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執筆者の写真順大 古川

藤原延子:「光る君へ」人物事典090

更新日:10月14日


【目次】



藤原延子(ふじわらののぶこ):山田愛奈

まずは、NHK公式の紹介を引用して、大河ドラマ上での設定を確認しておきましょう。


藤原顕光の次女。敦明親王の妃。


延子の父の顕光って、道隆道兼が死んで伊周が長徳の変で失脚して以来、ずっと朝廷のナンバー2だったんです(ナンバー1は道長)。

だから、ずっとナンバー1を狙えるポジションにいたんです。


なので、顕光はかつては、定子が出家したときに長女の元子(記事未作成)を一条天皇に入内させて、皇子が生まれるチャンスに賭けていました。

(ドラマでは触れないようにしていましたが、)元子はけっこう一条天皇に愛されていて、定子ちゃんが生きているときも、彰子ちゃんが幼い妻だったころも、一条天皇とラブラブちゅっちゅしてたんです。

しかし、元子は想像妊娠することはあっても、結果的に子を残すことができませんでした。


なのでなので、顕光はラストチャンスとして、次女の延子を三条天皇の皇子である敦明親王に嫁がせたのです。

実際に、敦明親王は後に後一条天皇の東宮(皇太子・次期天皇)になるので、延子が未来の天皇の妻となり、その次の天皇の母となって、顕光が外祖父として摂関になる世界線もあり得たんです。

この話の行く末は、ドラマを楽しみにするか、下の方の記事(ネタバレ)を御覧ください。



キャスト:山田愛奈(やまだあいな)

1998年生まれのファッションモデル、女優です。新潟県出身で、株式会社ENASS所属です。

大河ドラマは初出演です。


解説:実際の延子

生年:?年ー没年:1019年

藤原顕光の次女で、母は盛子内親王です。堀河女御とよばれました。


敦明親王が皇太子にたてられる以前に妃となりました。

子に、敦貞・敦昌両親王と栄子内親王がいます。

『後拾遺和歌集』などに、夫が皇位につけず后位への夢もきえたことをなげく歌が収録されています。

寛仁三年4月10日に死去します。



その後の隆姫女王

寛弘七年(1010年)

このとし、敦明親王と結婚します。


寛弘八年(1011年)

10月5日、三条天皇の即位に際し、敦明親王が親王宣下を受けて、三品となります。

延子ちゃん的には、チャンスタイムです。


長和三年(1014年)

10月6日、子の敦貞が生まれます。

チャンスと可能性が広がります。


長和四年(1015年)

10月2日、敦明親王の立太子を道長に拒否されます。公任俊賢までも「ヤメロ、ヤメロ、テンノーヤメロ」と言ってきます。

12月24日、三条天皇が敦明親王を次の東宮とようしています。道長が不満そうです。

延子ちゃん的に、ドキドキです。。。


長和五年(1016年)

正月23日、敦明親王が空気を読んで立太子を避けようとしているというウワサが流れます。

正月29日、三条天皇敦成親王(後一条天皇)に譲位します。敦明親王は東宮にならされます。

道長から壺切の剣渡されないというイジメにあい、その後もことあるごとにイジメられます。

ギリギリですが、ラストチャンスです。


寛仁元年(1017年)

5月9日、義父の三条天皇が崩御します。

8月9日、ヤバみを感じ取る能力に長けた敦明親王が、東宮を辞退します。新東宮は彰子ちゃんの次男の敦良親王です。

これで、顕光・延子の最後のチャンスも潰えてしまいました。


11月22日、敦明親王が寛子(道長明子の末娘)と結婚します。

延子ちゃん的には、手痛い追い打ちです。


寛仁三年(1019年)

4月10日、死去します。



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