。そこで道雅は自ら為明の髪を掴んで周囲の者に打ち踏ませ、瀕死の重傷を負わせました。なにすんねん!敦明親王は訴え出て、道雅は謹慎処分です。
6月23日、一品となります。
長和三年(1014年)約20歳
10月6日、子の敦貞が生まれます。
長和四年(1015年)約21歳
12月24日、三条天皇が敦明親王を次の東宮とようしています。道長が不満そうです。
長和五年(1016年)約22歳
正月23日、敦明親王が空気を読んで立太子を避けようとしているというウワサが流れます。
正月29日、三条天皇が敦成親王(後一条天皇)に譲位します。敦明親王は東宮にならされます。道長から壺切の剣渡されないというイジメにあい、その後もことあるごとにイジメられます。
寛仁元年(1017年)約23歳
正月25日、三条院を禎子内親王に遺すことを命じます。敦明親王には何遺したの?
2月27日、三条院の近くで火事が起きます。
5月9日、三条院パパが崩御します。
8月25日、小一条院号を受けます。准太上天皇という位置づけです。
万寿二年(1025年)
7月9日、寛子が亡くなります。約26歳でした。
長久二年(1041年)
8月16日、出家します。
永承六年(1051年)
正月8日、崩御します。死後は道長一家にたたる怨霊となります。
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