逆境のなかで咲く花 寺内正毅: 総理大臣列伝【誰も得しない日本史】
- 順大 古川
- 2024年10月16日
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寺内正毅内閣は、1916年10月に発足しました。米騒動とか、シベリア出兵の内閣です。
《日本語訳してみよう》
The flower that blooms in adversity is the rarest and most beautiful of all.(by Walt Disney)
※ adversity…逆境
寺内正毅は、1852年に生まれました。長州藩士の家です。この人、16歳で戊辰戦争に従軍してますね。そういえば、薩摩藩の山本権兵衛は、鳥羽・伏見の戦いのときに16歳でしたが、18歳以上という年齢制限に引っかかったため、年齢を偽って参戦していました。藩によって従軍年齢が違っていたのでしょうか。長州藩は少年に厳しいですね。nobuta.hateblo.jp
あ、よく調べたら、寺内正毅は、そもそも14歳のときに第2次長州征討に参加してました。長州藩は若者の命をなんだと思ってるんでしょうか。完全に、青少年なんとか系の条例に引っかかるやつですね。
寺内正毅は、かつて西南戦争における田原坂の戦いで、名誉の負傷をおいました。そのため、その後は前線で戦うのではなく、軍の教育部門などで活躍しました。1898年に初代陸軍教育総監になっているので、陸軍のアレげな教育はこの人のせいですね。陸軍士官学校の校長をやっているときは、校長官舎から望遠鏡で学生を見張っていたそうです。学生に意地でも7段ピラミッドとかやらせるタイプですね。
寺内正毅は、当時アメリカから日本に伝わって大流行りした、幸福の神様ビリケンに似ていることから、ビリケン宰相とよばれました。ビリケンは、今、通天閣にいますね。
ビリケンや寺内正毅の画像を見て、カルノフを思い出した人は分かってる人です。
ビリケンな外見が有名ですが、若いころはけっこうイケメンでした。
ちょんまげ姿の写真も残っています。ぜひ探してみてください。新鮮ですよ。
寺内正毅は、米騒動の責任をとって総辞職したことで有名です。ただ、実はこのときまでに寺内正毅は肺癌が悪化していました。米騒動の前から何度か辞意を表明していたけど、後任候補がいないため辞めることができずに、癌が悪化するなか、無理をして政務を取り続けていたという経緯があったんです。米騒動の責任という形で、寺内はようやく体を休めることができたのです。そして、この後闘病生活に入り、1年後に亡くなっています。67歳でした。
《日本語訳》
逆境のなかで咲く花は、どの花よりも貴重で美しい。(ウォルト・ディズニー)
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