世界史参考書の超ロングセラー『青木裕司 世界史B講義の実況中継』シリーズの青木裕司先生と、福岡を中心に活動する人気タレント中島浩二さんの「青木裕司と中島浩二の世界史ch」の文章版です(許可を得ています)。
(前回の記事【古代ギリシア②】ソクラテス以前の古代ギリシア哲学はこちら)
動画版:【古代ギリシア③】ソクラテス登場
中島:
歴史を紐解けば未来が見える。大人の世界史チャンネル中島浩二です。そして河合塾のカリスマ講師、世界史の青木先生です。よろしくお願いします。
青木:
お願いします。
中島:
古代ギリシャやってますけれども、いろんな民主政治で議論しながら、そこで目立つ人というのが出世する人だという話になりましたけれども、じゃあその民主政治というのがどうシステムとして導入されたのかとか、だって世界で初めての民主政治みたいなことでしょ。
青木:
と言って良いでしょうね。
中島:
紀元前5世紀頃で民主政治なんてほとんど聞いたことないですもんね。
青木:
もちろん人間だけれども人間としての権利を認められていない奴隷とか、そういうものの存在はあったけども、一応自由民、市民として生活する人たちは年寄りだろうが若造だろうが、金持ちだろうが貧乏人だろうが議論に参加して意見を言って、この街の行く末について決定する権利がある。民主主義の基本原則はそこだと思うんですよ、話し合いを前提として。
中島:
ただもともと治めていた王様とか、そういう話はなかったんですか?
青木:
短い期間、アテネに関していうと短い時間、王がいた時期はあるんです。ただ王もそれこそ秦の始皇帝とかああいう王様じゃなくて、戦争のときのリーダーに過ぎないという感じ。
中島:
ということは本当に都市国家ポリスでみんながわりと同じ立場だったんですね。
青木:
そうですね。前回も強調したけども、とにかくギリシャは貧しいので、食料などをめぐる喧嘩というのが絶えないんですよ。戦争が豊かなアジアに比べると頻繁に起こっている、そういうところなんです。自分たちが生活しているポリスという集団、城壁があって、中にアテネだったら20万人ぐらいですかね、結構大きいですよね。その20万人が外敵から自分の身を防衛しながら生きていくためにはみんなが武器を持ってこのポリスを守らないかん。武器を持ってこのポリスを守る者は対等だよねと。
中島:
なるほど、考え方的にですね。
青木:
その中で馬に乗って戦争に行ける貴族、いわゆる比較的裕福な連中と重装歩兵といって、ヘルメットを被って盾を持って、ローマと一緒ですよ。
中島:
という話がありましたよね。
青木:
いろいろそこはあるけれども、基本的にこの街を守るために命を懸ける人間として、あなたの言うことにも私たちはリスペクトをするし、僕の言うことも聞いてくれ。そういう我々がよく知っている民主主義の話し合いのシステムというのが生まれてくるわけですね。
中島:
すごいなあ。そこで議論を打ち負かした人が出世するんだけれども、そんなときにいろんな
方法論をとる人間が出てきたときにパッと現れたのがソクラテス。
青木:
前回言ったようにソフィーストという職業的な教師が登場して、人間や社会を分析して、それをどういうふうに上手に表現していくか。それを青年たちに教えていくわけです。それ自体は悪いことじゃないです。ところが、ソクラテスが活躍した時代ってギリシャ全体がダメになっていく、そういう時代なんです。ギリシャっていろんなポリスが寄り集まっていて、東地中海を中心に貿易でみんな飯を食ってた。そこにペルシャが攻めてるわけ。ペルシャの配下にフェニキア人というのがいて、これが貿易で飯食ってるんです。東地中海の覇権をめぐって喧嘩になっちゃう。
これが経済的な原因となってペルシャ戦争が起きるんです。それをギリシャは見事に打ち破って自分たちを守るわけです。
それからしばらくの間はすごく経済的な繁栄が続いていたんだけど、しばらくすると豊かさをめぐってギリシャ人同士で内乱が始まっちゃうんです。いわゆるペロポネソス戦争といって、アテネを中心とする集団とライバルのスパルタね、これを中心とする集団が30年以上争
ってしまう。ギリシャ人同士が喧嘩する中でもうギリシャは大混乱です。そういう中で特にソクラテス先生自身、アテナ出身なんですね。アテナのことが大好きなんです。なのに自分の愛するアテネがどんどん、はっきり言ってペロポネソス戦争、アテネは負けちゃうんですよね。どんどんダメになっていくというときに登場するわけ。彼はなにを唱えたかというと、ソフィーストの批判をする。「彼らは言ってるよね、みんなに通用する真理は存在しない。いや、それは存在する」と。教科書には「絶対的真理は存在するとソクラテスは言った」までは書いてあるんです。なんで彼がそんなことを言ったかについては書いてないんです。
ここから先はかなり僕の解釈が入るんだけど、答えに書いちゃダメですよ。
中島:
先生、予備校生も見てるかもしれないから、受験生は答えに書いちゃダメだけど、つい予備校の癖が出ちゃって。これは大人の世界史ですから。先生はどう思うんですか?
