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宰相の君:「光る君へ」人物事典075

更新日:8月27日

【目次】



宰相の君(さいしょうのきみ):瀬戸さおり

まずは、NHK公式の紹介を引用して、大河ドラマ上での設定を確認しておきましょう。


藤原豊子(ふじわらのとよこ)。藤原道綱の娘。藤原彰子に女房として仕える。


道綱の娘です。あの道綱の娘です。お菓子をはむはむしていた道綱の娘です。でも、ぜんぜん勝ち組女房です。


キャスト:瀬戸さおり

1989年生まれ。福岡出身の女優です。ワタナベエンターテインメント所属です。

大河ドラマには初出演です。


解説:実際の宰相の君・その後の宰相の君

本名は藤原豊子、なんと原道綱の娘です。道綱が宰相(参議)だった期間は、正暦二年(991年)~長徳二年(996年)なので、その間、すなわち、彰子が入内する前から仕えていた可能性が高いです。ドラマで言うと、彰子が「おおせのままに」とか言っていたときにはとっくに仕えていたということですね。


『尊卑分脈』によれば、大江清通と結婚して、定経を生んでいます。定常は長和五年(1016年)に六位兵衛尉とあることから、賢子と同じかもっと年上だったようです。なので、ドラマでいうと賢子が生まれた27回「宿縁の命」のころには、宰相の君にはすでに定常がいたわけです。

彰子の従姉妹にはあたるのですが、母親の身分が低かったので、彰子に仕える身となったと考えられます。

彰子に信頼されていて、重要な場面では彰子のそばにいることが多いです。敦成親王が生まれてからは、敦成親王の乳母となります。

そもそも生まれがよくて、天皇の乳母としても成功したので、女房のなかでは一番の勝ち組です。


紫式部と仲がよかったようで、宰相の君が紫式部にお昼寝をじゃまされたエピソードなどがあります。

あと、紫式部にけっこうよく褒められます。



寛弘五年(1008年)

彰子が敦成(あつひら)親王(後一条天皇)を産むときに、几帳の内側で倫子と内蔵の命婦といっしょに介添えをします。

その後も、湯殿の儀、土御門行幸、五十日の儀などに姿が見えます。

敦成親王が生まれてからは、敦成親王の乳母となります。


寛弘六年(1009年)

正月、葡萄染(えびぞめ)の衣をきて、紫式部に褒められています。同じ葡萄染(えびぞめ)の衣でも、馬中将はディスられてたのに。。。

正月3日、敦成親王の清涼殿参上に御佩刀を捧持して付き添います。


寛仁二年(1018年)

典侍(ないしのすけ)となり、敦良親王の元服に際して、従四位下となります。


治安三年(1023年)

従三位と見えます。「藤三位(とうさんみ)」と称されています。


長元九年(1036年)

後一条天皇崩御に際して素服を賜り、まもなく出家します。



【彰子サロンの人々】

伊勢大輔


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