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敦良親王(後朱雀天皇) 「光る君へ」に出るかもしれない人物事典

【目次】




α版(2024/09/22)


敦良親王(あつながしんのう・後朱雀天皇):

まずは、NHK公式の紹介を引用して、大河ドラマ上での設定を確認しておきましょう。


お楽しみですね。


寛弘6年(1009年)11月25日に誕生した、一条天皇の第三皇子です。母は彰子ちゃんですね。

大事なことなので確認しておくと、第一皇子が敦康親王(定子との子)で、第二皇子が敦成親王(彰子との子)で、第三皇子がこの敦良親王(彰子との子)です。


キャスト紹介:


解説:実際の敦良親王

道長の娘の嬉子おばさんとの間に後冷泉天皇が生まれています。三条天皇皇女の禎子内親王との間には、後三条天皇・良子内親王・娟子内親王が生まれています。敦康親王の女子嫄子女王(藤原頼通養女)との間には祐子内親王・子内親王が生まれています。藤原頼宗の娘の延子との間には正子内親王が生まれています。年齢のわりには子沢山ですねえ。


『後拾遺和歌集』『新古今和歌集』『続古今和歌集』『新千載和歌集』に歌が残されていいます。あと、『後朱雀天皇宸記』という日記もあります。


その後の後朱雀天皇

寛弘六年(1009年)

11月25日、敦良親王が生まれます(土御門殿にて)。


寛弘七年(1010年)

正月15日、敦良親王の五十日儀が行われます。

正月16日、親王宣下を受けます。

2月6日、敦良親王の百日儀が行われます。

10月23日、直盧で失火があります。

11月28日、建て直した一条院内裏に遷ります(たぶん敦良親王も)。


寛弘八年(1011年)

6月13日、一条天皇パパが譲位します。兄の敦成親王が東宮となります。

6月22日、一条天皇パパが崩御します。

10月16日、敦成親王は内裏の凝華舎に遷ります(たぶん敦良親王も)。なお、彰子ママは枇杷殿に遷ります。


長和二年(1013年)

長和三年(1014年)

2月9日、内裏が火事にあいます。(このとき、敦良成親王は枇杷殿に遷ったのかな??天皇は枇杷殿に、彰子は高倉殿に遷っている)。


長和四年(1015年)

9月20日、三条天皇と兄の敦成親王が、内裏に戻ります(このあたりも、敦良親王もいっしょなのかな)。

11月17日、内裏が火事になります。

11月19日、枇杷内裏に(天皇が)遷ります。


長和五年(1016年)

2月7日、三条天皇が兄の東宮敦成親王に譲位して、兄の敦成親王(約8歳)が即位して後一条天皇となります。彰子は即位式でともに高御座に登りました。彰子ママは国母となります。


寛仁元年(1017年)

8月9日、敦良親王立太子(敦明親王が東宮を辞す)です。

8月23日、壺切御剣を受けます。

12月4日、彰子ママの令旨で道長じいさんが太政大臣に任じられます。


寛仁二年(1018年)

4月28日、新造内裏に遷ります。彰子ママもいっしょです。

10月16日、道長じいさんが望月の歌を詠みます。


寛仁三年(1019年)

2月21日、道長じいさんが出家します。

8月28日、東宮敦良親王が元服します。


寛仁四年(1020年)

4月13日、後一条天皇が疱瘡にかかったので、鬼気祭を行います。

9月10日、後一条天皇が病にかかります。


治安元年(1021年)

10月14日、春日社に行幸します。彰子ママもいっしょです。


治安二年(1022年)

6月4日、後一条天皇が病気なので、諸寺に読経させます。

6月22日、後一条天皇が病にかかります。


治安三年(1023年)

正月2日、京極院にいる彰子ママのところに、行幸します。東宮敦良親王もいっしょです。

10月13日、倫子ばあちゃんの六十歳算賀が開かれます。


万寿元年(1024年)

万寿二年(1025年)

万寿三年(1026年)

正月19日、彰子ママが出家して、上東門院となります。


万寿四年(1027年)

12月4日、道長じいちゃんが没します。


長元元年(1028年)

11月4日、亡き道長パパの一周忌法会のために彰子ママが法成寺に遷ります。


長元二年(1029年)

閏2月13日、亡き道長パパのために高陽院で頼通が主催した法華八講に彰子ママが行啓します。


長元三年(1030年)

長元四年(1031年)

正月3日、天皇と東宮が彰子ママに朝観行幸/行啓します。


長元五年(1032年)

3月2日、頼通がいる白河殿に、行幸します。彰子ママもいっしょです。


長元六年(1033年)

11月28日、倫子ママの七十算賀が開かれます。


長元七年(1034年)

10月11日、東宮敦良親王の王子の読書始儀を主催します。


長元八年(1035年)

正月2日、天皇と東宮が彰子ママに朝観行幸/行啓します。

3月25日、彰子ママ主催の法華八講が開かれます(~28日)。


長元九年(1036年)

3月、後一条天皇が病となります。

4月17日、後一条天皇が崩御します。後朱雀天皇が践祚します。

4月22日、亡き後一条院は、彰子の御在所である京極院に移されます。

5月19日、後一条院が葬送されます。

7月10日、後朱雀天皇が即位します。


長暦元年(1037年)

10月23日、後朱雀天皇が朝観行幸します。


長暦二年(1038年)

正月2日、後朱雀天皇が彰子の高陽院に朝観行幸します。


長暦三年(1039年)

5月7日、彰子ママが剃髪して授戒します。

6月27日、内裏が火事になります。


長久元年(1040年)

正月27日、彰子ママのいる法成寺東北院に朝観行幸します。

9月9日、京極院内裏が火事になったので、後朱雀天皇が彰子のいる陽明門第に遷ります。

9月17日、天皇のために悪夢祭を行います。

10月22日、後朱雀天皇が二条殿内裏に遷ります。


長久二年(1041年)

12月19日、天皇と東宮が新造内裏に遷ります。


長久三年(1042年)

12月8日、内裏が火事になったので、天皇が太政官朝所に遷ります。


長久四年(1043年)

3月23日、後朱雀天皇と東宮が一条院内裏に遷ります。

12月1日、一条院内裏が火事になったので、天皇はいったん高陽院に遷り、のち東三条院に遷ります。


寛徳元年(1044年)

12月、後朱雀天皇が病となります(夏も)。


寛徳二年(1045年)

正月10日、天皇が病なので、大赦が行われます。

正月16日、後朱雀天皇が譲位して、後冷泉天皇が践祚します。このとき、頼通の反対を押し切って尊仁 親王(後の後三条天皇)を新帝の皇太弟に定めて、結果的に院政への道を開くこととなりました。

正月18日、後朱雀院が出家した後、崩御します。

2月21日、香隆寺で火葬されます。陵は円乗寺陵です。



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