青木:
このダメになっていくアテネ、ダメになっていくギリシャを守るためには青年のエネルギーが必要なんです。青年の心をひとつにするためにはみんなに通用する真理みたいなものの存
在というのを訴えざるをえなかった。青年たちに問答法という方法を使って、対話という手段を使って、君たちがいかに頭の中がすっからかんか。謙虚にいろんな知識を君たちは勉強すべきだと。ひとつの真理、絶対的真理のもとにみんなのこころをひとつにしようよと。ただ、そういう態度が人々から誤解を受けるようになるわけです。
「ソクラテスはなんだよ、青年に近づいていってよ、言葉巧みに仲間を増やしていって」
中島:
怖いですよね。
青木:
「あいつなにか野心を持ってるんじゃないか。アテネのリーダーになろうなんて野心を持ってるんじゃないか」と。一方で無神論的な、神様の存在を否定するような言論をちょっと吐いたことがあった。そういうふうに誤解されることもあって、そういったことで裁判にかけられて結局処刑されてしまうんです。処刑というか自ら毒杯を飲んで亡くなるわけです。そのときに言った有名な言葉が「悪法もまた法なり」「ルールがある以上その手続きに従って
私は死を選ぶ」。
そのソクラテス先生の悲劇的な死を目の当たりにしていた弟子の1人にプラトンがいたわけです。
実を言うとソクラテスの書いた著作というのは存在しないんです。実を言うと我々が今日ソクラテスの思想として知ることができるのは弟子のプラトンが書いた文章なんです。
中島:
そこのところは孔子に似てますね。孔子もそういうことですよね。弟子の人たちがいろんな孔子のことをまとめたみたいな。
青木:
論語なんていうのはそうですね。孔子自身が編纂した本もあって、これはまとめて五経というんだけど、それ以上に弟子たちがまとめた論語のほうが有名ですよね。
そのプラトンが、彼はたぶん文学的才能もあったと思うんです。自分の記憶をたどりながらソクラテス先生と対立する思想家、そういった人たちの議論を対話の形で、劇の台本みたいな感じで。対談のことをシンポジウムと言うじゃないですか。ギリシャ語で「シンポジオン」。日本語では「対話篇」と訳して、いろんなのがあるんだけども、そのプラトンがどんなことを訴えていったのかとか。
彼が活躍した時代というのはギリシャがペロポネソス戦争でダメになって、徹底してダメな時代なんですよ。プラトン自身はアテネの人間で、当時のアテネはどんな状況か、戦争には負けるわ、長年続いた戦争によって、ちょっと言うなら中産階級、アテナの中産階級はみんな没落してるんですよ。もう明日の生活、今日の生活を送るのに精一杯。だから昔と違って広場に集まって冷静に判断し、冷静に政治を分析して、冷静な意見を言い、冷静な決断をする、それができなくなっていくんです。今の日本と一緒ですよ。みんなの生活が困窮化する中で冷静な判断が日本人の多くは実はできていないんじゃないかなと。ギリシャもアテネもまさしくそういう状況なんです。
中島:
当時ですね。
青木:
それを良いことに嘘をついて民衆に近づいていって、特に没落した民衆に近づいていって、自分の野心をまっとうしようとする悪辣な政治家たちが登場するんです。これをギリシャ語でデマゴーゴスという。
中島:
デマの根源というか、もともとの。
青木:
もともとのひとつですね。デマゴーゴス、日本語では扇動政治家と言います。その扇動政治家たちが、没落しつつある、あるいは没落した連中に「私に任せなさい、悪いようにはしませんよ」といって、彼らにとって耳触りの良いことを言って支持を集める。心の中では「馬鹿が、こんな嘘に騙されやがって」と。
こうして一部の野心を持ったデマゴーゴスと言われる政治家たちが考える力を失った人々を巧みに操りながら政治をやってしまう時代が展開する。この時代をなんと言うかというと衆
愚政治といって、英語ではochlocracyと言うんですけども、ぶっちゃけて言えば「みんなバカな政治」ですよ。そういう状況の中でプラトンがどういう対案を提案したか。
中島:
それは次回に続くということになるわけですね。
青木:
そうです、はい。
中島:
本当に古代ギリシャが大変な状況です。いろいろ文化が花開いてすごいなと思っていたんですけれども、大変なことをもしかしたら経るからこそすごい思想だとかそういうのが生まれるのかもしれないですね。
青木:
おっしゃる通りです。
中島:
次回です。
Comments