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史実で楽しむ 光る君へ4(解説・感想・考察)

更新日:9 時間前

【目次】

第19話~第31話はこちら

第5話~第18話はこちら

第1話~第4話はこちら


一条天皇のシンの喪失:第32回「誰がために書く」

【動画版はこちら】


【脩子内親王こっくりさん】

オープニングであった脩子内親王(約8歳)の裳着って、午後10時スタートうさねー

子どもにはつらい時間帯うさ ぜったいこっくりこっくりしてたうさよ


牛車でカチコミ斉信

伊周隆家はかなり煙たがれてたうさ

ドラマでは扱われていないけど、オープニングの少し前の正月に

隆家は斉信の先駆の冠を笏で叩き落としたりしてるうさ なにすんねん! 、、、うさ

斉信は激怒して、3日後に牛車ごと突っ込んで隆家の牛車の榻をブチ折るうさ

隆家成長してないうさねー


【道綱の憂鬱】

伊周の席次が大納言の上と決まったので、大納言の道綱が押しのけられたうさ

大納言の上にある大臣の席を狙っていた道綱にとっては、伊周の復活は出世の順番が一つ繰り下がることを意味するうさ

ドラマ版と違って原作(史実)の道綱は出世欲が強いので、この後、、、

7月の相撲召合で伊周が形式通り道綱の上座に座りやがったときは、道綱はボイコットしたうさ

翌年の正月の踏歌節会に伊周が参加すると聞いた道綱は、仮病を使ってサボったうさ

ドラマ版ではぐるぐるお菓子をはむはむして、癒やしキャラ一直線の道綱うさけど

寧子ママのシュプレヒコールを聞いて育ったからか、原作(史実)ではかなり出世にこだわる人だったうさ


【公任、労働者をなめんな】

公任が仕事をしなくなった話の続きうさ

去年の10月に年下の斉信に位階を抜かれて以来 公任はすねて、引きこもってニートしてたうさ

い~~~ご身分やなあ うさ


そして今回、寛弘二年(1005年)7月21日

一年近くもサボってやがったくせに、あげく公任は一条天皇に辞表を叩きつけやがったうさ

そしたら一条天皇は、「出世させるから働いて~」とか言いだして、公任は従二位になるうさ

ほんっと、い~~~ご身分やな

日本中の労働者が聞いたら怒るうさよ

労働者のうさぎ先生も怒るうさ 斉信も怒ってるだろうなーうさ


なお、このときの辞表は、閨房に全振りした赤染衛門のダンナの大江匡衡が執筆したうさ

後世のお話によると、公任に頼まれて、いやいや辞表の文を考えていた大江匡衡を

閨房に全振りした赤染衛門が手伝ったといううさ

そういえば、原作(史実)の赤染衛門はダンナと仲が良すぎて「匡衡衛門」と呼ばれたくらいなのに

ドラマ版では旦那とうまくいってない設定だったので、かなり驚いたうさ


【カジコメ爆誕!】

11月15日、またしても不吉不吉の皆既月食うさ

しかも、月食が終わった直後の子刻(23時~)、内裏の温明殿と綾綺殿の間から火が出て、内裏が焼け落ちるうさ

ドラマでは、伊周の自作自演も匂わせていたうさねー



さて、一条天皇は彰子がいる飛香舎にいて、なんと供の者もなく二人で飛香舎から脱出するうさ!

おおっ!! 激レアな一条天皇アゲイベントうさね!!


