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彰子の苦難:敦成親王誕生の奇跡/五十日祝の真実:公卿たちの醜態を暴く( 史実で楽しむ 光る君へ5(解説・感想・考察))

【目次】

第32話~35話はこちら

第19話~第31話はこちら

第5話~第18話はこちら

第1話~第4話はこちら


歴史を知れば、大河ドラマの演出がもっと楽しくなる

史実と異なる演出にこそ、ドラマの面白さがあるのではないでしょうか

今日は、36話「待ち望まれた日」の、彰子の出産と敦成親王の五十日祝を詳しく解説していきます



1,彰子の出産

寛弘四年(1007年)12月ごろ、彰子ちゃんがついに懐妊しました

彰子ちゃん、これまで長い間辛かったね おめでとうございます


実は、彰子の懐妊は、道長よりも一条天皇のほうが先に知りました

道長は、一条天皇から「なにも気づいてないの~?」と言われて、初めて彰子の懐妊を知りました

『栄花物語』に、道長は涙目になって喜んだとありますが、ドラマでもそんな表情をしてましたね


ドラマで公任たちが呑んでいたときのように

世間の人々は「第二皇子が男なら、きっと東宮になるだろう」と噂しました

ドラマで行成が言っていたように、実は、これ以前は天皇の第一皇子が必ず東宮になってきたんです

第一皇子は定子の子で、彰子と仲良しの敦康親王です

つまり、世間の噂が意味することは、「道長は、ありえんぐらい強引なことをするだろう」ということです


彰子が土御門殿に里帰りしたのは、4月13日でした

ドラマでは省略されましたが、6月14日から一月ほど、彰子はいったん内裏に入っています

彰子ちゃんが一条天皇に会いたかったのか、一条天皇が会いたかったのか、、、かわいいですね


9月9日、彰子ちゃんが産気づきます

顕光や公季といった公卿も道長のもとに訪れました

実は、伊周も10日に道長の家に来ましたが、追い返されています そりゃねえ。。。


一方で、彰子ちゃんの無事な出産をみんなで祈ります ドラマと違い、原作(史実)では女房みんな白装束です

あと、この前2000人で道長の家を燃やしに来た定澄も、原作(史実)ではこの場で祈っていたのですが

ドラマではいませんでした


9月11日の正午ぐらいに、ついに彰子ちゃんが皇子を生みました! 9日の夜からなので、超絶難産でした

彰子ちゃん、子どもが無事生まれてよかったね

赤ちゃんのへその緒を切ったのは倫子ママでした

この日から7日間連続で、御湯殿の儀という新生児を産湯につからせる儀式が行われます

初日は、道長が新生児を自ら抱き上げて御湯殿の儀に望むほどの喜びようでした


9月13日は、中宮大夫斉信が主催する三夜の産養の儀でした

産養というのは、小児誕生後に行われた祝宴の儀式です


9月15日は、道長パパが主催する五夜の産養の儀でした

このとき、屏風の後ろで夜通しお祈りをしている僧がいるのですが

紫式部が、いきなり屏風を開けて僧をびっくりさせるという、いたずらをしました

ドラマではおかたいまひろも、原作(史実)では羽目を外すこともあるようです

なお、ドラマでもあった、まひろが望月の歌を詠うのは 原作(史実)ではこの日です



9月17日は、一条天皇が主催する七夜の産養の儀でした

紫式部は、少し痩せたけど、ますます美しくなった彰子の様子を、『紫式部日記』に書き記しています

ドラマでは彰子ちゃんは出産して、ついに、ホントはずっと好きだった青系の衣をつけるようになりました

ついに、自分を出せるようになったんですね よかったね、彰子ちゃん


9月19日は、頼通が主催する九夜の産養の儀でした しつこいですよねえ

このころの道長は、朝も夜も皇子を見に来て

皇子を抱いて眠っている女房の懐を、勝手にさぐって覗き込んでいるほどのはしゃぎようです

皇子におしっこをかけられたときも、道長は「こんな時がきたことが嬉しいと」大満足でした

お産がそうとうキツかったのか、彰子ちゃんは10月10日過ぎまで床にありました


ドラマのように一条天皇が彰子のもとを訪れたのは、10月16日でした

これ、天皇のほうが里帰り出産した妻を訪れるというのは、実は異例です

9月に、一条天皇が「彰子といつ会えるの?」と道長に聞いたら「11月っす」と返事されました

そこで、一条天皇は「え~、早く会いたい~。じゃあ、ボクから会いにいく~」って言ったのです

一条天皇、かわいいとこありますね 彰子ちゃん愛されてるよ よかったね

ただ、少し気になる記事もあります

彰子ちゃんは、会いに来てくれた一条天皇に笛を贈るのですが、一条天皇は笛を吹きませんでした

実は、これより数年前から、かつて笛が好きだった一条天皇が笛を吹く歴史記事は途絶えているのです

一条天皇は完全に笛を絶ったのでしょうか 幼い彰子に言われたことがトラウマだったのでしょうか

この日、親王宣下があり、皇子に「敦成」という名がつけられました

「敦成」という名を考えたのは、赤染衛門の夫大江匡衡なんですが、ドラマでは触れられませんでしたね

大江匡衡、ここで登場しなかったら、どこで再登場するの?、、、あの話かなあ。。。

一条天皇は道長の位階を上げようとしますが、道長は辞退しました

一方で、倫子のほうは破格の従一位となり、道長の位階を超越しました




2,五十日祝

11月1日、公卿たちが羽目を外しまくっていた五十祝です

顕光は老体で悪酔いして几帳を引きちぎって 「ばあ」、って言って女房の扇をうばうし

隆家は柱の陰に女房を引っ張り込んでウザ絡みするし

ロバート実資は酔って真っ赤になり、女房の袖口の衣装の数を数えていました

はまってました。このシーンのためにロバート秋山さんを抜擢したのかと思いました

貴公子公任も「若紫はいませんか?」とまひろにからんで、全拒否されていました

ドラマで、酔っ払ったときもイケてるポーズで女性に絡むところが、公任っぽかったです



ドラマでは、公任にムカついたのか、道長がやってはいけない匂わせをやってしまいましたね

実は、このシーンはけっこう原作(史実)に忠実で

原作(史実)でも、ベロンベロンの道長が、紫式部にドラマにもあった和歌を詠ませて

道長は紫式部の和歌を二度繰り返したあとに、ドラマの和歌を詠んでドヤりました



しかも、原作(史実)の道長も、自分と彰子は褒めても倫子は褒めないという、空気を読まないことをしました

倫子はちゃぶ台、、、は返しませんが、怒って宴会場を抜けました

道長も、さすがにヤバいと思ったのか、倫子を追って去って行きました

ドラマの道長は、ぜんぜんヤバいことに気づいていませんでしたね こわ

赤染衛門もからんだドラマのラストシーンは、恋愛勢大盛りあがりでした

今後の展開が楽しみです





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