質問
「このころ(1920年代?戦間期?)の日ソ協力の例ってありますか?」
……キツい!
キツいぞー!!
ぜんぜん知らん!!!
1925年までシベリア出兵が終わってなくて、1925年にようやく日ソ基本条約でソ連を承認して国交を結んだはずなので、、、
それ以前はとくに協力なんてしていなくて、
その後は何かしてるかもしれない、、、
というくらいしか思い浮かばない。
ムーリー。
ハイ宿題でーす。私の宿題でーす。
なんか機会があれば追記していくけで、気長ーに待っててください。
これは時間がかかりそう。。。
あ、世界史のうえまつ先生が次の本を見てはどうかとアドバイスをくれました。
おおっ、これはイケそう!
お高いんで、今度図書館に行ってきまーす。
【2023/08/16 追記】
うえまつ先生から情報をいただきました。ありがとうございます。
「急いで作成したから、抜けや不正確な部分があるかも」とのことです。
表:戦間期の日露関係
●1918 前年のロシア暦十月革命(十一月革命)を受けて、ソヴィエト政権が樹立する➡日本はアメリカとの共同出兵の形で1個師団を派遣する(シベリア出兵)
●1920 ニコラエフスク市で日本の守備隊や在留邦人が殺害される(尼港事件)➡これを理由に日本軍は北樺太(サハリン)を保障占領
●1922 日本共産党がソ連指導下のコミンテルンの支部として非合法のうちに結成される
●1922 日本軍がシベリアからの撤兵を開始する(➡北樺太からの撤兵は1925年)
●1923 関東大震災に際し,ソ連が救援物資の船舶を派遣してきたが,日本政府はその受領を拒否する(レーニン号事件)
●1925 日ソ基本条約の調印(日ソ国交樹立,日本が北樺太の石油・石炭などの利権を獲得)
●1927 日ソ森林利権協約の調印
●1928 日ソ漁業条約の調印
●1931 日本が満州事変を起こす(翌32年,満州国の建国➡重大な脅威とみなしたソ連は第二次五カ年計画を推進する〔1933~〕)
●1933 ソ連が満州国に東清鉄道の売却を申し出て,宥和的な態度をみせる。
●1936 ソ連に対抗するために日独防共協定の締結(翌年イタリアも参加)
●1938 7月,満・朝・ソ国境の交叉点の張鼓峰付近で,日ソ両軍の軍事衝突(張鼓峰事件)
●1938 9月,ミュンヘン会談で英・仏がドイツに譲歩➡英・仏に不信をもったソ連のスターリンがドイツとの提携に転じる
●1939 5~8月,満州・モンゴル(ソ連の衛星国モンゴル人民共和国)国境地帯で,日本軍とソ連・モンゴル連合軍の軍事衝突(ノモンハン事件)
●1939 8月,独ソ不可侵条約の締結➡翌9月、ドイツのポーランド侵攻(第二次世界大戦の勃発)
うえまつ先生のご助言をいただきましたが、上の表では、
②日ソ基本条約(1925年)
④ソ連、東清鉄道売却申し出
あたりを勉強していけば、面白い例が出てきそうです。今、少し調べられたのは、レーニン号事件です。
①レーニン号事件
もちろん、うえまつ先生に教えていただくまで、ビタいち知らなかったので、ちょい調べしてみました。
朝日新聞デジタルによれば、レーニン事件とは、
関東大震災に際し,ソ連が事前協議する前に救援物資の船舶を派遣してきたが,
日本政府は救援に乗じて革命の宣伝をするつもりではないかとの疑いありとして、
日本までやってきたレーニン号が載せた救援物資の受け取りも拒否して、国外退去させた
という事件のようです。
もちろん日本側の主張ですので、ソ連の意図の真偽については分かりません。
機会があれば、以下の新聞や論文も読み込んでみたいところです。
画像→朝日新聞デジタル
新聞を一見しておもしろかったところは、「同船名は当初シンビルスク号であったのを出帆前日俄にレーニン号と改名した」ところでしょうか。
なお、シンビルスクっていうのは、今のロシア・ウリヤノフスク州の都市で、かなり内陸にあります。
なんで、こんな内陸の都市の名前つけたんかいな。。。あ~別に空母「信濃」とかあるから、内陸とかなんとか関係ないか~、、、とか思っていたら、
シンビルスクって、レーニンが生まれたところなんですね。
あ、あと、波多野勝・飯森明子「「レーニン号」事件と日本の対応」(『常磐国際紀要』55-72・1999年)っていう論文がありますね。
誰かが論文を読んで、なんか教えてくれるのを待っています(他力本願)。
③日ソ森林利権条約(1927年)・日ソ漁業条約(1928年)
うえまつ先生が、小林幸男「日本の対ソ承認と経済問題」(『国際政治』1966-31・1966年)という論文を紹介してくださいました。
今度がんばって読みます。
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