同じころ道長は、ぐーぐーと寝てたら「内裏が火事になった」という報告を受けたので、内裏に駆けつけたうさ

すると一条天皇と彰子が飛香舎から脱出してきたので、避難誘導するうさ

一条天皇と彰子は内裏から出て、職御曹司や太政官朝所(だいじょうかんあいたんどころ)に避難するうさ

もしかしたら、一条天皇が輿に乗らずに内裏から外に踏み出したのは初めてかもうさ

一条天皇と彰子が助かったのは、すなおに「よかったねー」だし

ドラマでは火事でラブコメ、カジコメが爆誕したうさけど


【一条天皇の夢の喪失】

この火事で、賢所(温明殿の南の神殿)に奉置してあった神鏡が焼けてしまううさ

神鏡とはいわゆる八咫鏡で、草薙の剣、八尺瓊勾玉、八咫鏡の三種の神器の一つうさ

神鏡は建前上では神話の時代から伝えられてきたもので、建前上は史上初の喪失うさ


一条天皇は、Aクラス不吉の日食と、Sクラス不吉の火事と

スペシャルSSSクラス不吉神鏡焼失の3HITコンボを一晩で叩き込まれたということうさ

ふつーなら、「朕の不徳」ということで、譲位するような状況うさ

ドラマでも、居貞親王(後の三条天皇)が、かっと目を見開いて

「祟だ」とか、「天が譲位しろと言っている」とか言ってたうさ

たぶん、これって居貞親王だけでなく、当時の公卿たちも共有していた感覚うさ

まあ、一条天皇は譲位しないんだけどね うさ


ただ、ここが歴史のおもしろいところで、この後の展開を結果論からみると

たぶん、ここで譲位しておくことが、一条天皇が夢を叶える最後のチャンスだったうさ

この件については、ドラマがそのときまで進んだら、また触れてみるうさよ

あ、居貞親王さんよう、あんまり目を見開くとおめめに悪いうさよ ふふふ。。。


【誰もあの頃のままではいられない】

ドラマではオミットされてるけど、内裏が焼けたので、11月に一条天皇と彰子は、東三条殿に遷るうさ

東三条殿はかつて兼家ファミリーが住んでいた所うさ



あのころは良かったうさねー、時姫ママがいて、道隆兄さんもいて、、、

詮子姉さん三郎(道長)は仲が良くて、、、 ミチ、、、ミチカ、、、、

ミ、、、はなかったことにしておくうさ なーいない

こうして思い返すと、ホントにみんないなくなったうさね 道長寂しいうさね



さて、一条天皇にとっては、約25歳にして、生まれ育った家に帰ってきたことになるうさ

ドラマでは、昔、幼い懐仁親王(一条天皇)と幼い定子が遊んでいた思い出の東三条殿うさ

もう、誰もあのころのままではいられないうさねえ


【まひろが就職した年】

ついに、まひろが、彰子ちゃんとこに就職したうさね!

