「柳条湖事件では、なぜ爆破する場所として柳条湖あたりが選ばれたの?」と質問がありましたので、『日本史史料(5)現代』(歴史学研究会編・1997年)で調べてみました。
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柳条湖事件の鉄道爆破地点は北大営(中国軍の兵舎)の近くにありました。
関東軍のシナリオとしては
「鉄道が爆破された!
近くにある北大営の中国軍のしわざだ!
日本人を守るために、いたしかたなく北大営に攻め込め!
自衛のためだからしかたないよね♡」
というものでしたので、奉天市の北の郊外にあった中国軍の兵舎である、北大営を制圧する口実となる場所を選んだと考えられます。
もう少し細かく見てみましょう。
作戦は、当時の奉天特務機関にいた花谷正の証言によると
「爆音を合図に、奉天駐屯軍兵舎(歩兵第二十九連隊)(←※こちらは関東軍の兵舎)内に据え付けた二十八糎要塞砲が北大営の支那軍兵舎を砲撃する。同時に在奉天部隊が夜襲をかけてこれを占領する」
という作戦でした。
そして、
「島本大隊川島中隊は、鉄道線路巡察の任務で部下数名を連れて柳条溝(※柳条湖)へ向つた。北大営の兵営を横に見ながら約八百メートルばかり南下した地点を選んで河本は自らレールに騎兵用の小型爆薬を装置して点火した。時刻は十時すぎ、轟然たる爆発音と共に、切断されたレールと枕木が飛散した。……(中略)……爆破と同時に携帯電話機で報告が大隊本部と特務機関に届く。地点より四キロ北方の文官屯に在った川島中隊長は直ちに兵を率いて南下北大営に突撃を開始した。……(中略)……そこへ二十八サンチ重砲が轟音と共に砲撃を始めたので大部分の支那兵は敗走し、夜明迄には、奉天全市は我が手に帰し早速軍政が布かれて臨時市長に土肥原大佐が就任した。」
という結果となったようです。
つまり、
第一に北大営を攻撃する口実とするためには、北大営の近くでなければならず。
北大営よりも北側にあった関東軍まで爆発音が聞こえなければならず。
かつ、爆薬の設置と爆破までは北大営の中国軍に見つかってはならない。
という場所として、柳条湖近くの爆破地点が選ばれたと考えられます。
参考文献は『日本史史料(5)現代』(歴史学研究会編・1997年)で、それによると、出典は『別冊知性五巻 秘められた昭和史』(1956年)です。上記の引用は、事件に関わった首謀者の一人である花谷の口述をもとに、雑誌編集がまとめたもののようです。
上の写真は「aucfan(ggg407 古地図 概要 満洲 奉天 北大営付近 支那兵鉄道爆破攻撃行動 対 独立守備歩兵第二大隊戦闘 経過要図(古地図)|売買されたオークション情報、yahooの商品情報をアーカイブ公開 - オークファン(aucfan.com))」でオークションに出されていた「古地図 概要 満洲 奉天 北大営付近 支那兵鉄道爆破攻撃行動 対 独立守備歩兵第二大隊戦闘 経過要図」のスクショです。
参考までに、Wikipediaにあった奉天市の絵図(1919年)も載せておきます。
下の地図のさらに北側に北大営があり、そのさらに北側に日本軍の兵舎があったことになります。さすがに、中国軍のほうが奉天城に近いところにいたんですね。
あと、そもそも奉天市はこのへんです。
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