質問:
「三一 運動時、デモをしてた人は自治ではなく独立を求めたのですか?もし独立の運動だったら、なぜ自治を求めず、さっそく独立を求めたのですか?例えばアイルランドやインドは最初イギリス自治だけを求めました。僕からすると自治の方が可能性が高いと思います。あと三一 運動以前か以降は自治を求める運動はあったのですか?」
アイルランドとインドについて、うえまつ先生がまとめてくれました。
アイルランドやインド両国が独立を獲得するまでの過程をざっくりとまとめると、以下のようになります。
●アイルランド
1801年 イギリスがアイルランドを併合した(大ブリテン=アイルランド連合王国)
19世紀後半 イギリス議会に進出したアイルランド国民党が自治獲得運動を本格化させる。アイルランド自治法案が議会に提出されるが,可決せず。
1914年 アイルランド自治法が成立したが,第一次世界大戦の勃発のために施行は延期された。
1916年 アイルランドの一部の独立強硬派が完全独立を求める武装蜂起(イースター蜂起)をおこすが,イギリス政府軍に鎮圧された。
1919年 急進的反英政党のシン=フェイン党が独立を宣言した。(➡アイルランド独立戦争~内戦状態へ)
1922年 イギリスはアルスター地方(プロテスタントの多い)をのぞくアイルランド中南部のみに自治権を認め,「アイルランド自由国」が自治領として成立した。
1937年 アイルランドは新憲法を制定し,主権をもつ独立国家「エール(エーレ)」を宣言する(完全独立の達成)。
1949年 第二次世界大戦後にイギリス連邦から正式に脱退し,アイルランド共和国が成立する。
●インド
1877年 英領インド帝国が成立する。
1905年 インド国民会議(当初は 親英的なインド人の組織)がイギリスのベンガル分割令(反英運動の中心地ベンガル州を,ムスリム中心の東ベンガルと,ヒンドゥー教徒が多数派の西ベンガルに分けようとした法律)に反発する(インドで民族運動が盛んになった背景は ,日露戦争における日本の勝利)
1906年 翌年のインド国民会議カルカッタ大会で,「スワラージ」(自治獲得の意)など4綱領を決議し,イギリスの支配に対抗する姿勢を示す。
1917年 第一次世界大戦中,イギリスがインドに戦後の自治を約束し,戦争協力をとりつけた。
1919年 大戦後に1919年インド統治法が制定されたが,州行政の一部をインド人にゆだねただけであった。(=自治権が不十分)
1929年 国民会議がラホール大会で「プールナ=スワラージ(完全独立)」を決議した。
1935年 1935年インド統治法が制定し,州政治はインド人に委譲されることになったが,中央の財政・防衛・外交はイギリスが掌握しつづけた。(=完全独立とはほど遠い内容)
1947年 第二次世界大戦後にインド独立法が制定され,インド(ヒンドゥー教徒が中心)とパキスタン( イスラーム教徒が中心)が分離独立した。
まず、共通点としては、
①両方ともイギリス(イングランド)の支配を受けたこと、
②最初は「自治」を要求して運動を継続し、やがて「独立」を求めるようになったこと、
③二度の世界大戦を受けて自治や独立を獲得したこと、などが挙げられます。
つぎに、相違点としては、
①アイルランドはイギリス議会に議員を送り出せていたこと(可決されなかったが、19世紀の段階でアイルランド自治法案が議会に提出されていた)、
②アイルランドの方は第一次世界大戦後に「自治権」を獲得し、第二次世界大戦の直前には完全独立を達成していたのに対し、インドの方は第二次世界大戦の終結後にようやく独立を勝ち取れたこと、などが指摘できます。
うえまつ先生、ありがとうございます!
朝鮮半島は?……もうちょっと待ってください。。。
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