実は、ドラマ監修の倉本氏は、この翌年に就職したという説分があるかという立場うさ

それを、ドラマではあえてこの年に就職させたということうさ

次の展開にどうつながるのかが楽しみうさねー



女房ズ紹介・維衡ヤバい:第33話「式部誕生」

【動画版はこちら】


【まひろが引きこもった日】

彰子に仕えた紫式部が、ソッコー挫折して 半年以上引きこもったのは有名な話うさ

ドラマだと、惟規が「八日目」に帰ってきたと言ってたうさね

ドラマは1005年の12月29日に仕え始めた設定で、この年の12月29日は年末なので

まひろがおうちに帰って、乙丸や、さわさんを驚かせたのは

1006年の正月8日ということになるうさ

なお、ドラマでは、まひろが仕えた翌日的な日に、中宮の「大饗」があったけど

中宮御所での会は正月3日だったうさ



【彰子のNyobo’z】

まひろが面食らった、女房の世界を紹介するうさ

女房とは、主から部屋をあたえられて奉仕した女性のことうさ

まひろやききょうのような、后宮(きさいのみや)の女房は、「宮の女房」と呼ばれるうさ

中宮の彰子ちゃんには20人ほどの女房が仕えていたうさ

彰子ちゃんには、倫子の姪や明子の姪など、良家のお姫様が多く仕えていたという特徴があるうさ

奥ゆかしいお姫様が多い藤壺(彰子の住まい)の雰囲気は、ウェーイなメンズの目には地味に映ったようで

公任斉信のような公卿からは、「引っ込み思案」とか「心遣いがない」とか「趣がない」とか言われてたうさ



【Nyobo’z紹介】

じゃあ、ネタバレにならない範囲で、ドラマに登場するNyobo’zを紹介するうさ


Nyobo’zのセンターは、リーダー、宮の宣旨うさ

彰子ちゃんが入内する前に「仰せのままに」とか言ってたころから仕えていた人で

60代の、文字通りの「お局様」うさ

紫式部も、とても気をつかっていたみたいうさ


大納言の君は、倫子の姪うさ

小柄で色白で、ぷくぷくして、身長より髪が長かった人うさ

ドラマではスルーされると思ううさけど、『栄花物語』によると

彰子に仕えているときに道長に手を出されていたうさ


宰相の君は、なんと道綱の娘うさ

この人も、宮の宣旨と同じく、彰子が入内する前から仕えていたうさ

長生きして、ドラマよりも後に、女房の中でも一番の勝ち組になるうさ


小少将の君は、まひろの部屋のお隣さん

この人も倫子の姪うさ

まひろとの関係は、まだ秘密うさ


馬中将の君は、呪術デレ明子ちゃんの姪うさ

明子の姪なのに、倫子の子の彰子に仕えるのはくやしそうだけど 今どんな気持ちうさか?

紫式部と密室?で二人きりになったエピソードがある人うさ


左衛門の内侍は、中堅うさ

まひろとの関係は、まだ秘密うさ


赤染衛門はもう語ったので、前の動画かブログを概要欄のリンクから見てほしいうさ

ドラマでは、全ての能力を閨房に全振りしているうさね

あ、出ないと思っていたダンナの大江匡衡が登場することが確定したうさね 、、、意外


他に、伊勢大輔という人もいるうさけど

まだキャストが発表されてないうさ 、、、登場するとは思ううさけど



【平維衡を伊勢国の国司にするぜバトル】

“平維衡を伊勢国の国司にするぜバトル”が大きく取り上げられうさね 意外だったうさ

平維衡は、あの平将門の乱を鎮圧した平貞盛の子どもで

後に一条天皇の御世を代表する「武士」と言われるような人うさ

そんで、平清盛に繋がる伊勢平氏の祖となった人うさ


維衡にはライバルの武士がいて、それがドラマのキャストも発表された平致頼うさ

維衡はドラマには出なそうだけど、ライバルの平致頼がドラマに出る理由は、、、ふふふ、秘密うさ

まあ、平致頼はドラマに出てきてから語るとして

二人は伊勢の国で10年近くも仁義なき抗争を繰り広げてきた仲うさね


正月28日に、伊勢守が辞表を叩きつけてきたうさ その辞表にはなんと

次の国司には、“維衡だけは任命しないでください”」と書いてあったうさ

どんだけやねん!! 、、、うさ



今回のドラマで、それでも維衡は、右大臣顕光の推し活で伊勢守にエントリーされて、一条天皇も賛成してたうさ

でも、道長は、

「あいつ、前も事件起こしたじゃん

寒いのにタンクトップ着たり

すぐにもろ肌脱いだり

『ナメられたら殺す‼️』ノリの脳筋にやらせたら

あとでドエライ目にあいまっせ」

って大反対していたうさ


顕光が推した理由は、維衡が父の貞盛の代から顕光家に仕えていたからうさ

顕光は私利私欲としても、一条天皇はなんで賛成したのか意味わからん

と、原作(史実)の道長も日記『御堂関白記』でいぶかしんでるうさ


、、、って、原作(史実)の道長さんは知・っ・て・る・く・せ・にー

実は、原作(史実)では、一条天皇は顕光の娘の元子ちゃんとラブラブちゅっちゅを続けてるうさ

だから、一条天皇はラブ元子ちゃんのパパには甘いうさ


ドラマでは、人事会議のときに、他の公卿は気配を消して地雷を踏まないようにしてたけど

原作(史実)では、けっこうみんなも表立って反対していたうさ

ドラマのように、いつの間にか平維衡の名前が書かれていたことのウラは取れなかったうさけど

3月には、伊勢守をソッコーでクビになるうさ

“維衡氷河期”うさね

、、、と思いきや、維衡は6月には上野介にはなれたうさ


おもしろいのは、維衡は顕家を見限ったのか、今後は道長に接近していくうさ

さらに、維衡は何人もの公卿に近づいていて、後のロバート実資は、維衡を「家人」と認識しているうさ


実は、まひろには、ドラマに出てこない母違いの弟の惟通がいるけど

惟通の娘は、後に維衡の甥に、なんと、焼き殺されるうさ

こんな連中が跳梁跋扈する世の中になることを、ドラマの道長は心配していたということうさね




道長のメンツ丸つぶれ! 興福寺強訴事件:第34話「目覚め」

【動画版はこちら】



今回は、おもしろ事件、寛弘三年(1006年)の興福寺の強訴事件、大特集うさ!

当時のお寺勢力の(きたねえ)やり口がよく分かるので、ぜひ楽しんでくださいうさ


6月14日、興福寺が、「ウチのもんが、左馬允当麻為頼にタコ殴りにされたでえ」と、“道長に”訴えてきたうさ

興福寺は藤原氏の氏寺で、道長は藤原氏の氏長者だからうさ



道長は、興福寺を氏寺として統率する立場でありつつも、官僚のトップという立場でもあるので

興福寺衆と官僚為頼の間に入って、興福寺の訴えの真偽を為頼に問おうとしたうさ、、、けど

道長の返答も待たずに

山階寺の蓮聖が率いる興福寺衆3000人が為頼の家に押しかけて、為頼邸や田畑を焼き払いやがったうさ

こりゃ、道長のメンツ丸つぶれうさよ


6月20日には、大和国が興福寺側の僧、蓮聖の濫行を“朝廷に”報告してきたうさ

このことは、道長が身内の不始末をうまく処理できなかったことが、公の場にさらされたことを意味するうさ

そりゃ、道長のメンツ丸つぶれうさよ


6月27日に、興福寺別当の定澄が、蓮聖と為頼の間に土地争いがあったと、道長に言い訳し始めたうさ

さらに、興福寺の主張は、「為頼が自分で自分の家に火をつけた自演だ!捏造だ!陰謀だ!」というものだったうさ

権力に訴えながらも、同時にリアル突撃はする リアル突撃して焼き討ちしながらも、権力に訴える 都合が悪いときは、捏造だ、陰謀だと言い張る

興福寺のやり口がよーく分かるうさね

7月3日には、一条天皇の宣旨で興福寺僧の逮捕が決まったり、蓮聖は朝廷からの委託事業を停止されるうさ

道長は身内の不始末のケツモチを一条天皇に頼ったことになり、返す返すも、メンツ丸つぶれうさよ


7月7日の道長は、朝からおなかピーピーで仕事を早退するほど、身も心も絶不調だったうさ

なのに、なんの空気も読まずに、興福寺がまた訴えの手紙を朝廷に提出してきやがったうさ

こんどの手紙は嘆願のかたちをとったロミオメールで、前回の訴えとは内容も矛盾していたうさ

ウソをごまかすために、ウソを重ねる、典型的なダメンズ仕草うさね

自分がついたウソぐらい、覚えていやがれ、、、うさ

道長たち公卿は、「坊主のメンヘラなんざ、誰も相手にするわけないだろ」と、手紙を突っ

返したうさ

突っ返さずに、道長はその手紙でケツでも拭いてりゃよかったと思ううさ


7月11日、定澄たちが京に乗り込んできたのは、この日うさ

12日に、定澄は道長邸に来て、道長を3つ恫喝するうさ


恫喝その1

明日、興福寺の幹部衆、少年マンガでいうなら興福寺四天王的なヤツらも京に来ちゃうぞ♡


恫喝その2

3日後には、興福寺の血の気の多い連中が大挙して内裏に遊びに来ちゃうぞ♡ そういえば、最近3000人に襲いかかられて、焼き討ちされた誰かさんがいたような気がするなあ♡


恫喝その3

ウチのもんに都合が悪い裁定とか出ちゃったら、道長邸とか大和守源頼親の実家に凸っちゃうゾ♡

ところが、ここまでキレにキレきっていた道長は、ドラマのように一歩も引かないうさ

道長が返すには、「ほーん。じゃあ、興福寺幹部四天王は覚悟しとけよ。なんも良いことは起きんぞ。定澄は就活でも始めたほうがいいんじゃねえか」と。

道長、かっこいー、、、うさ


ドラマでは定澄と慶理はいっしょに行動していたけど、原作(史実)では別行動で京にいた慶理が、夜に来て

興福寺の大衆2000人が木幡に集結しているという情報を、道長にもたらすうさ

なお、慶理の言い分では、「私は何も事情を知らなかったけど、たまたま情報を掴みました」とのことうさ

ふーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん

この日の最後に、道長は「明日、公卿会議すっぞ」と公卿たちに呼びかけて寝たうさ


翌日、ドラマであったように、公卿会議の当日、7月13日に

2000人と号した興福寺衆が内裏の朝堂院に集結したうさ



一条天皇もフザケンナと言わんばかりの宣旨を出して、大衆連中を追い返したうさ

この夜、道長は慶理に「とっとと奈良に帰って、悔い改めてから、まっとうなやり方で出直して来いや」と伝えさせたうさ


14日の朝、慶理が道長のとこに来て「昨夜みんなに伝えたっすよー。みんな帰ったっすよー」と報告してきたうさ

ところが、定澄が道長に言うには「まだ中堅幹部が30人以上残ってますよー。道長さんちにみんなで凸りましょうか♡」と

慶理の言うことと、定澄の言うことは矛盾しているうさね

道長は、「いらね。日を改めて出直して来いや。二人だけでな」と返したうさ、、、かっこいー、うさ


翌日、15日、道長が昨日「二人で」言うたのに、定澄は三人以上で道長邸に来やがったうさ

ドラマでは、定澄と慶理が来たうさね

そこで定澄たちは、道長に4つの要求をしたうさ


1つ目

為頼邸の焼き討ちは為頼の捏造で、オレラ悪くないんで、この件を再調査して、犯人を逮捕しないと約束してください

はあ?

調査する前に逮捕しない約束させるって、どういうこと? フザケてんの?、、、うさ

てか、相手の捏造、つまり自分らの無実を主張しておいて、オレラを逮捕しない約束させるって、、、

ウソを隠す気ないだろうさ

道長も「調査しようとしたら、オマエラが京にカチコんできたんだろが。

どんだけオレのメンツがつぶれたと思ってんの?」と返したうさ

道長がんばえー さ


2つ目

大和守の源頼親をクビにしてください

はあ?

なんで、まだ源頼親の部下の為頼を調査してくれっていう段階なのに

源頼親の部下の為頼の家を焼き討ちしたのはオマエラなのに、オ・マ・エ・ラ・な・の・に

なんで、“焼き討ちされた側”の最高責任者のクビを飛ばせっていう要求になんの?

やっぱ、フザケてんの?

フ・ザ・ケ・て・ん・の?、、、うさ

道長も、日記で「意味分からん」と言っているうさね

さらに付け加えておくと、大和守頼親は就任したばかりで、このとき、まだ現地に着任もしてないうさ


3つ目

為頼もクビにしてください

はあ?

はああああああああああああ?

だからさ、なんで

「為頼がウチのもんに焼き討ちされた事件を調査してください あ、焼き討ちされた為頼は先にクビにしといてください」ってなるうさか

フザケるにも、ほどがあるうさよ

道長も日記で「焼いた人じゃなくて、焼かれた人を罰しろとか、あるわけネエダロ」と言っているうさ

道長がんばえ がんばえぷいきゅあー


4つ目

蓮聖の委託事業(朝廷での法会)を復活させてちょ

さて、ドラマでもそうだったけど、これは先例があるということで、道長は正規ルートで嘆願しろと回答するうさ

実質的には、4つ目の要求は呑んだようなものうさ

うさぎ先生だったら、最初の3つを見た時点で、感情にまかせて4つ目の要求も蹴り飛ばしそううさ

てか、最初に無理な要求を突きつけてから、後半にうっかり呑んでしまいやすい本命の要求を出すというのは、実は交渉術の基本うさね

さすがに70歳をゆうに超える定澄は、老獪うさね ドラマでもニヤッとしていたうさよね


今回は、家が焼けたときの斉信と道綱がおもしろかったうさねー

道雅が伊周パパを嫌っているのは、幼いころから舞を強制されていたシーンがあったから分かるけど

敦康親王は、なんで伊周伯父さんを嫌っていたうさか?


道長の裏の祈りと惟規の恋の真実

うさようございまーす! うさぎ先生うさ

第35話「中宮の涙」をもっと楽しむための、本気の日本史解説うさー

今日は、道長の金峯山詣を、ガチ日本史勢の視点から語るうさ!

原作(史実)では病気がちの中年だった道長が雨の中を歩き、1700メートルの山に登ったその思いを想像すると

同じ親として、涙が出てくるうさよ 親の愛は深く温かいのだ、、、うさ

あ、後半では惟規斎院の中将の恋の真実もお届けするうさ! 原作(史実)からのアレンジが絶妙うさよ

恋愛クラスタの皆さん、こちらもお楽しみに、、、うさ

この動画で日本史に詳しくなって、まわりのドラマ視聴者よりも、ドラマをより深く楽しもううさ


【道長の金峯山詣】

前提知識として、金峯山は奈良南部の吉野の奥にある山々で、蔵王権現が現れた霊山うさ

道長の目的地でもあり、一番高い山上ヶ岳の標高は1719メートルもあるうさ

道長が、厳しい山道を乗り越えて、金峯山の蔵王権現に詣でようとした真の理由も、そこで分かるうさ

ドラマでも語られた理由と、もう一つの裏の理由があるうさよ


1,金峯山詣の準備

34話で、道長が息子頼通に「100日潔斎、で・き・る・か・な?」と言っていたように

金峯山に詣でる前には長期間の潔斎が必要うさ

原作(史実)の道長の場合は、寛弘四年(1007年)閏5月17日から、中宮亮の源高雅宅で潔斎を始めたうさ

上司に長い間マイハウスに住みこまれた源高雅に同情するうさよ


2,金峯山への道

道長が出立したのは、8月2日の丑の刻、午前1時から3時ごろうさ 夜明け前どころじゃないうさ

ドラマでは空が白んでいたけど、原作(史実)では、もっと暗かったと思ううさ

出発のときに身を清めた道長一行は、平安京の外まで歩いて

鴨川と桂川の合流点あたりで、船に乗ったうさ

ドラマで、道長一行の身を清めた地味な格好を見ると

かつて山吹色系のハデな格好で金峯山寺に詣でた宣孝の、空気を読まないっぷりが際立つうさね

道長一行は、初日は石清水八幡宮に詣でて、木津川の対岸の内記堂というところに宿泊したうさ

そういえば、やっと上司が自宅から出てったんで、源高雅は超絶ほっとしたと思ううさ


翌日の3日、奈良の大安寺まで行って、そこに泊まったうさ

、、、ん? 藤原氏の氏寺の興福寺じゃなくて、大安寺に泊まったのは、なにか事情があるうさかね?

34話の、2000人で道長邸を燃やしに来た定澄たち興福寺僧とのバトルが、まだ尾を引いているのかもうさ

、、、と思ったけど、よく調べたら

前年に2000人で道長邸を燃やしに来た定澄も、この金峯山詣に同行していたうさ てへ、、、うさ

ドラマでは定澄は同行してなかったけど

定澄役の赤星昇一郎さん、今年69歳だから、さすがに崖ロケはキツかったうさか


4日からは基本的に雨が降っていたうさ 、、、キツッ

この日は、井外堂に泊まったうさ 5日は、軽寺に泊まったうさ

6日は晴れで、壺坂寺に泊まったうさ 7日は、観覚寺と現光寺に寄って、野極に泊まったうさ

8日は、雨のため、そのまま野極に泊まったうさ 動けないほどの雨だったうさかね


3,道長暗殺未遂!?事件

9日、都では、伊周隆家が、武者の平致頼をつかって道長の暗殺を計画しているという噂がたったうさ

ドラマでは、実際に伊周が暗殺しようとしたうさ いろいろあって、伊周と隆家兄弟の見せ場だったうさね

原作(史実)では、真相は不明ながら、結果的にはなにも起こらなかったうさ


4,金峯山での祈り

同じく9日、道長一行はいよいよ金峯山に入って、寺祇園に泊まったうさ

10日は崖を登り、金峯山の山上ヶ岳の僧房に泊まったうさ ここが標高1719メートル地点の近くうさ


11日に、小守三所で、蔵王権現に彰子に子が授かるよう祈ったうさ

第一の目的が、彰子に男子が生まれることを願うことだったことが分かるうさ

各所にいろいろと奉納して、蔵王権現の御在所などで自分が書き写した法華経なんかを供養したうさ

あと、妻の倫子ちゃんのお経も供養したうさ

ということは、自分と倫子ちゃんが極楽浄土に往生したいということも、もう一つの目的だったうさ

原作(史実)では、そうとうに仲が良い夫婦だったうさよ

このときに経筒に入れて埋納したお経があって、なんとこの経筒が奇跡的に現存しているうさ

道長埋納経筒については、6でも説明するうさ

あ、定澄とかの、同行していた僧たちにもたくさん物を賜っているうさ

この日のうちにけっこう下山して、寺祇園に泊まったうさ

金峯山詣の目的だった、彰子の出産と道長夫婦の極楽往生、、、願いは叶うのか、、、うさ


5,道長の帰還

12日からは晴れたうさ 石蔵寺に寄って、道長はその美しさに感動したうさ

ここから野際に降りて馬に乗り、さらに下山して、広大野に泊まったうさ

14日、淀を経由して、牛車で鴨川の精進所でげじょして、マイホーム土御門殿に無事帰ったうさ

この日は、そうとうな長距離を進んでいるうさ ところが、道長はやっと家に帰り着いたのに

すぐに一条院内裏の一条天皇と、枇杷殿の居貞親王のところに挨拶に行っているうさ

すごっ!

エライ人たちの人付き合い力には感心するうさ 道長はへとへとに疲れていたはずうさよ


6,道長埋納経筒

道長埋納経筒は、なんと江戸時代の1691年に発掘されたうさ

綱吉がノリノリで生類憐みとかやっていたころうさよ

経筒には「左大臣正二位藤原朝臣道長」「寛弘四年八月十一日」などと刻まれていたうさ

経筒の中には計十五巻のお経が納められていたうさ よく今まで残ったうさねえ



【惟規と斎院の中将の恋の真実】

さあて、恋愛クラスタお待たせの、惟規と斎院の中将の恋のエピソードうさ

斎院の中将は、大斎院選子内親王に仕えていた女房うさ

惟規が蔵人だったとき、惟規は夜な夜な斎院の中将の部屋に通っていたうさ

『今昔物語集』には「『語り合おうとして』通っていた」とあるうさけど

純粋ピュアなうさぎ先生ですら、そんなことは信じてないうさ


惟規はあいかわらずぽやっとしているので、斎院の中将の部屋に夜ば、、、ゲフンゲフン

、、、おしゃべりするために入るところを、他の女房に見られたうさ

ドラマでは、斎院への垣根を超えるときに、もう見つかっていたうさ

他の女房は怪しんで、「オマエ誰やねん?」と、部屋の外から詰問してきうさ

惟規は、部屋の中で気配を消して(消せたつもりで)、名乗らずに黙っていたうさ

ドラマでは、庭先でむぎゅーっとしてたら、とっ捕まったうさね


そこで、斎院の屋敷に仕える男衆は、斎院の屋敷の全ての門を閉じてやったうさ

屋敷からトンズラこけなくなった惟規と、斎院の中将は困りはてたうさ

とうとう斎院の中将は観念して、主の斎院選子内親王に「実はオトコ連れ込んでて、、、」と打ち明けうさ

主の斎院選子内親王が、「ヤレヤレだぜ」と門を開けてやると

惟規は「神垣は 木の丸殿に あらねども 名乗りをせねば 人とがめたり」

(のぶた訳:じゃあ、名乗ってから入りゃよかったのかよ。ペッ。)

と吐き捨てて帰っていったうさ


あとになって惟規の歌を伝え聞いた斎院選子内親王は、(実は天智天皇の故事を踏まえたちゃんとした歌なので、)

「あ~、その天智天皇の話は私も知ってる~。わかる~」と感心しましたとさ うさ

ドラマでは、先に歌を聞いた斎院が感心して惟規を開放してやった、とアレンジされていたうさ

ドラマ版の筋でも面白いうさね


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